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オバマケア か オバケマニア か

アース

通訳・翻訳者リレーブログ

先日、日経新聞に載っていた「米市場が映すオバマケアの真価」という記事のタイトルを見て、「オバケマニアの真価」と読んでしまった人の数は、日本国内で恐らく100人を下らないのではないかと思います(数字に根拠ナシ)。

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わたしもそうでした。んあ?と思った次の瞬間に、「ああ、Obamaケアか・・」と思い直したものの、日々の翻訳業務のなかで、いったい何度似たようなことをしでかし、いったい何度気がつかずに納品したのだろう、と恐怖に打ち震えました。

というのはちっと大げさですけれども、言語を問わず、同じようなことを感じている翻訳者さんは多いのではないかと思います。何度見直しをしようと、正しいと思い込んで読めば、その文章は正しく見えてきます。Wordの校正機能を使えば、例えば「私はおなかがすすすいた」という文章では「すすす」の部分に赤線を引いてくれますが、「中銀が利上げに動く」を「中銀が利下げに動く」としても、気がついてくれません。役立たずっ!

え、そこまで求めるのは酷ですか? そうですか。
まあそうなんですけど。

字面は「利下げ」だけれども、頭のなかで勝手に「利上げ」に変換していて、モニター上ではもちろん、紙に印刷しようと、口に出して読もうと、読み上げソフトに読んでもらおうと、気がつかないときはぜんぜんまったく一向に気がつきません。口に出して読めば、かなりの確率で気がつくのですが、ダメなときはほんと何をしてもダメです。

わたしは金融翻訳が主な専門ですので、特に証券の価格や利回りに関する文章で、原文とは逆の日本語をつけてしまい、最後の最後にようやく気がつく・・という危うい場面がこれまでに何度かありました。あるいは、そのまま納品してしまい、翻訳会社さんが直してくださったことがあるかもしれません(怖)。

以上は単語単位のお話ですが、文章単位でも、とんでもない勘違いをしそうになることがあります。「字面は訳せている」つまり文法的にはまったく問題ないので、訳出後の日本語をさらっと読むと流してしまうが、しっかり読むと原文のニュアンスとぜんぜん違う文章になっている・・という恐ろしいケースです。

金融といっても様々な仕事がありますが、わたしの場合、よく依頼されるのが債券関係のリサーチやレポートで、これがまたややこしく、オバケマニア症候群(いま命名)にかかりやすいので、要注意です。

株式は、価格が上がるか下がるかだけなので、ある意味わかりやすい市場です。よほど複雑な運用手法でない限り、基本的に株価が上がればうれしいし、下がれば悲しくなります。

手法によってはその逆もあり得ますが、いずれにしても、文章全体から立ち上る空気が一貫していて、全体としてとらえやすく、最後に校正するときにも、間違いに気がつきやすいのです。

しかし債券は、債券自体の価格が上がることによる収益(キャピタルゲイン)と、利子による収益(インカムゲイン)の2種類があります。この2つの関係は、

・価格が上がれば、利回りが下がる
・利回りが下がれば、価格が上がる

ということ。例外はありません。

なので、価格が上がればうれしいかと思えば、利回りが下がるので悲しい。利回りが上がれば、たくさん利息がつくのでうれしいかと思えば、価格が下がるので悲しい。

(※これは、満期を待たずに売り買いする人々の話です。債券を満期まで保有すれば、元本に加えて最初に設定された利息が支払われるので、それはもちろんうれしいことです)

したがって、債券リサーチの文章では、著者がそのときの価格(利回り)の動きをプラスとマイナスのどちらで捉えているのか分からない、つまり文章の方向性がさっぱり見えないことがあります。

どれもこれも、わたしの知識の貧弱さが諸悪の根源なのですけれども。んなことわかってらい。

それはともかく。

例えば英語でmightやcouldが使われていた場合、「〜の可能性がある」とか「〜かもしれない」など、ニュートラルな表現で訳すこともできますが、明らかにマイナスのニュアンスを持つ文章であった場合は(例えば価格が下がって悲しいとか)、悲しい気持ちを前面に押し出して訳した方が、文章全体が流れることがよくあります。というより、そのようにして訳さないと、読者にとってはどっちつかずで、結局何が言いたいのか分からない文章になる可能性があります。

そう。これも「何が言いたいのか分からないから困りものだ」という気持ちを前面に押し出そうとするなら、「〜文章になりかねません」とか「〜文章になってしまいます」としたほうが、雰囲気が出ますよね。

このように、日本語には「〜してしまう」とか「〜しかねない」という、マイナスのニュアンスを含んだ実に便利な表現があり、全体に負の空気を持つ文章でこれらを使うと、なかなかにそれっぽい翻訳ができあがりますし、実際、理解しやすい文章になる、と思います。プラスのニュアンスを含む文章も、当然ながら同じです。

しかーし。

ある文章全体を、例えばプラス志向の文章だと思い込み、そのように訳し始めると、どの文章もプラスに見えてきてしまいます。couldやmightの解釈も自由自在。英語と日本語との対比に気を取られている最初の見直し段階では、まったく気付きません。最後の最後に、英語を忘れ(るよう努力し)て、日本語だけ読む段階に至ってようやく、途方もない勘違いと判明することも。

特に金融は納期が短いものが多いので、そうなったらえらいことです。冷や汗を流しつつ、時計をにらみながら、ひたすらマイナス志向の文章に変えていきます。語尾だけを変えれば良さそうなものですが、不思議なもので、文章の構造自体を変えないと、てんでおかしな流れになってしまうこともあります。

ま、そこまで大掛かりな思い違いはそうそうありませんで、ほとんどは言い回しを少し変えれば済む程度なのですが、それでも心臓に悪いことこのうえない。もしかして他の部分も同じように思い違いしていないかと、最後の瞬間まで息を止めて見直すはめになります。

それは単語単位の思い違いでも同じことで、一ヶ所でも大きなミスを犯していると、他でも何かやっているのではないかと、結局何度も見直すことになります。

何もなかったときも結

局同じ。以前、オバケマニア症候群の症状が出たときのことは鮮明に記憶に残っていますから、納品前は常に不安との戦いです。時給を自ら下げていることは分かっているのですが、といって見直しを怠って質の悪いものを出せば、いずれ仕事が来なくなることもまた明白。

見直しをどこまでやればいいのか、そもそも最初から勘違いしないようにできないのか。翻訳業を始めて何年にもなりますが、いまだにこれ、という解決策が見つかりません。

機械翻訳なら、「上昇」を「低下」と間違えるなんてことは絶対にないのでしょう。でもね。いまのAI(人工知能)ごとき、なんとな〜く悲しい雰囲気の漂う文章や、なんとな〜く浮かれポンチな文章なんて、ぜったい訳出できないでしょ? フン。

なので、わたしが生きている間は、たぶん仕事をとられることはないですよねっ。ねっ。

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記事を書いた人

アース

田舎の翻訳者。外国留学・在留経験ナシ。都会生まれの都会育ちだが、現在はド田舎暮らしで、ネットのありがたさにすがって生きる日々。何でも楽しめる性格で、特に生き物と地球と宇宙が大好き。でも翻訳分野はなぜか金融・ビジネス(英語・西語)。宇宙旅行の資金を貯めるため、仕事の効率化(と単価アップ?!)を模索中。

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