INTERPRETATION

ニューオーリンズでの学会

木内 裕也

Written from the mitten

 毎年欠かさずに参加している学会の1つに、National Council for Black Studies (NCBS)という学会があります。名前の通り、アフリカ系アメリカ人の歴史や文化、社会を専門とする研究者の集まりで、今年はニューオーリンズで開かれました。ニューオーリンズは数年前にハリケーンが大きな被害を出したことが日本でも話題になりました。

 ルイジアナ州にあるニューオーリンズは海のすぐ近くであり、大きな川も流れています。ハリケーンの影響で川の堤防が壊れ、莫大な被害が出ました。アメリカ政府の対応が遅れたことや、ニューオーリンズは他のアメリカの都市にもまして人種や収入格差によって住民の居住地が分離されていたことから、天によってもたらされた人災として記憶されています。またスーパードームなどに避難をした人々の姿や、腰や胸まで水につかりながら避難をしている人々の姿を覚えている人も多いかと思います。

 それから数年たち、順調に復興活動が行われています。昨年は別の学会でニューオーリンズに行きましたが、そのときにもかなりの復興がされていました。しかし貧困層はニューオーリンズを追われ、富裕層がきれいな建物を建てているという現実もあります。町並みを見る限りでは、今の町並みのほうがきれいな感じもしますが、その影にはハリケーンによって家を失っただけではなく、それまで住んでいた地域に住むことすらできなくなった人々がたくさんいるという事実を忘れることはできません。

 ニューオーリンズは黒人音楽の街でもあります。ブルースやジャズの発祥地ともいわれ、バーなどに行くとあちらこちらでライブのコンサートが行われています。またFrench Quarterと呼ばれる一帯は文化的にも非常に豊かな地域です。私が行ったのはSt. Patrick’s Dayの翌日で、まだそのお祭りの様子が残っていました(ニューオーリンズとSt Patrick’s Dayはあまりなじまないようですが、お祭り好きという点では共通しています)。またMardi Grasといえばニューオーリンズでもあります。同時に今年の初めにはニューオーリンズのアメリカンフットボールチームが全米優勝を遂げ、大きな話題となっていました。数ヵ月後の今でも、街のあちらこちらに「優勝おめでとう」と書かれた大きな旗が掲げられていました。

 学会は数年前と比べてやや規模が小さくなった感じがしました。多くの大学が財政難であり、特にアフリカ系アメリカ人の歴史や文化を専門にする分野は最初から予算が大きくはありません。従って、大学が研究者に対する学会などの旅費を制限しており、多くの研究者が学会で発表する回数を減らしているという現実があります。私の場合も、今回の学会についてはミシガン州立大学からの旅費支給が学会から戻った今でも決まらない状況にあります。

 しかし学会自体は成功でした。私が研究発表をしたパネルは他に3名の研究者の発表があり、非常に活発な意見交換がなされました。私たちのパネルは10:45までだったのですが、その会議室で次に行われるセッションが午後までなかったことから、多くの人が12時近くまで部屋に残って質疑応答や意見交換を行いました。また私を含め発表者の4名はそのまま昼食に一緒に向かい、そこでも議論を交わしました。非常に似た分野での研究を行っているので、将来的に何か共同のプロジェクトを行うことができるかもしれません。

 学会の楽しみの1つには、それぞれの場所で有名なレストランに行ったり、特有の食事を取ることにあります。ニューオーリンズは食で有名な街であり、私も色々と挑戦しました。

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木内 裕也

フリーランス会議・放送通訳者。長野オリンピックでの語学ボランティア経験をきっかけに通訳者を目指す。大学2年次に同時通訳デビュー、卒業後はフリーランス会議・放送通訳者として活躍。上智大学にて通訳講座の教鞭を執った後、ミシガン州立大学(MSU)にて研究の傍らMSU学部レベルの授業を担当、2009年5月に博士号を取得。翻訳書籍に、「24時間全部幸福にしよう」、「今日を始める160の名言」、「組織を救うモティベイター・マネジメント」、「マイ・ドリーム- バラク・オバマ自伝」がある。アメリカサッカープロリーグ審判員、救急救命士資格保持。

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