第276回 人前で泣いたときに思い出す詩
人前で泣いてしまうことありますよね。
周りの目が気になるけれど、それ以上に、押し寄せる感情に涙が止まらなくなってしまう瞬間。
そんなときに思い出す詩があります。「亡霊」という詩なのですが、亡霊と人前で泣くことにどんな関係があるのか、まあ読んでみてください。
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The Ghost
Walter de la Mare
Peace in thy hands,
Peace in thine eyes,
Peace on thy brow;
Flower of a moment in the eternal hour,
Peace with me now.
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亡霊
ウォルター・デ・ラ・メア
安らぎは汝の手の平に
安らぎは汝の瞳の中に
安らぎは汝の額の上に
永遠中の一瞬に咲く花
安らぎを今私のもとに
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「亡霊」というタイトルのとおり、この詩をまっすぐ読めば、たしかに「死」についての詩と言えます。
亡くなった誰かは、永遠のやすらぎの中にいる。生きている時間は、ほんの一瞬で、咲いたと思ったらすぐに散ってしまう花のよう。その短い時間の中で、大切な人やものを失った私たちも、やっぱりやすらぎを求めてしまう。
そんな詩だと思っていました。
でも最近、ふとこの詩を思い出した瞬間があったんです。それは、人前で思わず泣いてしまったときでした。
Peace in thy hands,
Peace in thine eyes,
Peace on thy brow;
安らぎは汝の手の平に
安らぎは汝の瞳の中に
安らぎは汝の額の上に
人前で泣くって恥ずかしいものです。でも、感情がおさえきれなくて、涙が勝手にこぼれてしまうことありますよね。わんわん泣いて、誰かと抱き合って、手を握って、そんな時間を過ごしているうちに、だんだん心が静まっていく。あの感じが。
まさにそんな瞬間をこの詩は描いている気がしたんです。安らぎが、言葉ではなく「触れること」や「見つめ合うこと」、「そばにいること」としてそこにある感じがしたんです。
空港で友だちと別れるとき。病室をただ手を握っているしかないとき。ライブで歌のすべてが心に響きまくったとき。友だちの結婚式でだれかが幸せを見つけた感動に震えるとき。
こうして考えてみると、人前で泣いてしまうような瞬間って、生きてると感じるときでもありますね。そういうときにこそ、人とのつながりがはっきり見えてくるものです。
手を握ってくれたぬくもり。涙をいっぱいためた瞳。「もう大丈夫」というゆるんだ表情。手は人とのつながりの接点で、瞳は心の窓で胸の奥の思いを垣間見ることができるし、額には気持ちが書いてあるものです。
Flower of a moment in the eternal hour,
Peace with me now.
永遠中の一瞬に咲く花
安らぎを今私のもとに
「永遠」という言葉は「死」を連想させ、咲いてはすぐに枯れてしまう花は「生」の象徴。すぐに枯れてしまうからこそ、命は愛おしい。
何かや誰かを失って心がぐしゃぐしゃになったときに、「それでも、少しだけやすらぎがほしい」と願う気持ちが描かれています。それは、人としてとても自然なことです。
乱れた心に「安らぎ」が欲しい。このか弱さ、心細さこそが人間らしいなあと思います。
それで思いだしたんです。
ひとしきり泣いて、ちょっと気持ちが落ち着いてきたときの感覚を。
思いっきり泣いたあとって、ふっと気持ちが軽くなった気がするんですよね。そのあとにあるのは、「安らぎ」で、誰かがそばにいてくれて、手を握ってくれて、体温を感じられて、そこには、あたたかさと、つながりがあるものだと。
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今回の訳のポイント
この詩が描いているのは、「亡くしたものを悼む」こと、「生きているこの一瞬の重みを噛みしめる」こと、「心の平穏を切実に願う」こと。
訳すうえでの最大のポイントは、タイトルです。
The Ghost
亡霊
「おばけ」だとちょっと子ども向けっぽくなってしまうし、「幽霊」だと怪談のようでホラーのようにもなってしまう。
でも、この詩に出てくるのは、もっとやさしく、静かで、心に残る何か。
Ghost は、生きている私たちの心と、もうこの世にいない誰かのあいだにある、「見えないけれど確かに感じられる気配」のこと。そうすると、「亡霊」という言葉がいちばんしっくりくるのではないかと思います。
詩人ウォルター・デ・ラ・メアは、児童文学や怪奇小説も書いた人物で、詩の言葉選びにもその影響が感じられます。ただ、自分にとっては、「思い切り泣きたいときに思い出す詩」などもあるように、泣きたいときに読みたくなる詩人になってしまっています。