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第275回 海に行きたくなったときに思い出す詩

にしだ きょうご

今日をやさしくやわらかく みんなの詩集

夏と言えば、海。

海が家の目の前にあれば、いつだって海に行けるのになあ。

木や建物しか見えない窓の外を見ながら、そう考えていたら、「海?すぐそこにあるじゃん!」と言う詩を思い出しました。

すぐそことは、いったい海はどこにあるのか。まあ読んでみてください。

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My Garden—like the Beach
Emily Dickinson

My Garden—like the Beach—
Denotes there be—a Sea—
That’s Summer—
Such as These—the Pearls
She fetches—such as Me

*****

庭は砂浜みたいなものだから
エミリー・ディキンソン

庭は砂浜みたいなものだから
すぐそこにある気がする 広い海が
海は夏
真珠は夏の宝物
わたしも夏の宝物

*****

庭という小さな日常空間を見て、その向こうに大きな海があると感じられる詩人の想像力がすごいですね。

庭は海で、海は夏。夏と言えば真珠で、自分も真珠のような存在であるという連想が素敵です。

庭=海=夏=真珠=わたし。

この強烈な方程式を読み解いてみましょう。

My Garden—like the Beach—
Denotes there be—a Sea—
That’s Summer—
庭は砂浜みたいなものだから
すぐそこにある気がする 広い海が
海は夏

目の前にある小さな庭を見ながら、その先にある広い海を思い描く。そう感じられるのは、やはり詩人ならではの感性ですよね。

そのイメージは、海だけにとどまらず、もっと大きな存在である「夏」にまで広がっていきます。

しかし、庭を見て、なぜ海や夏のことまで感じられるのでしょう?

それは、庭は小さな自然で、その中に、たくさんの季節の気配が詰まっているからなんです。庭に目を向けてみると、草花が咲いていたり、小さな虫が動いていたり、空の色が移り変わっていたり、雨が降っていたりしますよね。空の様子や、通りすぎる雨や風や雪、全部その季節ならではの贈りものなんです。

だからこそ、庭を眺めているだけで、その向こうにある海の広がりや、夏のあたたかさまで感じられる。そんなふうに自然とつながっている感覚は、わたしたちの中にもあるはずです。

Such as These—the Pearls
She fetches—such as Me
真珠は夏の宝物
わたしも夏の宝物

She という言葉は、狭い意味では「夏」のこと。でも、もっと広く見れば「自然そのもの」を指しているとも言えます。

そんな夏や自然が fetch「取ってくる」のは、真珠のような宝物たち。ここでは「真珠」が代表例として登場していますが、それだけではなく、誰もがいろいろな「夏の贈りもの」を思い浮かべることができるはずです。

たとえば、さんさんと降りそそぐ太陽の光や、木陰を吹き抜ける涼しい風。青空にゆっくり浮かぶ大きな積乱雲。すいかをかじったときの甘酸っぱさや、ふわっと漂ってくる蚊取り線香の香り。

こうして想像を広げていくと、「庭=海=夏=真珠」というつながりが、だんだんと心の中で形になってくる気がしませんか?

そして詩の最後では、「わたしも夏の宝物」と語られます。

つまり、夏や自然というのは、自分から遠く離れたものではなくて、「自分もその一部なんだ!」という感覚がそこにあるからなんです。

たとえば、砂浜に寝転がって、背中に熱い砂を感じながら、まぶしい日差しをまっすぐ見上げるとき。裸足で川に入って、ゴツゴツした石の感触に足を取られそうになりながら踏ん張っているとき。遠くで雷の音が聞こえたかと思ったら、急にザーッと夕立がやってきて、その音やにおいに包まれるとき。

そんな瞬間、わたしたちは確かに自然の中にいて、自然とひとつになっていると言えます。そう考えると、「庭=海=夏=真珠=わたし」という公式が、じんわり胸にしみてきませんか?

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今回の訳のポイント

この詩の核心にあるのは「目の前の半径5メートルの景色から、もっと大きな世界へ連想を広げる」という詩人の感性です。

そんな詩を訳すうえで一番悩んだポイントは、「海」という言葉でした。そこには、日本語と英語での「海」観の違いと、a/the の問題が含まれているんです。

My Garden—like the Beach—
Denotes there be—a Sea—
庭は砂浜みたいなものだから
すぐそこにある気がする 広い海が

英語では beach「砂浜」とsea「海洋」をきっちり区別して使うのですが、日本語ではどうでしょう?たとえば、日本語で「週末、海に行こう」と言うとき、たいていは、砂浜で遊んだり海にちょっと入ったり、それら全てまとめて「海」と言いますよね。そうすると、「砂浜」と「海」をわざわざ分けて訳すのは、ちょっと不自然に感じてしまったんです。

それで今回は、「広い海」と訳すことで、手前の「庭」や「砂浜」のような身近で小さな空間と、その先に広がる「海」という大きな存在との対比が、よりはっきりと伝わるかなと思いました。

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そしてもうひとつ、見逃せないのが英語の the Beach と a Sea に使われている冠詞、the と a の違いなんです。

文法的にはよく「the は特定できるもの」「a は特定できないもの」と言われますが、特定できる・特定できないの線引きは、海に関して言うと、「境界線」が鍵になります。境界線がはっきりしていれば特定できるので the、境界線がはっきりしなければ特定できないので a と考えます。

たとえば、the Beach は、砂浜と海のあいだに波打ち際という境目があって、「ここまでが砂浜だよね」とはっきりわかるので the になります。[

一方で a Sea は、どこまでも広がっている海には終わりや境界線もないように感じられ、特定なんてできない。そう思ったときには a にするんです。もちろん、そうでないときは the sea とするわけで、ある単語に対して a/the のどちらを付けるか決まっているわけではないのです。

というわけで、ただ無駄に「広い海」と訳したのではなく、英語のたった一文字 a に込められた「境界線が感じられないくらい広い」というイメージを日本語にして伝えたいと思ったからなんです!

…と、そんなふうに悩みに悩んでつけた訳でしたが、どうでしょう?この感覚が伝わればとてもうれしいです。

Written by

記事を書いた人

にしだ きょうご

大手英会話学校にて講師・トレーナーを務めたのち、国際NGOにて経理・人事、プロジェクト管理職を経て、株式会社テンナイン・コミュニケーション入社。英語学習プログラムの開発・管理を担当。フランス語やイタリア語、ポーランド語をはじめ、海外で友人ができるごとに外国語を独学。読書会を主宰したり、NPOでバリアフリーイベントの運営をしたり、泣いたり笑ったりの日々を送る。

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