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三本立てでお送りいたします

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

1本目。航空ショー。

5時起床。6時に予約しておいたタクシーに、一家4人で乗り込んで、さいたま新都心駅に向かう。今日は妻が見つけて申し込んだ、航空自衛隊百里基地航空祭へのバスツアーだ。

妻も飛行機好きのため、BBCで出会って付き合っていた頃は、良くあちこちのエアショーに2人で行った。イギリスの夏といえば、エアショーである。いや、一般的にはそうでないのだが、そう断言する人の人数は、日本より絶対桁3つほど多いはずだ。

バース大学留学時代に、RIAT(ロイヤル・インターナショナル・エア・タトゥー)という非常に大きなエアショーに行って、その楽しさにすっかりハマッてしまったのが、エアショー通いのきっかけだった。スピットファイアとハリケーンの離陸を見て、展示されていた輸送機の中を歩き、オタク垂涎のマニアックな店をひやかし、移動遊園地で遊ぶ子供たちを横目に見ながら、ビール片手にジャンクフードを腹に詰め込んだものだ。あれは飛行機好きにはこたえられない祭典である。

コンコルドの体験飛行(大西洋上でのランチ付き)や、なんと往年のレシプロ旅客機の名機、DC-6の体験飛行も出来たのだが、学生で金がなかったために涙を飲んだ。今にしてみると借金してでも乗っておくのだったと思う。また、B-2ステルス爆撃機が、初めて一般に公開されたときにも、エアショーの観衆の一人として立ち会った。のっぺりした機体に不気味なほどに小さなエンジン音。特筆すべきは、F-15戦闘機が2機護衛に飛んできて、B-2が着陸したり離陸したりしている間も、ずっと上空哨戒を続けていたこと。万が一テロリストにB-2が奪われたりしたら、その場で撃墜するよう命令が下っている、とスピーカーが怒鳴っていたのが強烈な印象だった。

まあとにかく、それほどのエアショー好きの僕がなぜ日本のエアショーには食指が動かなかったのかというと、その規模の小ささと閉鎖性の2点に尽きる。

前者に関しては、すでにフルコースを食べてしまったので、スナック菓子に手が伸びないと言ったらいいだろうか。例えば飛行展示(要は、デモ飛行)ひとつとっても、日本の航空自衛隊の場合は午前と午後に数回だけで、航空際そのものも4時前には終わる。一方RIATは、午前から午後6時近くまでひっきりなしに頭上で爆音が轟いており、目玉以外はたまに見上げて「あ、飛んでるな」という程度だ。場所にもよるが、夜にもイベントがあることもある。

また、エアショーに来る人たちも、日本の航空自衛隊の場合はマニアか関係者(自衛官の家族)ばかり。でかい望遠レンズを抱えたオタクたちが、禁止されているはずの脚立をおっ立てて、バシャバシャとシャッターを切る。飛行機を見に来たのか撮影会なんだか分からない。まあ、両方なんだろうけれど。どうも「シロウトは近寄るんじゃねえ」という疎外感を感じてしまう。いや、今回が初体験だから、たぶんに偏見も含んだ見方なのだが(しかし、その予想は大方当たっていた)。

イギリスの場合は、アメリカのカントリーフェアか日本の夏祭りの大規模なものと航空祭を足して2で割ったようなものと考えるとちょうどイメージが合う。老若男女、のんびりと好きな楽しみ方をしているのだ。ハードコアなマニアももちろんカメラの砲列を敷いているが、その一方でメリーゴーランドや観覧車、ぬいぐるみ当てにゲームセンター、エアキャッスルなど、小さな子供なども青空の下、広大な敷地の中で遊びまわっている。ハンバーガーにかじりつくおばあさんがいたり、ビールの屋台で上機嫌になっているおじいさんの胸元で、部隊章が光っていたりする。

RIATでは、夕方になって目玉のレッドアロー(空軍アクロバットチーム)の演技が終わったあとは、野外コンサートが開かれ、ビールやフライドポテトやチキン・タンドゥーリをつまみに、芝生の上に寝転んで夜までのんびり過ごすのだ。

まあ、そんなわけで妻がこのツアーを申し込んだときには「え?大丈夫かなあ」という実にぬるいリアクションをしたのだが、実際にバスに乗り込むと、やはり楽しい。

予想通りの渋滞を乗り越えて百里基地に到着。百里といえば、僕ぐらい年齢の飛行機好きには「ファントム無頼」というマンガが思い出されるのではないだろうか。あれは面白かったなあ。人の波に乗って会場に到着するが、なんと雲が低いからだか何だかで、飛行展示は行なわれていないとの事。おじさんが女性自衛官に食ってかかっていたが、聞き分けのない人だなーと思う。

