第349回 出版翻訳家インタビュー~安納令奈さん 前編
今回の連載では、久々に出版翻訳家インタビューをお届けいたします。デビュー後、コンスタントにキャリアを積み重ねられる方ばかりではありません。本が出せなくなって時間が経ち、あきらめかけている方もいるかもしれません。安納令奈さんも、失語症のような状態になり、キャリアを中断するご経験をされました。そこから回復され、今では翻訳のお仕事にも復帰されています。キャリアが途切れたときにどう再起できるのか、お話を伺いました。

安納令奈さんプロフィール:
大学卒業後、外資系企業や国際NGOなどで、広報・マーケティングに携わる。訳書に『世界で読み継がれる子どもの本100』、『帰りたい』(以上、金原瑞人さんと共訳)、『[ヴィジュアル版]歴史を動かした重要文書』、『グレート・リセット ダボス会議で語られるアフターコロナの世界』(共訳)、『いつかは訪れたい 美しき世界の寺院・神殿』などがある。
寺田:本日はよろしくお願いします。翻訳のお仕事を始められたきっかけについて、まずはお聞かせください。
安納(以下敬称略):アメリカ系の企業に勤めていた当時、たまたまTOEICの点数が良かったので、上司から翻訳が回ってくることが多かったんです。私はネイティブではないのですが、実務を通して翻訳を学ぶようになり、そこで経験を積みました。
当時は翻訳を仕事にする考えはありませんでしたが、会社を辞めてNGOで働いた後、翻訳会社に登録してみようと思いました。試験を受けて合格し、2002年から10年間、社内翻訳者として複数の企業を担当する実務翻訳の仕事を続けました。
本の翻訳、それもフィクションを手がけてみたい気持ちがずっとありました。ですが、入り口がわからず、いろいろな講座を受講してみたものの、居場所が定まらずにいました。
最初の翻訳書を出版できたのは、2012年のことです。知人にエージェントを紹介してもらい、試訳を出して選んでいただきました。ポップサイエンスの本(一般向け科学書)です。けれども、その後すぐには仕事が続かず、依然として居場所が定まらないままでした。
そんな中、2018年にTwitter (現X)で金原瑞人先生の「サバティカルに入るので、そろそろ翻訳を教えたくなった」というつぶやきを見かけ、応募して拾っていただきました。そこから金原先生のもとで1年間みっちり文芸翻訳を勉強しました。
1年で終わるはずだったのですが、金原先生がサバティカルを終えて大学が始まってからも、その講座を続けてくださったんです。コロナ禍の中断を経て復活し、そこでグループ翻訳や金原先生との共訳の形で、何冊か翻訳書を出版させていただきました。
寺田:絵本や小説など様々なジャンルの翻訳書を出版されていますが、どのような経緯で手がけられたのでしょう?
