第266回 性格が正反対のひとに会ったときに思い出す詩
正反対の性格。まるで磁石のN極とS極のように、異なる者同士。
楽観的なひとと悲観的なひと。外向的なひとと内向的なひと。理想主義的なひとと現実主義的なひと。
新緑の五月。小川の土手に腰かけていたら、正反対のふたりを描いた詩があることを思い出しました。五月の小川と、性格が異なるふたりに何の関係があるのか、まあ読んでみてください。
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Song (She Sat And Sang Alway)
Christina Rossetti
She sat and sang alway
By the green margin of a stream,
Watching the fishes leap and play
Beneath the glad sunbeam.
I sat and wept alway
Beneath the moon’s most shadowy beam,
Watching the blossoms of the May
Weep leaves into the stream.
I wept for memory;
She sang for hope that is so fair:
My tears were swallowed by the sea;
Her songs died on the air.
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うた(そのひとはいつもそこに腰を下ろし歌っていた)
クリスティーナ・ロセッティ
そのひとはいつもそこに腰を下ろし歌っていた
草葉の川辺で
水面に跳ねる魚たちを眺めながら
朗らかな陽の光を浴びて音色を響かせていた
自分はと言うと そこに腰を下ろし泣いていた
弱く儚い月の光の下で
五月の花を見ていたら
涙を流すように花びらが水面に落ちていった
わたしは過去を振り返り泣く
彼女は未来への希望を歌う
わたしの涙は小川を流れて海に飲みこまれる
彼女の歌は空に消えてゆく
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明るく歌うそのひと。暗く涙を流す自分。性格は異なるふたりだけど、どちらの思いも海や空に消えていく。
相手、自分、まとめ。この順序で描く三部構成が見事です。
She sat and sang alway
By the green margin of a stream,
Watching the fishes leap and play
Beneath the glad sunbeam.
そのひとはいつもそこに座って歌っていた
草葉の川辺で
水面に跳ねる魚たちを眺めながら
朗らかな陽の光を浴びて音色を響かせていた
明るく朗らかなひとには、新緑の小川が良く似合いますね。しかも、川辺に腰かけて何をしているかと言えば、歌を歌っている!現実にはあり得ないくらいのまぶしい明るさを放っています。そりゃあ、魚もぴちぴちと水面で跳ねそうです。
自分はそれを木の陰か何かから見ているというのが、いいですよね。考え方も行動様式も異なる者同士で分かり合えないこともあれば、自分にはないものを持っている相手に対して、憧れのようなものを抱き、惹かれ合うこともありますよね。
I sat and wept alway
Beneath the moon’s most shadowy beam,
Watching the blossoms of the May
Weep leaves into the stream.
自分はと言うと そこに腰を下ろし泣いていた
弱く儚い月の光の下で
五月の花を見ていたら
涙を流すように花びらが水面に落ちていった
自分はと言うと、泣いている。しかも、ほの暗い月夜の晩に!
このイメージから、考え方も行動も正反対なふたりの様子がよく分かります。同じ小川に来ても、魚がぴちぴち跳ねる相手に対して、自分は花びらがはらはらと舞っていく。
自分も相手も同じものを見ていても、考えることやどう行動するかは必ずしも同じではないわけです。
I wept for memory;
She sang for hope that is so fair:
わたしは過去を振り返り泣く
彼女は未来への希望を歌う
このふたり、徹底的に逆ですよね。自分が見ているのは過去で、過ぎ去ったことを思い泣いてしまう。彼女の方は、これから訪れる未来への希望を歌う。
ここまでであれば、単にふたりの性格は正反対だという話で終わるのですが、最後の二行に深~いメッセージがあります。
My tears were swallowed by the sea;
Her songs died on the air.
わたしの涙は小川を流れて海に飲みこまれる
彼女の歌は空に消えてゆく
自分の涙は小川に運ばれて海に消えてゆく。彼女の歌は明るいけれど、最終的には歌声は空に消えてゆく。つまり、決して戻らない過去も、全く予想がつかない未来も、どちらも思いの行き先はなく、答えは見つからないんですよね。
希望という言葉のトーンは明るいけれど、実際は、そこは小川で、歌を歌ったところで誰かが聞いてくれるわけではなく、歌声もはかなく空に消えていってしまいます。明るい性格のひとに思えて、実は寂しさを抱えているのではないかと、ここで思い至るわけです。
それで思ったんです。外面的に現れる行動の裏で、誰しもくすぶる思いを内に抱えているよなあと。
人目を引こうとイキっている若者は、誰かに自分を分かってほしいという寂しさを抱えていて、それを隠すために虚勢を張ったりするわけだし、いつも元気で明るい同僚が、実は不安や悩みを抱え込んで燃え尽きそうだったのだと、突然気づかされることもあるし、いつも静かで穏やかで朴訥とした印象の友人が、実は熱い思いを胸に抱いていて大胆な行動をとることもあるし。
一見すると正反対に思える性格の持ち主であっても、過去を思って泣くにしろ、未来を思って歌うにしろ、届かぬ思いを抱えているのは、誰しも共通である。そう思うと、もっともっとひとにやさしくなれそうな気がします。
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今回の訳のポイント
正反対の性格の持ち主を描いたこの詩。最大のポイントは、タイトルです。
Song (She Sat And Sang Alway)
うた(そのひとはいつもそこに腰を下ろし歌っていた)
何がポイントかと言うと、Sat という単語です。
もちろん英単語の sit は「座る」という訳があるわけですが、ふと思ってしまったんです。
この詩でふたりは川べりの草地か土手に座っているのですが、もしタイトルを「そのひとはいつもそこに座って歌っていた」として、何の脈略もなく「座る」と言われると、部屋かどこかで椅子に座っているイメージになってしまうなと。
「座る」がダメなら「腰かける」はどうかと考えて「そのひとはいつもそこに腰かけ歌っていた」とすると、「腰かける」という言葉の響きから、「よっこらしょ」という声が聞こえてきてしまったんです。これでは、せっかくのロマンチックな詩が台無しです。
そこで、椅子でなく草地の地面や土手の斜面に座るイメージに近い言葉はないかなと、頭の中で辞書をペラペラめくっていたら、出てきました!
「腰を下ろす」が!