TRANSLATION

第338回 翻訳家、人間らしさをAIに学ぶ

寺田 真理子

あなたを出版翻訳家にする7つの魔法

のび太化に拍車をかけているこの頃、こんな記事が目に留まりました。

“大腸内視鏡検査で医師が普段からAIの助けを借りていると、AIを使わず検査した際にポリープの一種「腺腫」の発見が約20%減るとの研究”
“医師がAIに頼ることで、やる気や注意力、責任感が低下する懸念が浮上した。”

これは大変。私も気を引き締めて臨まねば、と、AIの提案も慎重に検討するようにしています。

訳文のブラッシュアップのために、原文と訳文を読み込ませて校正する形で使っていたところ、「ん?」と思った箇所がありました。

「僕はずっと父さんの世話をしてきた。頭はしっかりしてるけど、妻のスーザンが……」という文章で、私は「妻」と訳していました。原文が“He’s got all his marbles, but his wife Susan…”となっていたので、それに引きずられていたのです。

だけど、ここでの語り手は「僕」なので、視点を統一するためには「妻」ではなく「母」であることを示さなくてはいけません。AIも原文と比較して問題ないと捉えて指摘しなかったのかと思い、この見落としを伝えました。すると、こんな返答が……。

“それが必ずしも「母」とは限らないんです。語り手が「父の妻」と呼ぶことで、そこにある距離や複雑な感情が表現されている可能性があります。たとえば、血縁がない、再婚相手である、あるいは母と認めたくない感情があるなど。語り手がどんな視点で語っているかによって、呼称は大きく意味を持ちます。”

た、たしかに……。“his wife”という言い方には距離を感じますし、その背後にある事情もいろいろと考えられそうですね。「AIの見落としを指摘してあげたわ」というつもりでいたら、見落としがあるのは私のほうだったという……。「『父の妻』と呼ぶことで、語りの視点が客観的・冷静に見えるが、実は感情の揺れを隠している可能性も」などと、AIのほうが背景事情や複雑な人間関係の可能性まで考慮していたのです。

他にも、「AIのほうが人間らしい考察ができているのでは?」と思う指摘がありました。認知症がある人と介護職との結びつきに関する文章を訳していた時のことです。

“…nurture secure attachments with a small number of people who can easily overlap and fit into the day-to-day life of a person living with dementia… ”

介護現場のイメージが頭にあったので、この“overlap”の箇所を、現場の介護職のシフトのことと捉え、「シフトが重なり合い」と訳していました。AIが「互いに補い合いながら」と提案してきたので、それでは漠然としているので、シフトのことだとはっきり訳出したほうがいいと伝えました。すると、AIからこんな指摘が。

“ “overlap” という言葉には、単なるシフトの重なり以上の意味が込められている可能性が高いです。特にこの文脈では、認知症のある人との「Attachment(結びつき)」を育むための人間的な相性や関わり方の重なりも含意されていると読むのが自然です。「シフトが重なり合い」だけだと時間的な意味に限定されてしまうので、人間的な重なりも含めた表現にすると、より深く伝わります。“

そ、そうだね……。またしても、見落としがあるのは私のほうだったという……。

人間らしい考察ができるように、AIに導かれる日々です。

月刊「清流」9月号の特集「大人の読書の楽しみ方」に取材記事を掲載していただきました。ご覧いただけたらうれしいです!

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Written by

記事を書いた人

寺田 真理子

日本読書療法学会会長
パーソンセンタードケア研究会講師
日本メンタルヘルス協会公認心理カウンセラー

長崎県出身。幼少時より南米諸国に滞在。東京大学法学部卒業。
多数の外資系企業での通訳を経て、現在は講演、執筆、翻訳活動。
出版翻訳家として認知症ケアの分野を中心に英語の専門書を多数出版するほか、スペイン語では絵本と小説も手がけている。日本読書療法学会を設立し、国際的に活動中。
ブログ:https://ameblo.jp/teradamariko/


『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと~パーソンセンタードケア入門』(Bricolage)
『介護職のための実践!パーソンセンタードケア~認知症ケアの参考書』(筒井書房)
『リーダーのためのパーソンセンタードケア~認知症介護のチームづくり』(CLC)
『私の声が聞こえますか』(雲母書房)
『パーソンセンタードケアで考える認知症ケアの倫理』(クリエイツかもがわ)
『認知症を乗り越えて生きる』(クリエイツかもがわ)
『なにか、わたしにできることは?』(西村書店)
『虹色のコーラス』(西村書店)
『ありがとう 愛を!』(中央法規出版)

『うつの世界にさよならする100冊の本』(SBクリエイティブ)
『日日是幸日』(CLC)
『パーソンセンタードケア講座』(CLC)

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