INTERPRETATION

第208回 不満から「なぜ?」を考える

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

新年度が始まり、私も新たな仕事を頂く機会を得ました。4月というのはすべてが「よーい、どん!」の時期ですよね。家族も同じで、子どもたちは新しい学年に進級します。最初の数日間は親も子も、前とは異なる環境に慣れる日々が続きます。

この春は天候不順が続き、新年度早々、雨に見舞われました。4月上旬のこと。新しい職場から山のような仕事関連荷物をバッグに詰めて最寄駅に降り立つと、外は激しい雷雨!スーパーで買い物を済ませて傘をさして自宅まで歩いて・・・と考えると、足がガクガクしてしまいました。帰宅後には料理や家事、そして子どもたちの新年度学校関連の書類書きが待っています。その日は潔くタクシーのお世話になりました。

実は翌日の夕方も同じような状況で、駅の改札を出ると雨。もともと私は歩くのが好きなのでタクシーに乗ることはめったにありません。けれどもこの時ばかりは二日連続でタクシーに乗ったのでした。

前日に引き続き、この日も印象的に思ったことがありました。それは地元のタクシー会社であるにも関わらず、我が家までの道のりを運転手さんがご存じなかったということです。途中に目印となる施設がいくつかあるので、「○○の後ろの路地を入った所なのですが・・・」と乗車時に伝えました。ところがいずれのドライバーさんも、その施設自体を知らない様子でした。

私は地図を見るのが好きで、自分で「ナビ」をするのはもっと好きです。自宅の車にカーナビをつけていないのも、自分で地図を読む楽しみを維持したいからです。タクシーに乗ってナビをするのも、むしろワクワクする作業と言えます。けれどもお客様によっては「せっかくタクシーに乗ったのに」と思う人もいるのではないでしょうか。それが場合によっては不満に転じてしまうかもしれません。

ここ数年、都内でも「すみません、最近運転手になったばかりなので」と乗車直後にお詫びをしてくださるドライバーさんがいます。タクシーの数自体は昔同様たくさん走っていますが、業務を行う方々がどのような経緯でタクシー業界に入ったのかについては、もしかしたら時代の経済状況とともに変わってきているのでしょうね。

そのような時、私などはつい「以前はどのようなお仕事に携わっていたのだろう?」「ご年配にして運転手さんになったということは、何かそれまでの仕事面で理由があったのだろうか?」と考えてしまいます。お客さんの羽振りが良かったバブル期は、もはや遠い過去に消えてしまいました。あれから日本経済が後退し、国民が変化に直面してきたことは、誰もが自分なりに実感していると言えるでしょう。

我が家までの道のりを案内するのは、タクシー乗車中のわずか数分間です。けれども「次で右折してください」「3つ先の信号を左折です」などと伝えつつ、私の頭の中では「世界の中の日本」「バブルと景気後退」「日経平均株価」「グローバル教育」などといったキーワードが浮かんでは消えていきます。

(2015年4月20日)

【今週の一冊】

「限りなく透明に凜として生きる―『日本のマザー・テレサ』が明かす幸せの光」佐藤初女著、ダイヤモンド社、2015年

心に悩みを抱えた方々を温かい食事で受け入れる活動を続けておられる佐藤初女先生。青森県・岩木山ふもとにある「森のイスキア」には大勢の方々が先生を慕ってやってくる。

先生がなさっていることはカウンセリングやコーチングなどではない。ただただまっさらな心で相手を受け入れ、悩みを聞き、おいしいおむすびをお出しするというものだ。1921年生まれの先生は、今年で94歳になられる。

私はずいぶん前に知人からの紹介で先生のことを知った。以来、先生の著書を通じて生きるちからをたくさんいただいた。著作は珠玉のことばであふれているが、中でも「奉仕はさりげなく 振り向きもしないで」ということばを私自身の指針にしている。まだまだ私は修業が足りず、自分の不足分を感じるばかりだ。

今回ご紹介するのは先生の最新刊。今の時代、モノや情報があふれ、日本で暮らす私たちは世界の中でもhaves、つまり、「持てる側」になっている。けれども気持ちの面ではどうだろう。出口の見えないような不安感や重い感情に押しつぶされそうな人も多いと思う。

先生のスタンスは「今」を丁寧に生きるというもの。ごくごく基本に聞こえるかもしれない。けれども、過去や先のことに思いが行き過ぎて「今」を存分に生きなければ、状況は変わってくれないように私は思う。だからこそ、今この瞬間をありがたく受け入れ、心にしっかりと刻み、前を向いて行くのみなのだろう。それに改めて気づかされた一冊だった。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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