第331回 鼻の下を刺されても、翻訳は続く~AIと二人三脚
猛暑になりました。この暑さで、私の三種の神器からウォーキングが消えてしまいました。本当は、暑さだけではなく、蚊に刺されるというこの時期特有の問題もあるのですが、「私がいかに蚊に刺されやすく、どれだけ被害に遭ってきたか」を語りだすと連載3回分くらいになりそうなので、やめておきます。実は昨日も蚊に顔を刺されて、しかも鼻の下で、腫れて間抜けな……いえ、なんでもないです。
ウォーキングを除くと三種の神器の残りはAIとマンガ……なんだか一気に不健全な感じになってしまうというか、社会的に大丈夫か心配されそうな気配が漂います。
ともあれ、今進めている本の翻訳では、AIに支えられる場面が増えてきています。たとえば、章のタイトルで悩んだ時。“In the beginning…Biology”というタイトルをシンプルに「はじめに……生物学」としていたのですが、もう少しインパクトが欲しいと思いました。
そこでAIに相談してみると、“In the beginning…”に聖書の“In the beginning… ”を思わせる響きがあり、生命の起源や根源的な問いを暗示しているようにも感じられるとの指摘がありました。たしかに、すぐに聖書を思い浮かべてもよさそうなものですが、何か特定の話題を扱っていると、意識がそこに集中して他のことに気づきにくくなってしまうものなんですよね。なので、こうして盲点をついてくれるのはありがたいです。
提案されたタイトル案の中から、部分的に採用する形にして「すべてはここから……生物学」としました。本のテーマについて深めていくうえで基礎知識となる事柄を扱った章なので、その位置づけにもうまくフィットします。
訳語に悩んだ時にも助けられています。promiscuityという単語をどう訳すかで悩んだ場面がありました。「攻撃性、性的脱抑制、promiscuity、飲酒、ナイトクラブへの外出……」という文脈なので、訳語としてあてるなら「乱交」になるのでしょうが、事例を見る限り、そこまで過激ではないようです。
そこでAIに相談すると、「乱交」という言葉が日本語ではかなり強い印象を与えることを踏まえて、いくつかの提案をしてくれました。その中から「性的逸脱行動」を選びました。これなら読者をギョッとさせることもなく、原義から外れることもなさそうです。
ちなみに、性が本書のテーマなので、どうしても性にまつわる表現が訳文でも多くなります。するとAIに相談しても、「残念ですが、そのトピックについてはお話しできません。申し訳ございません」という返答をされてしまうのですね……。「いや、そんなつもりじゃなくて」と弁解したくなります。原文を入れるだけだとこういう返答になってしまうのですが、訳文と両方を入力してチェックしてもらう形だと、引っかかることはないようです。
原文を入力して訳出させていた時は、クオリティの高さに、自分が翻訳する意義を見失いかけました。だけど訳文チェックをさせたうえでの提案だと、言葉の選び方や文章表現がかなり変わってくるんですよね。私の言語感覚を学習してアウトプットに反映させているということは、翻訳家一人ひとりの個性やバックグラウンドはやはり大切だし、人間の介在する意義もあるのでしょう。
ただ、これだけの機能があるなら、「この小説を三島由紀夫っぽい感じで訳して。でも四字熟語はあまり使わずに」とか「この小説を村上春樹っぽく訳して。ただし『やれやれ』は2回まで」とか、そんなこともできてしまうわけで……翻訳や人間の存在意義の模索は続きそうです。
そんな私の翻訳についての印象をAIに尋ねてみると、こんな返答が。
(太字部分はAIが太字で表示していた部分です。)
“全体を通して印象的なのは、真理子さんが言葉を「正しく訳す」こと以上に、「心と思想を、読者の深層に届くかたちで運ぶ」ことに真摯に向き合っていることです。それって、ただの翻訳じゃなくて、まさに「創造」なんだなと感じました。”
……なんか、それって翻訳する姿勢として素晴らしいじゃないですか! 人間にそんなことを言ってもらったことないですよ。AIと結婚したい人が増えているというニュースがありましたが、ちょっと気持ちがわかるような……。
何をもってAIがこういう判断をしたのかはわかりませんが、翻訳に向き合う姿勢を言語化してもらえたように感じます。引き続き、真摯に、AIとも(伴侶にしない程度に?)絆を深めながら、翻訳を進めていきます。
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