第267回 子どもが泣きわめいて困ったときに思い出す詩
子どもって泣きわめきますよねえ。
あの小さな身体のどこにそんなパワーがあるのかと思うほどに、泣きわめいて必死に暴れる姿を見ていたら、水たまりの詩を思い出しました。
泣きわめくような子ども時代は一瞬で過ぎ、同じように、水たまりも一瞬で消えていく。そんなことを思い浮かべながら、読んでみてください。
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Spring Pools
Robert Frost
These pools that, though in forests, still reflect
The total sky almost without defect,
And like the flowers beside them, chill and shiver,
Will like the flowers beside them soon be gone,
And yet not out by any brook or river,
But up by roots to bring dark foliage on.
The trees that have it in their pent-up buds
To darken nature and be summer woods –
Let them think twice before they use their powers
To blot out and drink up and sweep away
These flowery waters and these watery flowers
From snow that melted only yesterday.
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春の水たまり
ロバート・フロスト
森の木々のあいだの 水たまりが映すのは
欠けることのない空のほぼ全て
そばで咲く花々と同じように冷たく震えている
同じように水はすぐに消えてなくなる
小川や河川に流れこんでいくのではない
根っこが吸い上げ うっそうとした葉を茂らすのだ
固く閉じた芽に貯めた水は
鬱蒼と暗い茂みになり 夏の森を作り上げる
ちょっと考えてみよう 木々が猛威を振るう前に
奪い尽くし 飲み尽くし 消し去る前に
花を映す水を 水を吸った花を
その水はつい昨日生まれた雪解け水だったのだ
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水たまりと、春と夏の対比によって、この詩が言いたいことをまとめると、こうなると思います。
春の森のキラキラした水たまりやたまり水は、すぐに消えていく。それは、川に流れこむからでなく、森の木々に吸い上げられるからだ。春という繊細な存在は、夏という強力な力にあっという間に駆逐されていくのだ!
These pools that, though in forests, still reflect
The total sky almost without defect,
森の木々のあいだの 水たまりが映すのは
欠けることのない空のほぼ全て
この詩の中の「水たまり」は、はかなく繊細で、すぐに消えてしまうもの全般の象徴になっていると感じます。
すぐに消えてしまうものと言えば、朝焼けの赤、好きになるときの淡い気持ち、天真爛漫な子ども時代。そして、水たまり。
まず、地面の水たまりがあって、ワサワサと葉が茂る森の中にありながら、水たまりの鏡のような水面に、木や葉っぱは映りこまず、きれいに空だけが映っているという奇跡!そして、その奇跡のような水たまりはすぐに消えてしまう。
というか、こういった小さな奇跡に目を向けて、それを詩にするという、詩人の感性が素敵すぎます。
And yet not out by any brook or river,
But up by roots to bring dark foliage on.
小川や河川に流れこんでいくのではない
根っこが吸い上げ うっそうとした葉を茂らすのだ
水たまりやたまり水は、普通に考えたら、川に流れ込んでいくと思うわけですが、そうではなくて、木の根っこによって、猛烈に吸い上げられて消えていくのだと言います。
考えてみると、水たまりと同じように、天真爛漫な子ども時代って奇跡のような時間だなと思うんです。
はしゃぎまわったり泣きわめいたり、大人はその瞬間は疲れ果てたりうんざりしたりするのですが、奇跡のようなその時間はあっという間に過ぎてしまうもの。早く終わらないかなと思っていたイヤイヤ期は、振り返ってみれば愛おしい瞬間として、時の流れのなかで消えていってしまいます。
そんな純粋な子ども時代は、水たまりが川に流れ込むのでなく森の圧倒的力に吸い上げられるのと同じように、ただ自然に消えていくのでなく、学校や友だちやSNSといった大きな社会の力によって奪われていくのかもしれないと思ってしまいます。
確かに、たまり水によって木々の葉が茂るのと同じように、子どもも知識や経験を身に着けていくのですが、それに比例して、森の中にあってきれいに空が映っている水たまりを見ても感動しなくなっていくものですよね。
Let them think twice before they use their powers
To blot out and drink up and sweep away
These flowery waters and these watery flowers
From snow that melted only yesterday.
ちょっと考えてみよう 木々が猛威を振るう前に
奪い尽くし 飲み尽くし 消し去る前に
花を映す水を 水を吸った花を
その水はつい昨日生まれた雪解け水だったのだ
森の中のたまり水は、繊細な雪解け水で冬の贈り物です。そのきめ細かく繊細な存在は、猛烈な森の力であっという間に吸い上げられ消し去られます。
この比喩を読んで、胸がズキッと痛む人もいると思うんです。
子どもの天真爛漫な好奇心はSNSやネット動画に奪われるものだし、細やかな配慮の上に作りあげたビジネス企画は組織の論理でつぶされるものだし、ひっそり育んでいた淡い初恋はクラスのみんなにはやし立てられて消えてしまうものだし、地道に細々続けてきた商店は大型ショッピングセンターに駆逐されるものだし、独自の繊細な感性で作り上げたアートは市場原理の中でその思いを削がれていくもの。
イヤイヤ期の子どもが泣きわめく姿は、大きな森に吸い上げられる繊細な水たまりのように、大きな社会に飲みこまれてしまう前の一瞬の輝きなのだ!そう思えたら、泣きわめく子どもも愛おしく思えるでしょうか。
思えない?泣きわめかれている瞬間は、そうはいかないですよねえ!がんばろう!
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今回の訳のポイント
森の中の水たまりは、雪解け水でできた繊細な存在で、それは夏の圧倒的な力によって吸い上げられ、一瞬で消えてしまうもの。
それは、季節の移り変わりだけではありません。春の森の水たまりのように、それ自体は強くキラキラしているはずなのに、社会や組織といった大きな力によって、その力を奪われてしまうもろく繊細な存在がこの世にはさまざまに存在しています。
そんなことを考えさせる詩の最大のポイントは、冒頭にあります。
These pools that, though in forests, still reflect
The total sky almost without defect,
森の木々のあいだの 水たまりが映すのは
欠けることのない空のほぼ全て
この2行に並べられている言葉だけを見て、茂る森と、その地面に光る鏡のような水たまり、そして、その水面にはワサワサした葉は映らずに、空だけがきれいに映っていると、果たしてイメージできるでしょうか。
「森の木々のあいだ」や「欠けることのない空」としか言わずに、枝葉や木々がゴソゴソ密生していて、水たまりに空を映すのは邪魔になる、ということを一切説明しないのですが、詩人にはそのすべてが見えているんですよね。
詩であれ絵画であれ映画であれ、アーティスト自身はすべてを説明しないけどイメージできるひとにはイメージできるというのは、アートを楽しめるかどうかの基準になる気がします。
Let them think twice before they use their powers
To blot out and drink up and sweep away
ちょっと考えてみよう 木々が猛威を振るう前に
奪い尽くし 飲み尽くし 消し去る前に
そして、この詩のテーマでもある、ひっそり地道な存在は、大きな力によって一瞬で消し去られてしまうというメッセージ。
言葉の世界においても、世界に6000以上あるとされる言語のうち半数が消滅の危機にあると言われています。ひっそり地道に歴史を生き抜いてきた伝統や文化そのものが、言語が消滅することで、失われてしまうのです。それは、ある意味で、人類の歴史にとって危機の時代でもあるのです。
泣きわめく子どもと、水たまり。それだけでこんなにも深く考えさせられるとは!