第272回 夏空を見たときに思い出す詩
夏空。
この言葉を聞いただけで、何とも言えないノスタルジックな情景が心に浮かびますよね。
どこまでも青い空。もくもくした白い雲。風に揺れる緑の草。じりじり灼けて汗ばんだ肌。
夏空にこんなにもグッと来るのはなぜだろうと考えていたら、ある詩を思い出しました。
その名も「夏空を見ること」という詩なのです!
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To see the Summer Sky
Emily Dickinson
To see the Summer Sky
Is Poetry, though never in a Book it lie —
True Poems flee —
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夏空を見ること
エミリー・ディキンソン
夏空を見ること
それは詩を味わうこと と言っても本の中の詩じゃない
本物の詩は 逃げていく
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詩と言うと、本に印刷された詩を読むことと考えがちだけれど、そうではない。夏空を見ている瞬間こそが、詩を味わうこと。逃げるように刻一刻姿を変える空は、本に留めることはできない。
詩人が言う「本物の詩」は、変化する瞬間を味わうことなのだと!
To see the Summer Sky
夏空を見ること
「夏空」という言葉ひとつで、何か胸に感じるものがありますよね。
To see「見ること」と言っていて、see というシンプルな単語にノスタルジーを感じ、また、「見る」という動詞で大きな夏空の景色の中に没入できる感覚があります。
Is Poetry, though never in a Book it lie —
それは詩を味わうこと と言っても本の中の詩じゃない
夏空を見ること自体が詩という体験である。味わうその時間は本に留めることができない。詩と言えるようなグッとくる瞬間こそ、言葉や本にすることはできない。
詩人自身が、そう言い切るのがカッコいいですよね。
True Poems flee —
本物の詩は 逃げていく
なぜ詩的な体験は言葉や本にできないのかと言うと、空や雲や風は一瞬ごとに姿を変えていくから。
詩にしたくなるような特別な景色や感情は、その瞬間に目に映ったり心に浮かぶものであり、捕まえようと思っても逃げていってしまって、言葉や本にして留めることができないものなのです。
そう考えてみると、文学も音楽も映画も写真も、そういった自分が感じた美しい瞬間を、なんとかして形あるものにして残そうという必死の営みなのかもしれないと思えてきます。
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今回の訳のポイント
夏空を見る。何とも言えないノスタルジックな感情を感じる、その体験そのものが詩なのだと、この詩は主張しています。
たった三行の短い詩の中に、夏空への思いのすべてが、シンプルな言葉でギュッと濃縮されているのですが、ポイントは最後にあります。
True Poems flee —
本物の詩は 逃げていく
大きな空を流れていく雲や、その時に感じる風や揺れる草や、背中でジトッと感じる汗。その流れる時間や体験のすべてが詩的な体験なので、言葉として留めることができない。そういう美しい瞬間はあっという間に過ぎ去っていく。
英語には、elusive という単語があって、このように「実体がなく捉えどころがない」ことを表す定番の言葉です。
しかし、詩人エミリー・ディキンソンは、大胆でユニークな言葉のチョイスが真骨頂で、flee「逃げていく」と言っています。
「本に留めておくことができない」という意味を、詩を擬人化して「逃げていく」というひと言で表す。そのことこそに、詩らしいカッコよさを感じます。
通り過ぎてゆく時間。その一瞬一瞬を味わうこと。
それが詩なのだと言われると、夏空の切なさが胸にグッと一層こみ上げてきませんか。