地上展示されていたC-1の近くにピクニックシートを敷くが、息子の興味は遊ぶこと。「観覧車観覧車お腹すいた観覧車観覧車のどかわいた観覧車お土産観覧車」という状態で、あまり懐の深くない僕の我慢ゲージもあっさりリミッター一杯になる。娘はすでにお疲れ気味のようで、「せっかく来てやったのに、お茶も出さないのかね、このウチは」的な不機嫌さ。

と、そこに飛行展示開始のアナウンスがあった。ラッキー!まずはF-15戦闘機の機動展示。いきなり真打登場だ。もう退屈だなんて言わせない。これを見れば子供たちの心も鷲づかみされるはず。

アフターバーナーを焚き、離陸から急上昇に移ったF-15は、腹に響く野太いエンジン音を轟かせて、大空を舞う。

よっしゃー!やっぱり気持ちいい!

爆音を体全体で受け止めながらそう叫ぶと、F-15が飛び去ったあとに、すぐそばからも轟音が。

娘が号泣していた。

これにはビックリ。彼女は我が家で「社長」というニックネームを付けられており、(分かる人には分かると思うが)「うちの3姉妹」のスーとチーを足して2で割った豪快さとマイペースさを兼ね備えている怖いものなしなのだ。その彼女が、「いやー!お家帰るー!!」と号泣している。

そんな彼女に追い討ちをかけるがごとく、F-15が会場上空に舞い戻り、華麗なダンスを披露する。

キューン、ドドドドドド、バリバリバリ。
うぎゃーん!いやいやいやいやいやー!

騒音ダブル。いつまでも珍しがっている場合でもないので、抱き上げるとブルブル震えているではないか。いっかーん!飛行機好き養成計画が、音を立てて崩壊して行く。エアショーの第一印象は最悪だ。本気で怖がっている。導入をミスってしまった。ふと見ると、息子も耳をふさいで顔を引きつらせているではないか。ええい、この小心者め!

娘は抱っこすると顔を伏せてしまうので、飛行機が飛んでくる(すなわち轟音がする)タイミングが分からないので余計怖くなってしまうようだ。アフターバーナーを焚くか焚かないか(爆音

大きな差がある)に忠実に、泣き声の音量が変化するので、笑っている場合ではないが、おかしくなってしまう。

子供たちにとって恐怖の時間が経過し、お弁当を食べる。娘は思い切り涙味だった。その後妻が2人を連れて会場の出店などを回ってくることになり、僕は荷物番。地上展示されている飛行機にはロープが張ってあって近づけないし、コックピットの見学は1時間待ちだし、まあいいや、と思ってEnglish Journalの付録の単語リストをチェックしたり、もの思いにふけっていたりした。

その後F-4とRF-4の飛行展示があったり、4人で出店をまわったり、お土産を買ったり、焼きそばとたこ焼きを買ったら、おばさんにおまけしてもらったり、かき氷を4人で食べたりと、楽しいひと時を過ごした(飛行展示の時の娘を除く)。

戦術偵察隊の地上展示のパネルを見ていたら、地震の被災地の状況を上空から撮った写真があった。なるほど。戦術偵察機なんて、実際の作戦以外に使い道がないのではと思っていたが、こうして災害出動をしているらしい。非常に興味深かったので、展示パネルと偵察機の前に立っていた自衛官にお話を聞いた。

実は、震度5以上の地震が起きた時点で、戦術偵察隊にスクランブル発進が掛かるらしい。スクランブルなんて、領空侵犯機に対して戦闘機部隊が実施しているだけかと思っていた。「夜中でも出動命令が下るので、大変なんですよ」と日に焼けた顔の男性自衛官が微笑していた。頭が下がる。

トリはいよいよ航空自衛隊のアクロバットチーム、ブルーインパルスの出番だ。機種は川崎T-4練習機。レッドアローが使っているホーク練習機と、同じような印象の機体だなと思った。カラーリングが格好いい。空の青と、雲の白。どちらも大好きな色だ。

アクロバットは、見事の一言だった。編隊を組んだ各機が、まるで糸、いや、もっと硬質のパイプか何かでつながれているように、一糸乱れぬままロールを打っていく。まるで編隊そのものが大きな飛行機のようだった。印象論なので断言は出来ないが、この「カチッと」した感じは、あのレッドアロー以上のような気がした。

アフターバーナーは使わないので轟音もせず、娘も息子も土産物屋さんにもらった小旗を嬉しそうに振って応援していた。いや〜、良かった良かった。スモークが出るのも楽しかったようで、娘は「もう、慣れたよー」と言っていた。絶対勘違いだ。誰かアフターバーナーを焚いてやって下さい。

帰りはバスに乗り込んでから駐車場を出るまでに1時間半かかり、途中の高速道路も渋滞の嵐。夕方には帰れるはずが、8時過ぎに新都心駅に滑り込んだ。「千円高速」の問題点をフルコースで味わう羽目になった。駅のロイヤルホストで夕食。子供たちも良い子でよく頑張った。ちょっと疲れたが、楽しいお出かけになったと思う。しかし、来年は絶対夏休みにイギリスに行って、子どもたちに本場のエアショーを味わわせてやりたい。

