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鬼になるべきか?

かの

通訳・翻訳者リレーブログ

 今月も残すところあと1日。今週金曜日の節分に続き、4日には立春が控えています。
 子供を育てていると季節の行事に敏感になります。わが家の子供たちが通っている幼稚園や保育園では月ごとの歌があり、工作も季節にちなんだもの、たとえばクリスマスならリース、ひな祭りならお雛様などを製作して子供たちは帰ってきます。2月の大イベントはもちろん豆まき!本格的に「鬼は〜外!福は〜内!」と掛け声をかけます。子供たちが落ちた豆を大喜びで拾って食べているのを見ると、自分自身の幼少期を思い出します。
 鬼といえば日本の昔話には鬼がたくさん出てきます。たとえば桃太郎の鬼退治、一寸法師に登場する鬼などは有名ですし、今でも秋田県のなまはげは年中行事になっています。広辞苑を引けば鬼のつく言葉や慣用句がたくさん出てくるところをみると、それだけ日本人にとって鬼は神秘的でありながら身近なものなのかもしれません。
 ところで教え方において「鬼コーチ」と「やさしいコーチ」、いったいどちらが良いのでしょう?それで思い出すのはこれまで習ってきた先生のことです。幼稚園から大学まで、そして社会人になってからの通訳養成所など、私自身実に多くの師と出会いました。小学校1年の担任は年配の怖い先生でしたし、小学校3年の担任には毎日日記を書かされ、提出しないと厳しいコメントがありました。一方、中学2年の国語の先生からは夏休みの課題として原稿用紙30枚のレポート作成。「書けるわけない!」とヒーヒー言いながらも何とか書き上げ、それが結果的には「やればできる」という自信になったのを覚えています。こうしてみると厳しい先生の方が私にとっては印象的なようです。
 最近は子育てに関しても「褒めて伸ばす」という考えが主流になっていますし、近所の雷オヤジも見かけなくなり、いわゆる鬼コーチなどもあまり聞かなくなりました。しかし子供が少なくとも義務教育の間はある程度の厳しさや緊張感も必要のように私は思います。こと勉強に関する限り、厳しさの中で学習の方法や習慣を身につけさせることにより、大人になってから「自立した学習者」になれると思うのです。もちろん、厳しさの中にも愛情は必要ですし、教師がロールモデルでなければいけません。私自身、教える立場にいる者として、鬼とまではいかないにしてもどのように生徒さんを導くべきか、常に考えているところです。

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記事を書いた人

かの

幼少期を海外で過ごす。大学時代から通訳学校へ通い始め、海外留学を経て、フリーランス通訳デビュー。現在は放送通訳をメインに会議通訳・翻訳者として幅広い分野で活躍中。片付け大好きな2児の母。

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