BLOG&NEWS

トンボ帰りのシンガポール(後編)

かの

通訳・翻訳者リレーブログ

 帰国日の日曜日。念願の友人に再会。薬のおかげで小康状態を保ってはいるものの、やはり彼女の境遇を思うと私は言葉が出なかった。なのに彼女はユーモアと笑顔を絶やさず、心から再会を喜んでくれている。むしろ勇気づけられたのは私の方だった。
 おりしも今年の青年の船は日曜日がシンガポール出航日。かつて私と彼女がお世話になったホストファミリーが、私たち親子のために入船許可証をとってくれていた。港ではホストファミリーと12年ぶりの再会。出向前のオープン・シップで中を見学した。しばらくすると、かつての参加青年たちがどんどん集まってきて、さながら船内は大同窓会になった。
 12年ぶりの船内はすこし内装が変わっただけで、基本的には昔のまま。参加当時の記憶がよみがる。ああ、ここでみんなと英語で議論したな、ステージで和太鼓をやったっけなどなど、忘れていたことが次々と思い出されたのである。一方、わが家の子ども達は豪華客船に大喜びだ。
 出港式典のあと、いよいよ船が岸から離れていく。テープが投げられ、埠頭に残された私たちがテープの端をつかみ、見送った。12年前は船上で見送られる立場だったが、今回は見送る側になったのである。汽笛の音とともに客船「にっぽん丸」は姿を小さくしていった。
 私たち親子の帰国便はその数時間後の日曜深夜。なのに皆、最後の最後まで一緒にいてくれた。翌日は月曜日で仕事があるはずなのに、一緒に空港まで来てくれて遅い夕食をとり、ゲートまで見送ってくれたのである。
 今回の滞在中、仲間たちは私がお財布を出そうとすると「いいから、いいから。僕たちが持つから」と言って、払わせてくれなかった。子どもたちが疲れればさっと抱きあげてくれるなど、とにかく至れり尽くせりの二日間だった。
 息子と娘は、私の友人たちの子供らとあっという間に仲良くなり、日本語で堂々とコミュニケーションしていた。空港での別れ際は本当に名残惜しそうで、「何でもっと長くいないの?どうして?」と私に詰め寄った(?)ほどだ。帰国してからも息子は「シンガポール行きたいなあ。ねえ、春休みに行こうよ〜」と早くも次の日程を計画し始めている。
 今回、12年ぶりの再会にも関わらず、ここまでもてなしてくれた仲間にはただただ感謝あるのみだ。私も今後、彼らが来日したらぜひ歓迎したいと思っている。人をもてなすというのは、こうして心を込めることなのだろうな、と感じた週末だった。最後に、闘病中の友人が一日も早く回復することを願ってやまない。

Written by

記事を書いた人

かの

幼少期を海外で過ごす。大学時代から通訳学校へ通い始め、海外留学を経て、フリーランス通訳デビュー。現在は放送通訳をメインに会議通訳・翻訳者として幅広い分野で活躍中。片付け大好きな2児の母。

END