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フリーランスのタイムマネジメント:失敗例

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

月曜日。
朝起きて翻訳。食事を作って翻訳。娘を保育園に送って翻訳。大学に講義に行って帰って翻訳。倒れるように就寝。

火曜日。
寝たかと思ったら起きて3時からNHKに出勤。「おはよう日本」用の字幕作成などのお手伝いをしつつ、仕事がないときには寸暇を惜しんで学生たちの翻訳&英作文の添削。8時にシフトがあけたので、池袋に移動してさらに添削。授業をやって帰りの電車で添削。帰宅して翻訳。と、メールが入り、思いがけず、お世話になった方の恩をあだで返すような形になってしまっていたことが判明した。対応に苦慮。とりあえず事情を説明するメールを差し上げる。夕食の支度をしつつ翻訳。娘をピアノに連れて行って翻訳。メールに返信あり。気分を害されるのも仕方ないか。しかし、あちらを立てればこちらが立たぬ。誠心誠意対応に乗り出すしかない。都都逸の通り、「両方立てれば身が持たぬ」。体が二つほしいものだ。翻訳進み具合も気になるが、どうしてこう、手一杯のときを狙い撃ちするように困った事態になるもんかなあ。これも不徳の致すところでしょうか。う〜む。

水曜日。
翻訳や事態への対応などで、3時間弱の睡眠のままD大へ。授業前と昼休みに昨日の一件で担当者に連絡をするのだが、上手くつながらない。4コマ教えてA大へ。少しでも睡眠をとっておかねばまずいと思って、車中極力睡眠をとる。体力がかなり磨り減っている。幸い帰り道にも途中から座れたので、拾い寝。ドリンク剤をまとめ買いして帰宅し、夕食をとると昨日の一件について連絡をした後、翻訳。どうせ徹夜になるので、風呂にも入らずひたすら翻訳。1時間ごとにドリンク剤とビタミン剤を交互にとりつつ気合で進める。内容は面白い。とにかくその面白さを視聴者の皆さんに分かってもらう訳文を作りたい。その一念でガリガリとキーボードを叩きまくった。

3時半ごろ訳了。続いて見直し。うむ、まあ、こんなものだろう。続いて画面情報の記入に入るが、ここで集中力が切れる。モニターを見ているはずなのだが、ふっと意識が遠のき、何だかよく分からないことが心に浮かぶ。「ふーん、断眠実験で幻覚を見るって言うのは、きっとこのもうちょい先なんだろうな」、などと妙に冷静に考えているようだが、要はマイクロスリープに入ってしまい、夢を見ているらしい。幸い数秒間で覚醒するので、気合で乗り切ることにする。

一応ここから木曜日。
6時半過ぎに終了、納品。家族と朝食。シャワーを浴びて、息子を送り出し、妻を駅に、娘を保育園に送ってから自分も出勤。つり革につかまって立っていると、眠くてそのまま膝をガクンガクンさせて眠ってしまう。正面で座ったままお化粧中のお姉さんに、生ゴミでも見るような視線を飛ばされた。いやいや、お互い丙丁つけ難いマナーですなあ。

10時からアルクの「ヒアリングマラソン」の収録だ。細切れ時間を使って準備はしているものの、舌が回るかなあと思っていたら、案の定、日本語での説明で舌がもつれまくる。情けない。

午後はR大で講義をして、直後に電車に飛び乗り、別の大学へ。同時通訳ブースの設置に関しての会議で、結構盛り上がって楽しかった。帰路、駅への道を歩いていると、クリスマスのライトアップがきれいで、「ああ、子供たちに見せたら喜ぶだろうなあ」と思った。帰りの電車の中で熟睡。帰ってようやく一息ついた。が、本当に一息。こういう時に限って、翌朝はNHKの早朝勤務だ。NHKは勤務の希望を実際の勤務の1ヶ月以上前に出すので、その後に今回のように仕事が立て込んだ場合、こんな事態になることもある。それでも4時間近くは眠れるんだから、ああ幸せ幸せ。

木曜日。
「・・・何か、電話鳴ってるよ」という妻の声で目が覚める。いや、そういえばさっきアラームが鳴って、いったんは目が覚めたような・・・。

寝過ごした!

