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変わらない悩み、変わった言葉

ハイキャリア編集部

拝啓!通訳・翻訳者の皆様へ

最近、古い文学作品を読むようになりました。
高校時代に名作文学に挑戦したものの、難しくて途中で読むのをやめてからは、現代の小説を読むことが多くなっていました。

そんな私に、ある日、お世話になった社長から「君ももう30歳なのだから、そんなことは言っていられないよ」と言われました。
なかなか手厳しい、とも思いましたが、その一言が頭に残り、毎週図書館で名作文学を借りるようになりました。
これまでに読んだ作品はまだ一部に過ぎませんが、最近一つ気になることがあります。

昔の小説には、「魂」や「精神」という言葉が、霊的なものという意味ではなく、人間の内面を語る言葉として、ごく自然に登場しています。(理屈では抑えきれない、自分の中にある「性(さが)」のようなものです)

例えば、ドストエフスキーの『罪と罰』やモームの『月と六ペンス』です。

『罪と罰』では、ラスコーリニコフが、自分の思想と内側から湧き上がる恐怖や不安の間で苦しみます。
『月と六ペンス』では、ストリックランドが、家族や仕事、社会的な立場を捨ててまで、自分が本当にやりたいことを追いかけます。
こうした作品を読んでいると、「自分は何を信じるのか」「自分はどう生きるのか」といったことを表現するときに、「魂」や「精神」という言葉が、今よりも身近に使われていたのかな、と思います。

もちろん、昔の人のほうが自分の内面を深く考えていた、ということではありません。
今の小説にも、人間の心の動きを深く描いた作品はたくさんあります。
ただ、「魂」や「精神」という言葉自体は、今よりも昔のほうが身近だったように思います。

では、今の私たちは、自分の内側にあるものを何と呼んでいるのでしょうか。
「自分らしく生きたい」
「本当にやりたいことが見つからない」
そんな言葉を、今はよく耳にします。
実際に自分の周りを見ても、そうした悩みを抱えている人は、少なくないように感じます。
自由に生き方を選べるようになったからこそ、何を選べばいいのか分からなくなる。
そんなこともあるのかもしれません。

もしかすると、昔の人が「魂」や「精神」という言葉で向き合っていたものを、今の私たちは「自分らしさ」や「やりたいこと」という言葉で探しているのではないでしょうか。
言葉は変わっても、「自分は何を大切にしたいのか」「どう生きたいのか」という悩みは、案外、昔も今も変わらないのかもしれません。

名作文学を読んでいると、何十年、何百年も前に書かれた作品なのに「これ、今の自分にも分かるな」と思う場面があります。(だからこそ長い時間を経ても読み継がれているのかも)
新しい発見や学びだけでなく、今につながる人間の普遍的なものを感じる、それも読書の面白さの一つなのかもしれません。

皆様のおすすめの一冊がありましたら、ジャンル・時代問わず、何かの機会にぜひ教えてください。

今週は翻訳部よりお届けしました。

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ハイキャリア編集部

テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

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