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あの日のこと

仙人

通訳・翻訳者リレーブログ

12年前、私はマーケティングの仕事にバーンアウトし、いくらか「ゆるめ」の生活をしていました。中目黒から日比谷線で人形町のオフィスに通勤していて、始発駅なのでいつも一電車遅らせて座席を確保し、人形町の出口に近い先頭車両のいちばん後ろの席に座りました。カリフォルニアにもあったオフィスのその日のことを報告してもらうため、いつも7時50分台の電車に乗っていました。あの3月20日、なぜか、ま、今日は立ったままで行くか、とホームに到着していた56分発の電車に乗り込んでしまいました。3分待てば座れるのに、あの日だけは次のを待たなかったのです。ホームにはいつもどおり、たくさんの人たちが整列していました。7時59分発の電車に乗る人たちでした。
記憶がはっきりしないのですが、八丁堀駅だったと思います、大きなブザーというかベルが鳴り電車から降ろされ、せっかく早い電車に乗ったのに、なんだよー、と不満たらたら、早く出て、ってどこに出るのよ、と意味がわからないまま地上に出ると、当時の営団の制服を着た職員さんが大勢歩いているのが、春の陽射しにのどかな雰囲気で、電車が止まってるのに、気楽に散歩してるわけ? と少しばかりの憤りを覚えたのが印象に残っています。オフィスについてから下の道路を見ると、あっというまに黄色の毛布で歩道が埋めつくされ、たくさんの人たちが寝転んでいて、やっと何かがすごくおかしいことに気づきました。ラジオやTVをつけて、アメリカ人の同僚に何が起きているのかを説明しつつ、「サリン」の発音はLなのかRなのか悩みました。
中目黒発の日比谷線でサリンが置かれたのは、7時59分発の電車で、私がいつも座る席の下でした。どこかの駅で、いちばんたくさんの死者を出した電車ともすれ違っていました。地下鉄の入り口から様子をうかがっただけでも、ずっと後遺症に苦しむ方もおられるのに、私は奇跡的にまったくガスに接触しなかったらしく、何の障害もありませんでした。それでも、何ヶ月かは地下鉄に乗るのが苦しく、便利な都内で車に乗るのは地球環境にとってよくないと思いつつ、東京でも自分の車を運転するようになりました。郊外の線から電車が地下に入った瞬間、過呼吸気味になったことも何度もあります。そして、あのホームで待っていたあの人たちの多くが、きっと今も後遺症に苦しんでいるのだろうと、3月20日を前にするといつも思います。
また通翻訳に関係ないことで、ごめんなさい。

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記事を書いた人

仙人

大学在学中に通訳者としての活動を開始。卒業後は、外資系消費財メーカーのマーケティング分野でキャリアアップ。その後、外資系企業のトップまでキャリアを極めた後、現在は、フリーランス翻訳者として活躍中。趣味は、「筋肉を大きくすることと読書」

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