第271回 童心に返りたくなったときに思い出す詩
童心に返る。
子どもの思いつきと行動の速さは、神がかっていますよね。あることをしていると思ったら、次の瞬間にはもう別のことをしている。
その爆発的な躍動感と暴力的な疾走感に翻弄されていたら、童心そのものと言える詩があることを思い出しました。
*****
The Morning Walk
A.A. Milne
When Anne and I go out a walk,
We hold each other’s hand and talk
Of all the things we mean to do
When Anne and I are forty-two.
And when we’ve thought about a thing,
Like bowling hoops or bicycling,
Or falling down on Anne’s balloon,
We do it in the afternoon.
*****
朝の散歩
A.A.ミルン
アンとぼくは出かけると
手をつないでおしゃべりする
あれもこれも絶対しようねって話す
ぼくたちが大人になったらねって
そんなわけで思いついたらすぐ
たとえば輪っかや自転車で遊んだり
アンの風船に乗っかったり
午後にはやるんだ
*****
好きなことを、好きなときに、好きなだけする。子どもの無邪気なパワーが炸裂していますね。
When Anne and I go out a walk,
We hold each other’s hand and talk
Of all the things we mean to do
When Anne and I are forty-two.
アンとぼくは出かけると
手をつないでおしゃべりする
あれもこれも絶対しようねって話す
ぼくたちが大人になったらねって
子どもが手をつないでお散歩する姿は、本当に微笑ましいですよね。手をつなぐことに深い意味はない素朴な年ごろの無邪気さにほっこりします。
あんなことしようこんなことしようと思いつくままに話すわけですが、子どもらしいのが「絶対しようね」という言い方。
英語での mean to do 「絶対しよう」は、ただの思いつき以上の意図をもってやろうという気持ちを感じさせます。
「思いつきでしたい」というふんわりした want to do とも、「手筈を整えてやろう」という秩序だった plan to do とも、「できるといいいね」という運任せな hope to do とも異なる絶妙なトーンですよね。
And when we’ve thought about a thing,
Like bowling hoops or bicycling,
Or falling down on Anne’s balloon,
We do it in the afternoon.
そんなわけで思いついたらすぐ
たとえば輪っかや自転車で遊んだり
アンの風船に乗っかったり
午後にはやるんだ
あれもこれもしようねと言う中身は何かと言うと、輪っか転がしに自転車に、風船に乗っかること。
さすが子ども!
そんなことを朝に思いついたら、いつそれをやるか。もちろん、その日の午後!この思いつきと行動の速さ!
さすが子ども!
*****
今回の訳のポイント
子どもらしい思考と行動の疾走感に溢れたこの詩。作者は「くまのプーさん」で有名な A. A. ミルンで、無邪気さを表現するのが、さすが上手です。そして、この詩の最大のポイントは「大人になったらね」にあります。
When Anne and I go out a walk,
We hold each other’s hand and talk
Of all the things we mean to do
When Anne and I are forty-two.
アンとぼくは出かけると
手をつないでおしゃべりする
あれもこれも絶対しようねって話す
ぼくたちが大人になったらねって
思いついたことをいつやるのかと言うと、「大人になったら」なのですが、英語では forty-two「42才」となっています。これを「42才になったら」と直訳すべきか悩みます。
結論としては、大人という将来のことを指すために便宜的に「42才」と言ってみただけで、つまり「大人になったら」というのが伝えたいことであろうと。
例えば、「夜更かしした」と伝えたいときに「2時まで起きてたよ」と言うのに似ています。実際には1時45分かもしれないし2時15分かもしれないけれど、とにかく遅くまで起きてたということを強調したいだけなんですよね。
この翻訳のずれは、特に映画やドラマの字幕でよくある現象かなと思います。英語ではおどけて「42才になったら」と言っていても、字幕は発言の意味・意図が伝わりやすいように「大人になったら」とかみ砕いた言葉にするという現象です。
とは言え、子どもにとっては、朝に思った「42才になったら」というのは、数時間後の午後のことになるので、もはや何だって良いのですが!