INTERPRETATION

捨てる勇気

柴原早苗

通訳者のたまごたちへ

ハイキャリアをご覧のみなさま、こんにちは。リレーブログ月曜担当「かの」こと、柴原早苗です。2年以上ブログを続けてきましたが、今日から実名で新しいコラムを担当することとなりました。どうぞよろしくお願いいたします。

 プロフィールに関しては「AKKOのプロに聞く」第40回でもご紹介いただきましたが、現在私は放送通訳業をメインに、会議通訳、翻訳、映像翻訳、通訳学校講師、および英語雑誌の連載を担当しています。家族は夫と長男(6歳)、長女(4歳)の4人。あわただしいながらも仕事と育児、家事を楽しんでいる毎日です。

 さて、第一回目のテーマは「捨てる勇気」です。数年前に『「捨てる!」技術』という本がベストセラーになりましたよね。私の持論は「向上するためには捨てる勇気が必要」というものです。具体的に見てみましょう。

 みなさんの中で、「英語学習を一生懸命やっているものの、伸び悩んでいる」、あるいは「通訳者としてデビューしたいけれど、どうして良いかわからない」とおっしゃる方は少なくないと思います。そうした迷いを克服する最善の方法、それが「捨てる勇気」なのです。

 たとえば社会人として日中は仕事をしつつ、夜や週末は通訳学校に通っている方。毎回の宿題をきちんとこなし、単語帳も作り、精一杯やっているけれど、なかなか進級できない状況が続いていませんか?そういうタイプの方は、根本的に時間の使い方と勉強の仕方を見直す必要があるのです。

 日本人は非常に几帳面であり、小中高時代、きれいなノートを作ることがよしとされる中でみなさんは過ごしてきました。ですのでそうしたやり方を忙しい今でも実行しようとしているのではないでしょうか?多忙な毎日なのに、通訳学校の教材にきちんと色分けして単語の意味を書きこむ、構文には定規で線を引く、教材をきれいにノートに張り付けるなどなど。このような作業に膨大な時間をかけるタイプです。もちろん、そういった手作業をしながら実力をつけているのであれば、問題ありません。しかしそうした几帳面な方に限って、成績で伸び悩んでしまうのです。

 この対策としては、まず進級や実力向上のために自分が何をすべきか、とらえ直すべきでしょう。調べた単語は殴り書きする、けれどそれと同時に英英辞典を引いてその定義も書き込むとか、ノートに教材を糊づけすることはやめて、その分、関連文献を読んでみるといった方法です。つまり、浮いた時間でどんどん応用力を広げることにより、英語力をアップさせていくのです。注ぐべき努力のピントを合わせる、ということです。

 デビューに関しても同様のことが言えます。「子育てが一段落してから」「子どもが小さいからやっぱり午後3時に終了する仕事がいい」「まだ実力が伴わないから」など、「現場に出ないための言い訳」はいくらでも考えられます。でも自分にとって最適な条件というのは、決して、決して到来することはありません。これは私自身の経験から言えることです。たとえ実力に不安を覚えても、家庭の条件が整っていなくても、みなさんの今の実力を元にどんどん現場に出て社会に貢献してほしい、というのが私の願いなのです。みなさんの英語力を「自分だけの宝物」にするのではなく、それを使って世の中の役に立っていただきたいのです。

 いざデビューすれば、家事も育児も完ぺきではなくなります。部屋にはホコリがたまり、手抜き料理の頻度も増えるでしょう。今まで通っていた趣味のお稽古ごとを休まざるを得なくなり、見たいテレビも見られなくなるかもしれません。つまりこれまで自分が持っていたものを捨てること、そして捨てる勇気を持つことによって、通訳という仕事を得られるようになるのです。さらにみなさんは通訳という仕事を通じて、今まで知らなかった新しい世界を見ることになり、その素晴らしい経験を自分のものとして蓄積していけるようにもなるのです。

 私自身、捨ててきたことはたくさんあります。勉強関連で言えば、単語帳作成や新聞スクラップ、読書記録などを長年続けてきたものの、最近はますます時間切れとなってしまい、必要最低限になってしまいました。でも後悔はしていません。なぜなら、そうした習慣をやめたり軌道修正したりすることは敗北ではなく、新しいことへのステップだからです。

 みなさんも、何かを得るためには捨てる勇気が必要であることをぜひ心の中に留めてみてください。そしてどんどん実力をつけて、通訳翻訳業の世界に羽ばたいていってくだい。

(2008年4月1日)

Written by

記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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