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価値観 この厄介なもの

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

結局のところ、誰もが自分の考えが正しいと思っている。もちろん中には謙虚極まりない方もいるだろうが、自分の方針を打ち立てねばならない必要性に迫られた場合、自分なりに「これが正しい」という考えを持たざるを得ない。

問題は、その考えに「いや、それは違うと思う」という反対意見が出てきたときにどうするかということだろう。肝心なのは、どれだけ自分の意見を相対化できるかだ。自分では絶対的と思っていた価値観が、数ある考え方の一つでしかないとなった時、さてどうするか。

理想的には、新たに出てきた意見と自分の意見をすり合わせて、取るべきところは取り、捨てるべきところは捨て、結果的に自分の考えをより良いものにしたいところだ。

しかし実際はどうか。自分自身でも指摘された問題点を感じながらも、自説がいかに正しいか、相手の主張がいかに根拠にかけるかという論陣を張ってしまったりする。水掛け論から泥仕合に終始して、肩で息しながら自分の言動を後悔しても、もう遅い。

様々な本も読んでみたし、経験者の話も聞いてみた。しかし、どれもこれも自分が関わっているケースには上手く当てはまらなかったり、実行してみても効果がなかったり。そういうものだとは頭では分かっているものの、どう対処したら良いのか頭が痛い。

一つのことに対して複数の人間が判断を下す以上、価値観の衝突は避けがたいのだから、なるべく有意義な結論を導き出したいものなのだが、よくよく考えてみると、枝葉末節まで考え尽くして出た結論ゆえに、途中から幹を見失っていたということもありうる。

最大公約数的なもの、別の言い方をすると最低限これだけはというものを決めて対処するしかないのだろうか、というのが今日のところの結論だ。

まあ、大上段に振りかぶってみてはいるものの、要は何が言いたいかというと、子育ての悩みなのだが。

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記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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