安納:金原先生の講座でいただいたお仕事には、大きく分けて2パターンありました。1つ目は、金原先生が出版社から依頼を受け、その中から勉強になりそうなものを選んでくださり、講座メンバーによるチームを作って翻訳を割り振るパターンです。2つ目は、自分でシノプシスを作って先生に見ていただき、先生がいいと思ったものを出版社に持ち込んでくださるパターンです。
寺田:シノプシスをお渡した後、それを持ち込むかどうかは先生の判断になるのでしょうか。
安納:はい。先生にシノプシスを見ていただくと、「ここはこうするといいよ」とか「ここがちょっとわかりにくい」とか、必ず赤でコメントが入ります。それをすべて出版社に提案するかというとまた別の話で、シノプシスの中から先生が「これは」と思われたものを出版社に打診なさいます。
寺田:基本的には、先生が持ち込みをされていたのですね。
安納:はい。それとは別に個人的に伝手を頼って出版社に持ち込むこともありましたが、企画を預かっていただくことはあったものの、うまくはいきませんでした。寺田さんの出版翻訳家デビューサポート企画をその頃から拝見していて、まだそこから粘るんだと知りました。少し早く引きすぎたのかもしれない、と。
ただ、先生が出版社に持ち込まれても、即OKになるわけではありません。それを知ったときは驚きました。
寺田:そうなんですよね。著名な先生からであれば企画が通るかのように思われがちですが、そうとは限らないんですよね。
安納:はい。特にコロナ禍以降の出版業界は、円安や紙不足の影響を受けています。仲間の優秀なシノプシスでも通らないのを見てきましたので、きびしさを身をもって感じています。
寺田:それでも順調にお仕事を続けてこられたのが、中断されてしまうんですよね。その時期のことについて教えていただいてもよろしいですか。
安納:コロナ禍に入っても、図書館が閉まっていること以外は翻訳の仕事には影響がなく、仕事ができていたのですが、2022年に父親がコロナで亡くなりました。当時は何もかもリモートに切り替わり、病院も行けなかったですし、いろいろな初めてづくしのなか、仕事のピークも重なりました。それでも「できる」と思っていたのですが、気づけばぜんまいが壊れた人形のようになって。ねじが止まったらパタンと倒れるように、心身が動かず、燃え尽きていました。
短くはないキャリアの中で初めて、一旦お引き受けした仕事をお断りせざるを得なくなりました。受けてから2日後に倒れてしまって……。今でも申し訳なく思います。タイミングからして先方のダメージは浅かったとも考えられますが、「受けた仕事はすべてまっとうする」という矜持があったので、まっとうできなかったこともすごくストレスで、そこから先はずるずると沼に落ちていくようでした。
あるときから、口がきけなくなりました。家族とはしゃべれるのですが、それ以外の人と話せなくなってしまったんです。友達から連絡が来ても、パソコンやスマートホンを開くのも億劫で、2行ほどの返信もできませんでした。おかしいな、とは感じていました。
引きこもっていて、まずい状態になっているのは自分でもわかったので医療機関にも行ったのですが、医師に症状を説明するにも口がきけない。筆談で意思疎通をしていました。言語機能がストップした状態になり、仕事を中断しました。
とにかく休むしかなかったです。文章も書けない状態が1年近く続きました。
寺田:外にも出かけずに、ずっと家の中に……?
安納:どん底のときには、寝ている私に家族が「行ってくるよー」と声をかけて「はーい」と返事をするのですが、帰ってきても朝からそのままの状態で動けませんでした。その間は窓の外の雲が流れるのを眺めたり、天井の影が変わるのを見たりしていました。
後になって、寺田さんが『うつの世界にさよならする100冊の本』で何日もお風呂に入れなかったと書いている箇所を読んで、他人事ではなく実感を伴ってわかりました。そのときはまだ這い上がっていなかったので、「寺田さんは今は人前で話しているのに、そんな時期があったのか」と驚きを持って読んだのを覚えています。でも、立ち直る自信なんてありません。状態には波があって、多少大丈夫なときは、YouTubeで『孤独のグルメ』とかを見ていました。難しいものは見ることができないので、他愛のないものを。コロナ禍の中、外食を扱っているこの作品を一種のファンタジーとして見ていました。リアルではないから、自分と結びつけずに見ることができたんです。「おいしそうだな」と流しながら、ひたすら見ていました。脳が働く状態になっていませんでした。
もう少し脳が働くようになってからは、バックギャモンというゲームをやっていました。元気な頃は友人を相手にたまに遊ぶ程度でしたが、ちゃんとやってみようと思ったんです。たまたま手元に教則本があったので、「今時間があるから、この機会にこれをちゃんと学んで、いっそギャンブラーになろうか。うまくなったらモンテカルロの世界大会に出られるかも」なんて妄想をしたりして……。朝から晩までバックギャモンをやっていましたね。アプリ相手なので、話さなくていいし。
