INTERPRETATION

第700回 通訳 昭和ものがたり

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

先週末、「日本通訳フォーラム2026」に参加しました。これはJACI・日本会議通訳者協会が毎年主催しているフォーラムで、基調講演や分科会など実に充実した内容です。今年の基調講演は東京大学の小泉悠先生。ウクライナ・ロシア紛争に関する最新情勢を言語の観点から伺うことができました。

その後に私が参加した分科会のテーマは生成AI。今や文字起こしソフトから自動翻訳に至るまで、通訳現場でも様々な生成AIが駆使できる時代です。リスク管理をどうするか、どういったソフトが通訳者向けなのか等、実り多き内容でした。

そのセッションのQ&Aで若いご質問者から上がったのが、「通訳黎明期のころ、通訳者はどのような方法で準備をしていたのか?」というお尋ね。「電子辞書も無く、全てが紙媒体だった当時の同時通訳者の勉強・予習方法を知りたい。ぜひ後進のために書き残して頂きたい」というご意見でした。

そこで今回は「通訳 昭和ものがたり」と題して私の経験を綴ってまいります。正確には私が通訳者デビューをしたのは平成になってからですが、通訳訓練を受けたのは昭和の頃です。当時の恩師の様子も含めて書いていきますね。

1 恩師のカバン
私が初めて通訳の授業を受けた時の担当講師は井上久美先生(2014年ご逝去)。当時すでに国際会議のAクラス同時通訳者として国内外で活躍されていました。教室にはいつも両手に重そうなカバンを下げて入室。大きく膨らんだカバンには辞書、紙の資料、新聞などが入っていると仰せでした。先生は当時、横浜の遠方にお住まいでしたが、電車の中ではいつも日経新聞に目を通し、通訳に必要な記事はその場でビリビリと破っておられたとのこと。「隣の乗客にいつも驚かれるのよ」とおっしゃっていました。先生はお子さんたちがまだ小さい中、限られた時間内ですさまじい集中度を保ちながら、いつでもどこでも通訳の準備をしておられました。

2 辞書
電子辞書が世に出回るようになったのは昭和から平成に移り変わるころ。それまで通訳者は英和・和英辞典(それぞれ数百ページ)はもちろん、業務当日がたとえば自動車関連であれば自動車用語辞典、医学なら医学辞典という具合に専門辞書を持ち歩いていました。電子辞書が台頭した際、「もう重たい紙辞書を持ち歩かなくて良くなる!」と通訳者たちは歓喜したものです。初代の電子辞書は今と比べれば厚みが5センチほどあり、重さもずっしり。でも、複数の紙辞書持ち歩きと比べればあまりにも軽くなるのですよね。

3 紙の資料
パワポなどそもそもなかった時代。すべてが紙媒体でした。今となっては想像しづらいと思いますが、あの頃はまだ資料作成そのものがかなりの手作業。たとえばキヤノンのワープロなど、キーボードと液晶画面と紙差込口が一体となっており、印刷はなんと「1枚ずつ」でした。そのようにして印刷された大量の資料が宅配便(あるいはバイク便)で通訳者の自宅に届けられる、というのが当時は主流。通訳者は玄関口でずっしりと重い封筒を受け取って、「さあ、準備開始」となったのです。ちなみにあの頃は「電話帳並みに分厚い資料」とよく形容されましたが、「電話帳=分厚い」という脳内イメージがあるのはせいぜい昭和世代まででしょう。何しろ今は電話帳はおろか公衆電話すら街中から消えているのです。となると、分厚さをたとえるなら、・・・とここまで書いて思い浮かばず、生成AIに聞いてみました(笑)!答えは「辞書」「六法全書」「レンガ」「ブロック肉」だそうな・・・。うーん、辞書も六法全書も実物を見たことない世代がいるのでは?と思っていたところ「ハリー・ポッターの分厚い巻」が出てきました。多分これで想像つくのではないでしょうか?

というわけで今回は「カバン・辞書・資料」を取り上げてみました。来週は、具体的な予習方法について詳しく見ていきます。なお、通訳者デビューした当時の私はカバンを年1回は取り替えていました。理由は、「あまりの重さと厚みにカバンが耐えられなくなり、あっという間に壊れてしまうから」です。縫製が破ける、ハンドルがちぎれるなど、日常茶飯事でした!

(2026年8月25日)

【今週の一冊】

「沖縄を語りつぐ ある家族の歴史」川平朝清、ジョン・カビラ著、岩波新書、2026年

私が初めて沖縄の地を踏んだのは、神奈川県国際交流協会が随分前に主催した平和学習ツアー。留学生たちと共に沖縄の歴史、とりわけ第二次世界大戦について学ぶというものでした。以来、私の中で沖縄は関心あるテーマの一つとなっています。

その後、偶然にも元・駐英大使の千葉一夫氏の授業をロンドン大学で聴講する機会に恵まれました。千葉大使は沖縄返還の尽力者として知られており、そのいきさつは「僕は沖縄を取り戻したい 異色の外交官・千葉一夫」(宮川徹志著、岩波書店、2017年)や井浦新さん主演の同名映画にも描かれています。

今回ご紹介するのは、そのような沖縄時代を生きた川平家の物語。ジョン・カビラさんはJ-WAVEのナビゲーター、お父様の朝清さんは米軍統治下の琉球で放送局を立ち上げ、沖縄の放送界に大きな貢献をされました。本書は単なる親子対談ではなく、沖縄、日本、そしてアジアやアメリカという大きなうねりの中を生き抜いてきた人たちが描かれた一冊になっています。

朝清氏が元は医学生でしたが、終戦後は沖縄の資料館の英日通訳者を経て、放送に携わるようになります。その後、アメリカへ留学され、将来の妻(ジョンさんのお母様)と出会うなど、時代の流れと共にドラマティックな人生を歩まれてきたことが本書からわかります。

日本で唯一地上戦が起きた沖縄。その歴史をファミリー・ヒストリーから紐解ける貴重な一冊です。

Written by

記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者、獨協大学および通訳スクール講師。上智大学卒業。ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2024年米大統領選では大統領討論会、トランプ氏勝利宣言、ハリス氏敗北宣言、トランプ大統領就任式などの同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラム執筆にも従事。

END