INTERPRETATION

高等教育の意義

木内 裕也

Written from the mitten

 「日本の教育は詰め込み型で、アメリカは独創性を生かす」とは典型的なアメリカと日本の違いを指す固定概念ですが、日本では耳にしなかったもののアメリカでは良く耳にする言葉に、Generation of Knowledgeというものがあります。知識の創造という意味です。学生に知識を与えると同時に、新しい知識をいかにして創造させるかというのが教員にとっての大きなテーマです。

 私も今教えている授業において、特にScience and Technologyというタイトルのついた授業についてはいかにして大学1年生が中心の授業で新しい知識を生み出すという作業を行うべきか模索しています。一般的に知識の創造には2つの方法があると言われます。1つ目はまるっきり新しい発見をすること。私の専門分野でいえばあたらしい史実を発表したり、新しい見解を発表することがこれにあたります。これはそれほど容易なことではありません。2つ目はすでに知られている知識を別の角度から見つめ、新たな知識を生み出すこと。リンカーン大統領暗殺は誰もが知っている事実ですが、それをどう分析するか、どの角度から考察するかによって、新しい知識を生み出すことができます。この後者の手法は、大学1年生にとってもとっつきやすいものです。

 私の授業はScience and Technologyと名前がついていますから、この分野における新たな知識を生み出すのが学生たちの課題です。そこで重要なのは、Knowledge aboutとKnowledge behindの違いです。学生はこの差を理解するのに時間が掛かっていましたが、例えばiPodに関するKnowledge aboutはiPodがどう機能するのか、どのような人が購入しているのかなど、そのテクノロジーに関わる事実です。しかしKnowledge behindは、より深層の理解が必要になります。例えばiPodで音楽を聴いていると、時に周りに誰がいるのか気づかず、我を忘れることがあるでしょう。電車に乗っていて気づいたら最寄り駅、というケースです。Freudの考えでは、このような経験をUncannyと呼ぶことができます。またHeideggerは「そこに存在するということは物理的存在だけではなく、Readyでなければならない」とも言いました。つまりその場にいても、我を忘れていてはそこに存在していることにはならない、ということです。物理的にそこにいるかもしれないけれど、意識はそこにいない、という場合、それはそこに存在していることになるのか、という深層の追求をすることがKnowledge behindにつながります。そのためにはこの例ではFreudやHeideggerについての知識が無ければなりません。しかしこのようなトレーニングをすることで、次第に学生たちは自分たちなりの知識を生み出すことができるようになります。

 あと数日で学生は1つ目の論文を提出することになっています。課題は1つTechnologyを選択し、上記のようなKnowledge behindの論文を書くこと。5ページ程度の短い課題ですが、どのようなOriginal argumentsが出てくるのか今から楽しみです。

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木内 裕也

フリーランス会議・放送通訳者。長野オリンピックでの語学ボランティア経験をきっかけに通訳者を目指す。大学2年次に同時通訳デビュー、卒業後はフリーランス会議・放送通訳者として活躍。上智大学にて通訳講座の教鞭を執った後、ミシガン州立大学(MSU)にて研究の傍らMSU学部レベルの授業を担当、2009年5月に博士号を取得。翻訳書籍に、「24時間全部幸福にしよう」、「今日を始める160の名言」、「組織を救うモティベイター・マネジメント」、「マイ・ドリーム- バラク・オバマ自伝」がある。アメリカサッカープロリーグ審判員、救急救命士資格保持。

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