もう少し元気になってからは、英文法のおさらいをするようになりました。1日2単元ずつくらいで、長くは続かないんですが……。波がありましたから、その波のレベルに合わせて、やれるときはやるし、やらないときは天井を見ている感じでした。
寺田:当時は文字を多少読める状態だったんですか。
安納:物語は一冊も読めず、絵本も受け付けませんでした。ページをめくる力もなかったんです。だからYouTubeみたいにポンと押したらエピソード1から12まで流れてくるようなのを見ていました。
寺田:動画に疲れてしまうことはなかったんですか。
安納:『孤独のグルメ』に関しては(笑)。込み入ったものは全然。あとはメンタルクリニックの先生が「引きこもりから脱するには」という話をしている動画を見たり、お坊さんの説法を見たりしていました。今振り返ると、ちょっと不思議なんですけど。
寺田:そんな状態から、金原瑞人さんの「創作表現論」のクラスに行こうと思えるようになるまでには、時間がかかりましたか。
安納:Lowの中でも緩やかな波があって、全然ダメなときは四方八方ダメなんですが、寺田さんが吉祥寺の書店で話をしたイベントには、出かけることができました。『うつの世界にさよならする100冊の本』を読んでいたので、寺田さんもかつて家から出られなかったお話がずっと頭にありました。
私の家から会場まで2時間半ほど。しかもその日は雨でしたから、「行きたいなぁ。でも、遠いなぁ」などと迷っていたんです。たまたま家人が休みで家にいて、「申し込んだんだけど雨が降っているからやめようと思う」と言ったら、「珍しく行きたいと思ってたんだから、行くべきだよ。君と同じ経験をしてる人の話なら、何か拓けるはずだよ」と言って吉祥寺までついてきてくれたんです。
イベントで寺田さんにお目にかかれた際に、「こうして(うつ状態から)戻れた人がいるのだから、自分も戻れるかもしれない」と初めて思えました。戻ることができた方に初めてお会いしましたし、「本」というキーワードが、手を離してはいけない、私の命綱のように感じていました。
その翌年に、金原先生があと1年で大学を退職されると知りました。プロの書き手を何人も輩出したという「創作表現論」は前から興味があった講座でした。当時はまだ寝込んでいたのですが、「今年がラストチャンスだとしたら、逃してはいけない」と思いました。でも病んでいますから、弱気です。「断られたらショックだし、聴講手続きも面倒だし……」と思って諦めかけたところを、翻訳仲間が「私も聴講したことがあります。絶対いいから行くべきです」と背中を押してくれて。ここでも家人に「それ、行きたかったやつだよね。行かなかったら一生後悔するよ」と言われました。先生に「聴講させてください」とダメもとでお手紙を書いたら「いつでもどうぞ」とお返事がきて、ほっとしたのをよく覚えています。
春から1年間、法政大学に通いました。聴講だけのつもりが、翻訳仲間の勧めもあり、課題作品の創作にも取り組むようになりました。
寺田:その頃には、調子の波はありつつも、ある程度書けるまで回復していたのでしょうか。
安納:まだ波はありました。でも、その波の底もLowからMiddleに上がっていました。きっかけは、通訳の仕事です。
横浜美術館のリニューアルオープンのこけら落としで、トリエンナーレの開催が予定されていて、ノルウェーのアーティストが来る機会があったんです。日本の素材である竹や木材を使って、サーミ族という少数民族ならではのアッサンブラージュを仕上げたいという話でした。家人は早期退職後に大工見習いをしていて、竹を扱うのが得意でした。そのご縁で技術指導の声がかかったものの、英語ができない、どうしようという話になりました。
私は言葉がまだ出にくい状態でしたが、英語をしばらく話していなかったことに気づき、「行ってみてもいいかもしれない」と思ったんです。美術館側がプロの通訳の方を手配していれば、美術の専門知識のない私に出番はないでしょうが、竹や大工道具のことなど、家人の仕事のことは身内にしかわかりませんから。
実際に通訳をしてみてわかったのですが、言語で人格が変わることってありますよね? 日本語でうじうじしているのとは別の人格が出てきて、ノルウェーの方たちともとても仲良くなり、オープンマインドで冗談を言ったりするようになって、気持ちが通じる喜びを味わいました。そうしたら、Lowの状態からMiddleの上くらいにぐんと気分のレベルが上がったんです。
「言葉が戻るのかもしれない」というときに、金原先生の講座の聴講のタイミングが来て、その波に乗りました。書けるかどうかはわかりませんでしたが、とりあえず通ってみることにしました。
寺田:課題をこなすのは大変だったのでは?
