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地球は広い〜なぁ〜美しい〜なぁ〜〜♪♪

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通訳・翻訳者リレーブログ

★海外へ行くと、色々な国の人々が、一堂に会する瞬間があります。
そんな時、どの国の人もみんな、“共通語”(=好むと好まざるとに拘わらず、現在それは“英語”ということば)で話しますが、輪に入らずその様子を眺めているだけ…という日本人が多い。その都度、“もったいないなぁ、せっかくみんなと意見交換できる、絶好の機会なのに”…と思ってしまいます。
対話の為の道具(=外国語)に自信がないのか、話したいこと(=内容)を持っていないのか、あるいは単にシャイな性格なのか…。

★“早期英語教育に反対”という意見を聞くたび、頭の中が疑問符で一杯になります。
だいたいこの時代に於いて、おまけに一応“先進国”と言われるこの国で、いまだに“必要か必要でないか”を論じている(そうしてその答えをまだ出せないでいる&今後も論じ続けるのであろう)こと自体、とても不思議でなりません。

★“英語の堪能な子供たちを育てると言うことは、自己主張ばかりする人間を増やすことになりかねない。それでもいいのか!”というようなご意見を、どこかで聞いたことがあります。
英語が堪能=自己主張ばかりする人?? だ…大胆なご意見……。

★話がちょっと逸れてしまいますが、“日本人も外国の人達のように自己主張すべき。それが国際人への道”…などと思い込み、自分の意見を言いたい放題…という人を、国内でよく見かけます。
その“国際人”ってなに? まぁそれはさて置き、外国の人たちは、もっとしたたか、駆け引き上手ですよ。つまり、いつどのような意見を言えば効果的か、失礼に当たらないか、その辺のことをちゃんと考えながら、みんな発言しています。自分の意見を持ちつつ、聞き上手でもある。周囲の空気も読まずに、思ったことを闇雲に言っているのでは、けっしてないと感じます。
思うことを主張することと、単なるわがままとでは、雲泥の差があります。

★“ちゃんと教育できる人材が少ない内は難しい”というご意見。
ごもっともであります。小さい頃に“ヘンな英語”を叩き込まれたら、それこそ迷惑な話、百害あって一利なしです。
しかし、それが分かっているのでしたら、“正しい英語”教育のできる教育者を、いかにして育成するか、そういう人材をいかにして集めるか、そういう環境をいかにして作るか、そういうことに早急に取り組んで頂けたら…と思います。

★“幼い頃から始めてしまうと、どちらも半端になってしまう”“母国のことを理解できない人に育ってしまう”といったご意見。
バイリンガル(&トライリンガル)の友だちが大勢いますが、みんなどの言葉も完璧に使いこなしています。そんな彼等に共通しているのは、幼い頃から2つ以上の言葉を同時に学んできたこと、そうして母国語がしっかりしていて、自分の国のことを、何処よりも深く愛している…ということ。
それに加え視野が広く、人種や文化に対する、先入観や偏見をもたない人が多い。

★デビューまもない“英語圏出身ではないアーティスト”(含むアジア圏の人々)に取材する機会が度々あるのですが、その彼等はみんな、“普通に”英語でインタビューを受けてくれます。
“凄いね、どうしてそんなに英語が堪能なの?”と聞くと、逆にみんなとても不思議そうな顔をします。“当たり前じゃないか。小学校低学年の頃から、第二外国語として英語を習っているんだよ!”…と。
そうだ、彼等がいつ頃から、どのような外国語教育を受けてきたのか、具体的なことを今度聞いてみよう。

★“幼い内は、日本語と日本の文化を学ぶことの方が大事”というご意見。
話が逸れてしまいますが、英語圏のことを妙に絶賛・美化し、生まれ育った国や同胞を、蔑視するような態度や発言をする人と、時々出交しますが、彼等の多くに共通するのは、それなりの年になってから、いきなり何処かの英語圏に、ほんの僅かな期間滞在しただけ…ということ。
何故なのでしょう。いつも不思議に思うことなのですが…。

