INTERPRETATION

第150回 通訳者のいでたち

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

「全財産、ジャラジャラとつけて行かないように」

これは私が通訳学校に通っていた頃、先生がクラスに対して述べた一言です。通訳者がどのようなファッションをすべきかという話題になったときでした。

「黒子」とよく言われる通訳者ですので、確かに黒いスーツに身を包む人は多くいます。移動も多いので、パンツスーツの方が歩きやすく、ストッキングの電線も気になりません。工場見学の際にはスリッパに履き替えますので、紐靴やブーツよりも、すぐに脱げるパンプスの方が無難です。

通訳者としてデビューしたころのこと。私はある現場にスカートスーツで出かけました。案内されたのは、ある企業の来賓室。広々とした部屋にはソファや低めの長机がありました。

しかし、いざ腰かけてみるとソファは深々としており、上半身が後ろに反れるほどだったのです。スカートでしたので、気が気でなりません。しかもテーブルは低すぎるので、膝の上にノートを置くも不安定。さらに、出されたお茶は蓋付湯呑。蓋がなかなか開かず難儀しました。そのようなことから、今一つ通訳に集中できなかったのです。

以来、通訳業務に集中できるような環境を作り出すべく、今でも工夫を続けています。そこで今回は、通訳者のいでたちをテーマに3つのポイントをお伝えしましょう。

1.香りに敏感になること

同時通訳の場合は狭いブースに複数の通訳者が入ります。その時に気をつけたいのが「香り」。香水や衣類の柔軟剤など、あまりきつすぎないことが肝心です。ある柔軟剤の広告には「香りの感じ方は人それぞれです」と注意書きがあることからも分かるように、自分では良しと思ってもそう感じない人がいるのですよね。

また、前夜や当日の食事も気をつけたいところです。ニオイのきついメニューは避ける必要があります。特にウィスパリング通訳のときは、業務前のラテも香ってしまいます。歯磨きやうがい薬、マウススプレーなど、携帯用の物を持ち歩くと安心です。

2.アクセサリーの音に注意

長めのネックレスはジャラジャラと音がするだけでなく、何かに引っ掛かり、切れてしまう恐れがあります。ブース内でひっかけてパールがバラバラに・・・となったら悲しいですよね。イヤリングも揺れるタイプのものはマイクが音を拾います。一方、固定タイプのイヤリングの場合、ヘッドホンで耳に押し付けられて痛みを感じるかもしれません。現場で取り外したイヤリングはポーチに入れておくなど、紛失防止も考えておくと良いでしょう。

ブレスレットやリングも同様です。音がする、あるいはメモ取りの際に机にあたって痛いということがありますので、本番前に余裕を持って取っておくことをお勧めします。

3.意外と見られている姿勢と歩き方

たとえば国際セミナーの場合、半日あるいは丸一日等、密度の濃いハードな業務となります。パートナーと協力しながら基調講演やパネルディスカッション、質疑応答などを終えてマイクのスイッチを切るときは本当にホッとします。

けれども気をつけたいのが「帰り道」です。終了した安堵感から、ついパートナー通訳者と大きい声で話したり、あるいは疲労ゆえにぐったりとした姿勢で会場を後にしたりということになりかねません。

会場付近には参加者も多くいます。部屋後方の通訳ブースの中にいた通訳者を本番中に見ていた方も少なくないのです。姿勢や歩き方など、自宅に戻るまでは何とかシャキッとしていたいと思います。

数年前に、人は見かけが大事といった内容の本が書店に並んでいました。その一方で、「人間は外見ではない。中身こそ大切」という考えももちろんありますよね。けれどももし「いでたち」が良い方向に作用するのであれば、意識するに越したことはありません。

中学生のころ、上下ジャージ姿の先生が多い中、一人だけいつもきちんとスーツ姿の男性教員がいました。非常に厳しい先生でしたが、私のクラスのいわゆる「悪ガキ男子」たちも、この先生の言うことだけは素直に聞いていたのです。装いがその先生の指導理念や生き方を表していたのかもしれません。社会人としてどうあるべきかを考えるとき、中学時代を私はよく思い出します。

(2014年2月3日)

【今週の一冊】

「校長という仕事」代田昭久著、講談社現代新書、2014年

今回ご紹介するのは、杉並区立和田中学校で校長を務めた代田昭久氏の本。和田中と言えば、リクルート出身・藤原和博氏が初の民間人校長として話題になった公立中学である。代田氏もリクルートを経て自ら起業し、藤原氏に見込まれて後継者となった。

私自身、二人の子どもを小学校で学ばせる親として、学校という組織には関心がある。以前PTAのお手伝いもしたことから、子どもたちの教育環境をより身近に感じる。先生方や学校の職員のみなさんが本当に尽力してくださるおかげで、子どもたちを安心して預けられるのだ。そのことを心からありがたく思う。

本書は中学校の校長先生というのがどのような職種なのか、民間人出身である代田氏の視点から描かれている。読み進めてみると、その業務が非常に多岐に渡り、また、多忙を極めることがわかる。校長先生だけではない。学校の先生というのはとにかく忙しい。しかし、どれほど慌ただしい日々であっても、心の底には「子どもたちのために」という思いが強くある。だからこそ献身的になってくださるのであろう。

日ごろ世界のニュース通訳に携わっていると、内戦や差別に関する報道に触れることが多い。教育はおろか、基本的な生活さえ保障されていない子どもたちが世界にはたくさんいるのだ。その一方、ほぼ無償で教育が受けられ、身の危険を感じることなく、しかも給食まで出してもらえる日本の公教育というのは奇跡のように思う。そのことに感謝し、保護者としてどう学校と関わるべきかをこれからも考え続けたい。そのきっかけを本書から感じることができた。

Written by

記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

END