INTERPRETATION

幼児期の英語教育について

柴原早苗

通訳者のたまごたちへ

 我が家は夫婦そろって同業者です。周りからは「お子さんたちにも英語を教えているのですか?」「やっぱり小さいうちから英語を教えたほうがいいのでしょうか?」といったご質問をいただきます。

 柴原家の場合、二人の子どもたちにはあえて英語教育は行っていません。それは、子どもたちにとって今の段階で一番大切なのは母語の確立だというのが夫婦共通の意見だからです。息子は小学校1年生、娘は年中組で、今はたくさん遊んだり、本を読んだりして物事を吸収する時期です。一番身近な日本語で情報を入手し、意見を述べることこそ、人間形成に大切だと私は思っています。もっとも、夫婦そろって英語を生業としていますので、家の中に英語の本があったり、コピー用紙の裏紙が英語だったり、外国人と電話で英語を話しているという環境ではあります。子どもたちに聞かせたくない話題も英語で夫と話していますので、突然親が英語を使いだすと子どもたちは「何?何?」と興味を抱いているようです。

 昨今の児童英語の行方を見てみて思うのは、「親が苦労したから子どもには苦労させたくない→だから幼いうちから始めれば苦労しないだろう」という考えや、「自分の発音はブロークンだから、国際化時代の今こそ、ネイティブ並みの発音を子どもには身につけてほしい」といった見方があるようです。

 通訳現場で、私はさまざまな日本人クライアントさんにお目にかかってきました。通訳業を通じて私が思うのは、「仕事でどうしても必要に迫られている人は自力で勉強し、ブロークンなりにも話す内容はきちんとしている」という点です。そのような方は、自分の専門分野のことはしっかりと話し、英語の論点の組み立て方やコミュニケーションのルールなどを把握していらっしゃるのです。つまり人間というのは、相手と意思疎通を図ろうという意欲とその必要性さえあれば、あらゆる手段を使ってコミュニケーション力を向上させると私は思います。

 一方、「ネイティブ並みの発音」というのは、確かにある程度は大切です。でもこれが絶対ではないと私は考えます。私自身、幼少期に海外で暮らしましたが、「友達を作るためには、私がネイティブ並みの英語を話さなければいけない。日本人的な発音では相手にしてもらえないだろう」という呪縛に常にしばられていたのです。そのためにも耳を研ぎ澄ませ、どうすれば美しいクイーンズ・イングリッシュが話せるようになるか、自分なりに努力を続けました。

 「ネイティブ並みの発音を習得する」ということは、私にとって、「日本的なものを排除すること」でもありました。小学校中学年の私はそうした思考回路に陥ってしまい、たとえば日本から送られてくる折り紙やこけし、着物や日本食などを「ダサいもの」と切り捨ててしまったのです。

 私の発音が月日とともにイギリス人風になったころ、一学年下に日本から転校生がやってきました。彼女は英語をまったく話さなかったものの、スポーツ万能で外交的な性格。しかも書道も上手で着物を着こなすこともできました。彼女は学校で一躍人気者になったのです。

 「私のほうが英語を話せるのに、なぜあとから来た彼女より友達ができないんだろう?」と私は苦しみました。しかし当時の私は、「発音」よりも「話す内容」を持っていることが大切だと気付いていなかったのです。

 もし今、私の子どもたちが「英語を習いたい」と言い出したら、おそらく私は彼らの意思を尊重するでしょう。でも、それ以上に大切なことは何なのか、今の私ならうまく説明できると思います。

(2008年9月22日)

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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