あああ、何てこった!慌ててNHKに連絡し、15分ぐらい遅れる旨を連絡する。タクシーに飛び乗って出勤し、心臓がドラムソロを奏でる中、3時15分ごろ通訳ルームに入り、「遅れてどうも済みません!」と言ったところ、誰もいなかった。

ら、ラッキー!今のうちに遅れを取り戻さねば!と思って超スピードで通訳の準備に入る。結果的にはかなり余裕を持って準備が出来て、胸をなで下ろした。

7時にシフトが終わって、コーヒーショップで朝食を取りつつ個人的な勉強をしていたのだが、さすがに眠くてたまらない。テキストを読み始めると、一行読み終える前に居眠りをしてしまう。参ったなと思ってコーヒーのLをお代わりし、何か心に引っかかるものがあって手帳でスケジュールをチェックして、やはり重大なことを発見。

ヒアリングマラソンの原稿締め切り、今日のお昼だった!

舌を焼きながらコーヒーを飲み干して、電車に飛び乗る。運良く座れたので原稿の校正を手帳にメモするのだが、途中からまた強烈な眠気に襲われ、原稿の準備をしているんだか、睡魔と闘っているんだかよく分からない状態になってしまった。

バン!と大きな音がしたので、ビクッと目覚めると、手帳が床に落ちている。もうだめだ。とりあえず睡眠をとろうと思って目をつぶった。考えてみたら、最初からそうするべきだったのだ。睡眠不足で判断力が落ちている。

ふと目を開けると、どこかの駅。ドアが閉まる音がして振り返ると、降りるはずだった駅名が、ゆっくりと目の前を通り過ぎて行った。しまったと思っても、もう遅い。結局予定より30分近く遅れて帰宅し、猛烈にキーボードを叩く羽目になる。何とか仕上げて納品。

興奮状態になってしまい、どうせ眠くないならと、妻と一緒にスポーツクラブでボディーパンプ30分。終わってシャワーを浴びつつハッと気付いたのだが、翌日は娘の幼稚園で、餅つきをするのであった。どうすんだ、こんなに体を痛めつけて。

帰宅して買い物。豆乳鍋を作ることにして、豆乳やら昆布茶やら、中に入れる具やら何やら買い込む。ようやく気楽に飲めるシチュエーションなので、叩き売り状態だったボジョレー・ヌーボーもどき(要するに、ボジョレー以外で作った今年の新酒)を買う。

普段は一家全員で食卓を囲むのだが、金曜日だけは特別に子供たちは居間でテレビを見ながらご飯を食べて良いことにしている。大人は積もる話をあれこれするわけだ。今週は妻も私もエピソードがてんこ盛りだったので、ドラえもんとクレヨンしんちゃんを横目で見ながら、大いに盛り上がった。

土曜日。
10時間近く、泥のように眠りこける。朝食を取って、8時半に幼稚園に。エプロン

をつけて、ひたすら餅をついてこねてついてこねてを2時間ほど。思ったより疲れなかった。一緒に来たお父さん方とのおしゃべりが楽しい。昼食をとって帰宅。あれこれやったあと、A大学文学会の会合に出席。NHKのリトル・チャロを監修されている佐藤良明先生が講演されるというので、それを聴きに行く。8月に番組にゲストで出させていただいたので、そのご挨拶も、と思ったのだ。

いろいろあって予定がずれ込み、講演はほとんど聞けなかったが、懇親会で15分ほど先生を独り占めしてあれこれお話をお聞きした。ソフトな印象の方だが、一本芯が通っていらっしゃるなあという印象。英語教育にウェブ発のパラダイムシフトが起きているという点は、本当にその通りだと思った。今まで以上に「身につけた英語を使ってどうするのか」を問うて行かねばならないと思う。

帰路についたところで携帯をチェックすると、メールが。先週日曜の空手の昇級審査で、息子が昇級を果たしたらしい!思わずニコニコして歩いてしまった。すぐ電話をかけて、おめでとうと言う。

