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サクラ、サクラ

the apple of my eye

通訳・翻訳者リレーブログ

この週末は、花見。
お忙しくて桜の実物をご覧になれない仙人さん、桜を美しいと思えと強制されている気もすると仰る梅がお好きなgattobardo さんには申し訳ないけれど、やっぱり春は花見!

近所の公園で、息子の公園遊び時代の仲間たちと。
久しぶりに仕事を抱えていない週末は良いものだ。いや、正確には「切羽詰った納期の仕事を抱えてない」か。まあ、いいや。
合計10家族ぐらいが集まった。
子どもたちはみんな幼なじみ。オムツをつけてベビーカーで公園に来ていた頃からの間柄。その頃まだママのお腹にいた妹・弟たちもいる。春爛漫の公園で元気いっぱい駆け回る。
大人はシートを並べて座り込み、酒を囲む。
サラリーマンの花見とは違うので、誰に気を使うでもなく、和やかそのもの。
住宅街の公園なので周囲に大騒ぎする人もいない。

途中で、子どもの何人かが習っている英語教室の先生を、誰かが連れてきた。
ブライアンという名のコロラド州デンバー出身、29歳だそうだ。
日本に来て1年ちょっとというから、花見は2回目だろうか。
日本人がなぜこの季節になると、やや肌寒いのを我慢してでも桜の木の下に集まり酒を飲むのか、不思議だろう。

「ねがはくは花の下にて春死なんその如月の望月のころ」
有名な西行の歌だが、西行さん(と、祖母が呼んでいた)は1118年に生まれ1190年に没している。ちょうど平家の盛衰をその目で見た人にとって、桜が咲き満開になったと思うのも束の間、一夜の春の嵐で散ってしまうのを、数多くの歌(230首もあるとか)に残すのは必然のことだったのかもしれない。
「花に染む心のいかで残りけん捨てはててきと思ふわが身に」
出家した西行がこう歌わざるを得ないほど、桜は日本人の心をざわつかせるものなのだ。
これはもう、花見を cherry-viewing party などと英語で表現しようとしても、到底伝えきれない文化なんだなぁ。

西洋文化で日本の桜に匹敵する扱いを受けている花といえばなんだろう。バラかな。
様々な昔話に登場し、バラ戦争のように歴史も彩り、The rose is red, the violet’s blue……とマザーグースにも歌われ、バーボンの名前にもなっている。でも、rose-viewing party なんか、聞いたことがない。

歴史にも宗教にも関係のない庶民の行事、日本人が持ち続けてきた桜を愛でる心、春の到来を喜ぶ気持ち、大切にしたいものだ。

写真は箱根の桜。

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the apple of my eye

日本・米国にて商社勤務後、英国滞在中に翻訳者としての活動を開始。現在は、在宅翻訳者として多忙な日々を送る傍ら、出版翻訳コンテスト選定業務も手がけている。子育てにも奮闘中!

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