話は全く変わる。2本目。ある日、こんな経験をした。

さて、研究室に行こう。

何の用事があったのか、全く思い出せないが、なぜかそう思ったのだ。曇りのようで、何だか薄暗い。研究室に向かって歩くのだが、なぜか日本で卒業した大学の、「10号館」という研究棟の中を歩いている。

「えーと、いぬ、いぬ、と。あ、0058号室。ここだな」

なぜ自分の研究室の場所をいちいち見取り図で見なければいけないのかも分からないし、その部屋番号も全く覚えがない謎の番号なのだが、とりあえず見つけたらしい。

「えー、角部屋の、ちょっと大きめの研究室じゃないの。移動してるな。ラッキー」

勝手に研究室を移動されたら堪らないはずなのだが、なぜか能天気にそう言いながら研究室のドアを開けると、ない。何もない。

「えええー!ど、どういう事!?」

パニック状態でなぜか隣の部屋のドアを開くと、そこは倉庫らしい。そしてその薄暗い倉庫に、研究室にあったはずの僕の本やら、ファイルやら、ノートやらが乱雑に突っ込んであるではないか。

誰に聞いたら良いのか分からないので、そこら辺にいた事務員と思しき、お姉さんと呼ぶのもおばさんと呼ぶのもはばかられる年齢の女性に尋ねる。ぶすっとした表情で事情を聞いた彼女は即座にこう言った。

「あ、そりゃあ、やめて欲しいってことですよ」
「な……!!」

担当の人に話を聞くことになり、いつの間にか中年の男性に案内されて歩いている。途中、細長い小部屋を通ると、そこには合格した大学名だか高校名だかを書いた紙が、ズラリと壁に貼り付けてあった。

「いやー、ウチの進学指導部もね、大分成果をあげてまして。慶応志木と○○を併願して、慶応志木は落ちたんですけど、それから奮起して○○大学に受かったんですよ」

男性が自慢げに話す。おかしいなあ、ウチの大学、いつから塾の真似事を始めたんだ?ちょっと待って、論点がずれてるぞ。そもそもなんで、オレは辞めさせられるんだ?ひどいじゃないか。日本に帰ってからずーっと非常勤講師で、ようやく常勤講師になれたのに。「お父さん、おめでとう!」って言ってくれた子供たちに、どんな顔して話せばいいんだよ!おい、答えろよ!スタスタ歩いていくな!ちょっとまて、オレは走っててオマエは歩いてるのに、何で追いつけないんだ!おい!おーいっ!!!

と、叫んだところで目が覚めた。絵に描いて額縁にはめたような「悪夢」だった。

リストラを言い渡された人の気持ちが、ちょっと分かった気がする。正夢にならないよう、身を慎まねば。くわばらくわばら。

お次は3本目。

それは、のんびりと昼食を食べている最中のことだった。ロンドンはホワイトシティーにある、BBCテレビジョンセンターの、衣裳部屋を改造した日本語部通訳ルームに、編集長が駆け込んできた。

「ちょっと悪いけど、緊急ニュース。何か、ワールド・トレード・センターが火事だって。放送入って!」

モニターに目をやると、WTCがもくもくと黒煙を吐いている。

あらら、大変だな。ま、でも消火施設ぐらいあるだろうし。

第一印象は、そんなものだった。事態が飲み込めていなかったのだ。それから数時間は、今となっては記憶が一塊になっている。数分ごとに同時通訳を交代しつつ、横目でコンピューター画面に続々と表示される、通信社からの至急電に目をやる。

「火事ではない。旅客機が突っ込んだ」「事故か?テロか?」「他にもハイジャックされている飛行機がいるらしい」「2機目がWTC

に突入した、これは事故ではない、テロだ」「ワシントンにも1機向かっている」「まだ1機ハイジャックされているらしい」「ペンタゴンに1機突っ込んだ」「ワシントン上空はF-16 戦闘機が警戒にあたっているらしい」「もう1機が墜落した」「飛行中の全旅客機に、着陸命令が出たらしい」「WTCが崩壊した!」

目まぐるしい展開に必死に対応しながら考えていたのは、8月10日に生まれたばかりの息子のことだった。生まれてから丸1ヶ月になったのを、昨日妻と祝ったばかりなのに、あの子の生きていく世界は一体どうなってしまうのだろう。マイクのボタンを押す指が、嫌な汗で滑った。

あれから8年。息子は小学校2年生になり、僕も相変わらず波乱万丈の人生だが、まあ幸せにやっていると言っていい。いろいろなものに感謝したいと思う。

Written by

記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

END