★“幼い頃から英語を叩き込まれたら、英語が嫌いになる可能性が高い”といったようなご意見。
それは、嫌いになるような授業をしているからでしょう。“外国語ってこんなに楽しいんだ”…と思えるような授業を行なってくださいな。

★“将来英語を使わなければならない人は、ほんのひと握り。必要とする人が、必要となった時にやればいいだけの話”と言うご意見もよく耳にします。
仕事で必要に迫られ、勉強し始めた知り合いが何人もいますが、可哀相に、みんな悲鳴を上げております。頭は固くなっているし、時間は限られているし…で、大人になってからでは、やはり何かと辛い。確かに上手くこなしている人も、中にはいますが、でもそれは特別な才能を持って生まれた、それこそ全体のほんのひと握りの人でしょう。

★それに英語を学ぶのは、何も“英語を使う職に就く為”だけではけっしてないはず。例えば数学だって、そうでしょう? 別に数字を使う職に就く為だけに、小学校の時から算数の授業を受けるわけではありませんよね。
ひとつのものを学習することにより、未来へと繋がる取っ掛かりを得たり、可能性が広がったり。それだけでも、学ぶ意義は十分あると感じます。

★“外国語”を学ぶ機会を得ると、それが話されている国々や人々、そこの文化や習慣などに対する興味も、自然と湧いてくるもの。
と同時に、“外”とか“中”とか、“あっち”とか“こっち”とか、そういう壁や隔たりや優劣や、ヘンな意識もなくなりますし、“怖い”やら“しんどい”やらと、身構えることもなくなります。自分とは異なるものを、自然と受け入れられるようになります。
とにかく外に興味を持って、殻を破って、飛び出して、自分の世界を広げて!
こんなことを言うと、“今の時代みんながみんな、外に興味を持つ必要などない”…などと、誰かに一喝されそうですが…。

★外の世界に触れれば触れるほど、その魅力を知れば知るほど、いま居る世界の魅力にもまた、改めて気づかされます。

★“最近の人たちは、外に対する興味が減っている”と聞きます。海外留学や海外駐在を希望する人が、ここ数年の間に減っているとも。
おまけにその理由として、“日本語の通じないところは面倒”“日本食のない国はしんどい”ことを挙げるのだとか。嗚呼……。

★それで思い出しましたが、世界中の風景写真を切り取ることで知られる、友人の写真家が、レンタカーでアメリカの大地を取材する、ひとり旅から先日無事帰国。
“人生観が変わった”“小さいことなど、どうでも良くなった”“あんなに美しい瞬間は初めて観た。怖いくらいの感動だった”“地球上に、こんなにも美しい場所があるなんて。もう参りました”…などと、いつになく興奮していました。
そういう情景を目にし、空気を吸った者は、とても頼もしいし、中身も考え方も、人間としてのスケールも、まるで違う。視野が広いし、偏見もないし、先入観に捉われない生き方をしています。
そうして何よりも、仕事人として異彩を放っており、その勢いは止まることを知らない。
大自然の力は、計り知れないほどに、凄い。

★旅は、こころを膨らませます。人を成長させ、人生を豊かにします。何があっても動じない強さをもたらしてくれます。
何処でもいい、いま居る場所から飛び出して、色々な世界を観て、色々な人や文化に触れて、色々な思いを感じられたら…。そうしてできれば、若い頃から、この“旅ぐせ”を身につけられたら、すごく素敵だと思います。
人生観の変わるような情景に、どんどん出会ってみたいもの。

★それにしても、不思議でなりません。
ちょっと前までは、みんな何でも“外”に答えを求めようとしていたのが、今では興味の対象は“中”にあり、それで日々こころ満たされているかのよう。
国の形や情勢と共に、人の生き方や思いも変わりゆくもの。外のものばかりが魅力的に見えていた時代は、あれもまた極端でした。
しかし、いま居る場所に満足し、そこから動く気すら起こらないのは、何だかちょっと勿体ないような、寂しいような……。

★此処の向こうには、無限が広がっています。こんなに広くて美しくて面白いこの地球上で、小さくまとまってしまうなんて、もったいないゾ〜!

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記事を書いた人

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高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。

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