TRANSLATION

第68回 「機械翻訳に少し手を入れただけのような仕上がりが多く…」②

土川裕子

金融翻訳ポイント講座

こんにちは。前回は、現時点での機械翻訳の欠点を知って、機械諸氏に追いつかれないようにするヒントを考えてみましょう…ということで、1)ときどき、恐ろしいほどすっ飛ばす、2)ときどき、否定を肯定で訳したりする、3)バランスがよろしくない、という機械翻訳の特徴を挙げたところで終わりました(あくまでも現時点では、ですが)。今回は、恐らくこれが解決されれば機械翻訳の次のブレイクスルーになるだろうと思われる、4)文脈を考慮できない、点について考えてみます。

4)文脈を考慮できない
以前の機械翻訳は、例えば原文ではtheyを「それら」の意味で使っているのに、すべて「彼ら」としてしまうようなケースもありましたが、最近ではそのあたりをきちんと訳してくることがあり、感心するやらぞっとするやらです。先行詞もかなり正確に読み取れるようになっていまして、「解釈」という点で、人間との差が縮まっていることは間違いないようです。AIは本当の意味で「理解」しているわけではないのでしょうが、きちんと日本語に移し替えている以上、我々ユーザーにとってそれは問題ではありません。

ただ、この講座の第32回「原文の流れに沿った訳を作る」でお話した通り、同じ英文、同じ解釈でも、個々の日本語表現や語句の順序によっては、まるで流れない文章になることがあり、今の機械翻訳は、まさにこの部分で足踏みをしている状態だろうと思います。また、「ここは誰でもちょっと否定的に訳すよなあ」みたいなところでも、平気で(?)前向きに明るく訳してしまったりしますので、やはり真の意味で話の流れを理解していないことが致命的なのかもしれません。

さらに大きなポイントとなるのが、その文章の「背景」。つまり、1)誰が書き、2)誰が読み、3)どんな媒体でいつ公表されるのか、という二次的な部分です。

我々人間の翻訳者は、それを自然に判断しています。例えば新聞記事を訳す時に、子ども向けのようには訳しませんし、論文を訳す時に、エッセイのような柔らかい表現は使いません。漢字とひらがなの割合も、ある程度自然に判断しているはずです。

また、「日本に長く暮らしている人であれば持っているであろう常識」まで過度に補足することはしませんし、逆に言えば、外国では常識的なことでも、「日本に長く住んでいる人の大半は知らないであろう部分」は、原文にその情報がなくても補うよう努めます。

以前、ある勉強会で出てきた文章に良い例がありました。2020年の記事だったかと思いますが、コロナ禍による米国経済への影響について書かれた文章で
fiscal-stimulus measures have largely lapsed, and negotiations on a new relief package have repeatedly broken down
という説明が出てきました。ここで問題にしたいのは下線部で、DeepLに訳させたところ、「新たな救済策の交渉は何度も決裂している」となりました。packageを「策」とし、negotiationsが主語であることを受けてbreak downに「決裂」という表現を充てたところは、さすがDeepLです。しかし、必要な調査を行い、前後の文脈も勘案して捻り出したわたしの最終訳は、「追加の景気支援策を巡る民主・共和党間の協議が何度も決裂している」でした。

前後の文脈を考えれば、new relief packageは、コロナ禍を受け、景気を下支えするために政府が打った何度目かの方策であることは明らかでしたので、「追加景気支援策」としました。またそれを巡るnegotiationsで、その当時までに何度もbroken downしているものと言えば、「議会での民主党と共和党(与野党)の協議」でしたので、これも補足しました。

文前半で財政刺激策のことに言及があるので、「新たな救済策の交渉は何度も決裂している」でもピンとくる人はいるかもしれませんが、普通に日本に暮らし、米国の情報は時々新聞やテレビで見るだけ、という程度の人に、この訳だけですべてを分かれと言っても無理な話です(逆に言えば、米国に暮らし、普段から米国の政治情勢に(英語で)触れている人であれば、negotiations on a new relief packageだけで十分分かる、ということなのでしょう)。

わたしが思うに、現時点でAIに決してできないことは、この種の「読み手の受け取り方や知識レベルを考えた付加価値サービス」です。先ほども申しました、訳文の堅さや漢字・ひらがなの割合、つまり訳文が載る媒体に相応しい文章表現にできるかという問題は、もしかすると今後の学習次第で解決するかもしれません。しかし「想定される読み手が理解しやすいか考えながら訳文を作成し、必要であれば補足したり省略したりする」ようなきめ細かな芸当は、AI自身が実際に人間社会の中で暮らして学習しない限り、相当に難しいのではないか、と思います。

逆に言えば人間の翻訳者は、そこまでのサービスを提供しない限り、早晩AIに仕事を奪われることは100%間違いないと考えます。がんばりましょう、ニンゲン。

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記事を書いた人

土川裕子

愛知県立大学外国語学部スペイン学科卒。地方企業にて英語・西語の自動車関連マニュアル制作業務に携わった後、フリーランス翻訳者として独立。証券アナリストの資格を取得し、現在は金融分野の翻訳を専門に手掛ける。本業での質の高い訳文もさることながら、独特のアース節の効いた翻訳ブログやメルマガも好評を博する。制作に7年を要した『スペイン語経済ビジネス用語辞典』の執筆者を務めるという偉業の持ち主。

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