INTERPRETATION

第686回 なんでだろう?

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

私は幼少期から現在に至るまで、何度か海外生活をしました。よって、その間は日本の流行から遠ざかっていたのですね。私の世代であれば誰もが覚えているピンクレディーもリアルタイムで観たことがありません。ZARD「負けないで」が大ヒットしていた頃は留学していました。

さて、今回のタイトルは「なんでだろう?」。お笑いコンビのネタで有名でしたよね。ただ、私自身はこれが流行していた頃ロンドンのBBCで働いていたため、知らずじまい。今週のコラム内容に合うので拝借した次第です。

通訳の仕事をしていて「なぜ?」と思うこと、実は色々とあります。中でも私にとって不思議なのは「体力・体調と通訳パフォーマンスの出来不出来には相関関係が無い」という部分です。具体的に見てみましょう。

随分前のこと。大事な会議を控えていた当日、高熱を出してしまいました。休むわけにもいかず、とりあえず解熱剤を飲んで通訳現場へ。頭はもうろうとしていたのですが、自分が思ったよりも訳語はちゃんと出てきました。お客様にもお褒めの言葉を頂戴し、嬉しかった半面、体力的には限界でした。這う這うの体で帰宅したのち、体温を測ったら平熱に戻っていたのです。あれほどの高熱だったのに、気合で下がったのかと不思議に思いました。

かと思えば、こんなこともあります。

数週間前から通訳準備を開始。関連文献・動画もしっかりおさえ、単語リストもバッチリ作成。日英・英日の同通練習もひたすら行い、当日に備えました。「ここまでやったのだから、あとは本番ですべての力を出し切るのみ!」と意気込んで会場へ向かいました。

しかし!

なぜか冴えないのです、自分の訳出が。あれだけ備えたのに、知識も単語もインプットしたのに、訳語を度忘れしたり、瞬発力が追い付かなかったりという具合。もちろん、商品としての自分の価値を最大限クライアントさんにご提供するのがこの仕事ですので、何とか業務終了までは粘りました。けれども、自分としては実にモヤモヤ感だけが残る仕事となってしまったのです。

帰り道、私の頭の中はそれこそ「なんでだろう?」の大合唱。さらに「なぜ」「どうして」が歌詞に盛り込まれている歌を脳内で再生する始末。安全地帯(「恋の予感」)に杉山清貴&オメガトライブ(「SUMMER SUSPICION」)からサカナクションの「アイデンティティ」に至るまで、ただただ不思議という思いにとらわれたのでした。

そして私なりに出した結論。それは「人は機械では無いから、そういうこともある」というもの。スポーツ選手でも体調不良の中、好成績を残すこともありますし、その逆もしかりです。そこが「人間らしい」と言えるのでしょう。

でも、だからとて、商品としての通訳価値を下げることはできません。「及第点」をいかに現場で維持するか。それが求められる仕事だと思っています。

(2025年6月17日)

【今週の一冊】

「おしごとそうだんセンター」ヨシタケシンスケ著、集英社、2024年

数年前にロンドンを旅したときのこと。Design Museumのショップの一番目立つところにヨシタケシンスケさんの本がありました。あの「りんごかもしれない」の英語版です。日本だけでなく海外でも愛されているのですね。

さて、今回借りたのは「仕事」をテーマにした一冊。ストーリーはヨシタケさんならではの意外さにあふれています。宇宙人が地球に不時着してしまい、地球で生きることになり、仕事を探し始めます。そこでアドバイスをしてくれるのがユニークな職業相談所。ヨシタケさんらしい奇想天外な職業がページをめくるとどんどん出てきます。

相談所のスタッフさんのことばも励みになります。たとえば

「おしごとにかぎらず、どうしてもいっしょにうまくやっていけない人とは、はなれたほうがいい。
たとえそれが、かぞくであってもね。」

昔の日本では「耐えること=美徳」とされていました。でも時代も価値観も移り変わりつつあります。自分を幸せにすることが他者への優しさにつながるのですよね。

仕事や生き方について考えたい方に読んでいただきたい一冊です。

Written by

記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者、獨協大学および通訳スクール講師。上智大学卒業。ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2024年米大統領選では大統領討論会、トランプ氏勝利宣言、ハリス氏敗北宣言、トランプ大統領就任式などの同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラム執筆にも従事。

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