途中、レンタルビデオ店でアニメ「のだめカンタービレ」のDVDの7巻と8巻を借りて、帰ってから一気に見たおす。一山越えたら見ようと思っていたので、実に楽しいひと時だった。中身そのものも面白かったし。

途中、ピアノを練習する主人公に向かって、「見えてこないか?この曲の情景が」とある登場人物が語りかけるシーンがあって、話を追いつつも暫く考え込んでしまう。

楽譜とじっくりと向き合うことで、作曲者の意図などがくみ取れるということなのだろうが、翻訳や通訳とも重なってくるなあと思った。「見えてこないか?この話の情景が」「見えてこないか?この文章の情景が」ということだ。それが「見える」時が確かにあって、確率的にそういうときには良い通訳や翻訳が出来ることが多い。

しかし、「見えた」と思ったものが考え違いであって、大誤訳をしてしまうこともままあるわけで・・・。それをいかに防ぐか、だろうと思う。

日曜日。
朝食を取って洗濯物を干したりした後、「題名のない音楽会」を見る。今回は詩人の谷川俊太郎さんと息子さんが出ていた。

谷川さんが「詩は理解するもんじゃない。味わうものだ」と言っていたのが印象的だった。ブルース・リーのDo not think. Feel.(考えるんじゃない。感じるんだ)という言葉に一脈通ずるものがある。

しかしあれだな、詩のテキスト分析なんて、出来るんだろうか。石原千秋さんの本をちょろっと読んだ時に、テキスト分析って、何てすごいんだろうと思ったのだが、あれは散文には応用可能でも、韻文に使うのは難しいんじゃないかなと思う。

あくまで「書かれていること」だけを使って文章を読み込んでいくというやり方は、通訳や翻訳で言うと、聞こえてきた言葉だけ、描かれている言葉だけを相手にするということになると思うのだが、通訳者としてはこの手法は否定したい。だって、表情やら口調やら、行間に込められたニュアンスなどは相手にしないということなのだろうから、それでは話者や著者のメッセージが十分にくみ取れるはずはないのだ。

ところが、石原さんの本にあった事例をみると、いろいろなことが見事にすっぱりと解き明かされている。それがすごい。いや、褒めたくないんだけど、認めざるをえないようなと言ったら良いだろうか。

いや、テキスト分析自体を全くよく分からないまま、印象で語っているのだが。少なくともウィキペディアの「テキスト分析」の項目ぐらいは読んでおこう・・・と思ったら、ないや。三森ゆりかさんの「外国語を身につけるための日本語レッスン」も、もう一度読み直しておかねば。

その後、一家で駅前の美術館へ。男の子チームは自転車で目的地に向かい、バスを利用した女の子チームが到着するまで、美術館前の公園で空手の「平安初段」という型の練習などをしていた。

建築に関する特別展を見たが、軒並み企業の宣伝ブース的な展示で、ちょっと何だかなあと思った。面白いことは面白かったのだが、「特殊なガラスファサードの外部側スキンはセラミック焼付け倍強度ガラスを使用したリブガラス工法によるフラッシュサーフェイスなガラススクリーンである」とか言われてもねえ。文系人間には呪文にしか聞こえないぞ。誰か解説してください。あまりの分からなさに思わずメモって来たものの、自力で解読する気力がわかない。

帰宅して、近くの両親宅で昼食。直後に猛烈な睡魔に襲われ3時半過ぎまでソファーで寝てしまった。帰って夕食の準備やら洗濯物たたみやらをやって、入浴、夕食。佐渡さんのDVDを見る。今回は指揮者がいかに楽譜から作曲者の意図をくみ取るかということで、昨日から考えていたことと、奇妙にかぶる内容だった。これも一種のシンクロニシティーかな。

うっ。考えてみたら、今日は真珠湾攻撃があった日だなあ。だから何、と言われると言葉につまるけれど、数十年前の今日、数え切れないほどの人の運命を変える事件が起きたのだなあ、しかもそれは、今ではほとんど意識されなくなっているのだなあ、と思う。

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記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

END