INTERPRETATION

第694回 推測力の鍛え方

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

同時通訳の仕事では、「話者のイイタイコト」を素早くとらえることが良いアウトプットにつながります。「一字一句文字通り訳出すること」も大事なのですが、時には話し手が何を言おうとしているのか、ゴール地点はどこなのかを把握することが大事になってくるのですよね。

かつてロンドンのBBCで放送通訳をしていた時、常に意識していたのは、

「今回のゲストはどちらの意向の人なのか?」

というものでした。と言いますのも、BBCでは同一ニュース番組内で異なる見解のゲストを必ず一人ずつ招くという鉄則を実施していたからです。たとえば中東情勢であればイスラエルとパレスチナ側から一人ずつ。米大統領選であれば、共和党と民主党サイドから一名ずつ、という具合です。

このようにしてそれぞれの主義主張があらかじめわかっていれば、たとえ難解な用語のオンパレードであっても、知識力で補えます。「この人はイスラエル政府の人だから、入植地にはおそらく賛成」「この方は共和党員だから、移民問題には厳しめかも」という感じで推測できるのです。スポーツニュースも同様。「今映っている選手は勝者?敗者?」を押さえておけば、通訳可能です。

では、推測力はどのようにして鍛えられるでしょうか?私は以下のようにとらえています。

1 とにもかくにも知識量
日ごろから幅広い教養と知識を身につけるべく、あらゆることにアンテナを張り巡らせることが肝心です。気になるトピックの本を読む、ドキュメンタリー番組を観る、専門家のセミナーに参加するなどなど、できることはたくさんあります。中でも私がオススメしたいのが紙新聞。毎日めくるだけで様々な話題が目に入ってきます。記事を一つ一つ熟読する必要はありません。朝刊1紙は新書本一冊に相当する文字量。日々目を通していれば多様なトピックに触れることにつながり、それが知識量UPとなります。

2 すぐに検索しない
今の時代、スマホは肌身離さず状態ですよね。疑問点があれば即ネット検索できます。でも、ちょっと待って!推測力を鍛えたいなら、まずは自分のアタマで考えてみることをお勧めします。「こうかな?それともああかな?」とあれこれ自力で答えを考えてみる。そして一通り考え尽くしたら調べてみる。これが推論構築のチカラとなります。たとえば先日のこと。電車内の吊り広告を見ていた際、「カタカナの『タ』ってよく見ると3画目がはみ出している。ナゼ?」と思ったのですね。学校でカタカナを学んだ際、3画目は「はみだしてはいけない」と習ったはずなのに、です。車内広告をさらに見比べたところ、どうやらフォントの種類によって異なる印象。そこでようやくネット検索したところ、「ゴシック体だとはみ出す」とわかったのでした。自分で答えを見出すプロセス、意外と楽しいですよ。

3 そして何よりも実体験
これまで私自身、通訳現場で難解語に接した際に「この単語だ!助かった!」と思ったことが何度もあります。それは「実体験から導き出した単語」のおかげです。自分がこれまでの人生で何らかの体験や見聞をしてきたことであれば、それが訳出に役立つのですね。たとえばトランプ氏が最初の大統領選に出た時のこと。隠しマイクで録音された内容が暴露されたことがありました。氏は「美しい女性を見たら自分なら口説ける」という趣旨を述べていたのです。そこで出てきたのが”I better use some Tic Tacs”というフレーズ。tic tacは時計の「チクタク」のことですが、私はこれを即「ミントアメ」と訳しました。Tic Tacとは欧米で人気のミントアメ。私はオランダに暮らしていた幼少期によく食べていたのです。その体験があったからこそ、「ミントアメ」という単語が出てきたのでした。自らが見聞したことは、土壇場通訳でチカラを発揮してくれます。

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いかがでしたか?

推測力というのは一朝一夕で身につくものではありません。だからこそ、日々の生活体験を楽しむことが、より良い通訳アウトプットへとつながります。ぜひみなさんも好奇心MAXでエンジョイしながら学び続けてくださいね。

(2025年8月19日)

【今週の一冊】

「きっと誰かに教えたくなる蚊学入門:知って遊んで闘って」一盛和世著、緑書房、2021年

なんと3週連続で緑書房の書籍!まずは常套句ですが「私は出版社の回し者ではありません」と申し上げておきます。ちなみに「常套句」の英語はclichéで語源はフランス語。発音の「クリーシェィ」からしてオシャレな響きですよね。一方、「回し者ではありません」の訳は?うーん、同通現場で出てきたら私など一瞬詰まりそう。調べたところ、「回し者」はspyでした。「なーんだ、シンプルな言葉で良いのね」ということが通訳アルアルです。なお、agent provocateur(こちらもフランス語!)も同義語です。

さて、夏の時期に悩まされるのが蚊。ただ、今年は暑すぎるからか私自身はあまり蚊の被害を受けていません。とは言え、寝しなに耳元で蚊の高周波音が聞こえると厄介ですよね。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」(シンプルに英語で縮めればKnow your enemy)ということで本書を紐解いてみました。

まずは目次。ここを見るだけでも蚊の世界の奥深さがわかります。蚊の血の吸い方、好きな血のタイプ、恐竜の血を吸っていたのかなど、トリビア的な話題がたくさん。一方、蚊はデング熱やマラリアの病原でもあるため、国連が率先して蚊対策をおこなっている様子も書かれています。

中でも印象的だったのが、江戸時代の浮世絵に描かれた蚊。蚊は自分と同体重の血を吸えるものの、吸血後は体重が重くなってしまうため、近くで休むのだそうです。つまり「犯人はまだ近くにいる」(p85)ということ。歌川国貞の浮世絵にはそんな蚊の姿があります。

本書には蚊の飼育方法まで出ています。この一冊を読むと、蚊への敵認定解除をしたくなりそうです。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者、獨協大学および通訳スクール講師。上智大学卒業。ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2024年米大統領選では大統領討論会、トランプ氏勝利宣言、ハリス氏敗北宣言、トランプ大統領就任式などの同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラム執筆にも従事。

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