安納:毎回お題が出て、それを翌週に提出することになっていました。「今年でラスト」ということが毎回頭にあり、1度も休まず、なんとか全課題を出しました。それまで引きこもっていたのに、往復で5時間かかる場所に通えるか不安はありましたが、行く先がキャンパスだったので乗り越えられました。学生に交じって通うのが楽しくなり、運動にもなるしで、いい循環がそこから始まりました。
寺田:どのくらいの規模の講座なんですか。
安納:大教室に受講生は約70人で、そのうち聴講生が5、6人です。
寺田:十数名くらいのゼミをイメージしていたのですが、大人数の講座なんですね。
安納:そうですね。ただ、毎週、講義が終わった後に、先生と聴講生とでお昼を食べながらいろいろ話をする時間があって、それが実質的に私にとってはゼミのようになっていました。後期には「創作表現論」だけでなく、金原先生の原書講読の講座にも通うようになりました。
金原先生はお忙しいのに、「忙しいオーラ」を出さないんですよね。オープンに研究室に招いてくださるんです。そんなときも決して上の空ではなく、わたしたちがとりとめのない質問をしてもその一つひとつに向き合って、返してくださいました。
研究室には壁を埋めつくほどの本があり、自由に手に取ることができました。本の並びを見れば、どんなことをされてきたのかとか、人となりや嗜好がわかるじゃないですか。自分がまた本の翻訳を手がけられるか先が見えなくとも、壁一面に本が並ぶ空間に通い続けたことが、ある種のブックセラピーになっていたと思います。本に始まり、本に終わった1年でした。聴講生仲間には、歌人の服部真里子さんや、本屋をやりたいという夢をかなえ、alnwick books(アニックブックス)という古書店をオープンした方もいて、そういう方々からも刺激をもらえました。
寺田:すごくいいものをたくさん浴びて戻られたんですね。
安納:はい。どん底に落ちたこと、時間ができたことが、こんなふうに幸いするとは夢にも思いませんでした。オフにすると決めなければあり得なかった時間です。意味があったんだ、と今なら思えます。
寺田:『STORIES Vol.1』によると、回文も熱心につくっていらしたんですよね。金原さんのブログでも紹介されているのを拝見しました。創作を通して変わったことはありますか。
安納:読んでくださって、ありがとうございます。あります。最初は「どうしてこんな人生になっちゃったんだろう」という自分の内面にばかり気を取られていて、過去のトラウマを吐露しがちでした。そんなことを書いても面白くないとはわかっていたのですが……。先生にはきびしいことは言われませんでしたが、可もなく不可もなく、といった評価が戻ってきました。
そうやってひと通り吐露したら、「どうせなら楽しんでもらわないと」と気持ちが切り替わったんですね。それで先ほどお話ししたノルウェーの方たちとの交流を書いたら、先生から「ほぼ満点の出来」とのコメントをいただきました。そこから面白くなってきて、読み手である先生に楽しんでもらえるかを念頭に置いてお題をこなせるようになりました。締切があって想定読者がイメージできたら私にも書ける、という手ごたえを感じました。
後編では、最新の翻訳書『後世に伝えたい 世界の名作おとぎばなし』を中心に、翻訳の再開についてお話を伺います。どうぞお楽しみに!
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