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「近くて遠い国」を身近に

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

木曜日から土曜日まで、ソウルにある韓国外国語大学に視察に行って参りました。その前日の水曜日、大学で行なわれたオークランド大学のロッド・エリス先生の講演に参加して、その後懇親会に参加した後、成田のホテルに前泊して当日を迎えたのですが、いろいろなことを感じた3日間でした。

恥ずかしながら韓国語は一切手をつけたことはなく、ハングルも全く読めません。そんなわけで、インチョン国際空港から一歩出たとたんに、看板からアナウンスから周りの人のおしゃべりから、完全に分からない世界に放り込まれました。ここまでの状況は、3年前にイスラエル翻訳学会で発表を行なうためにテルアビブ空港に降り立ったとき以来です。

ただ、今回は同僚である韓国人の先生が同行してくださったので、その先生と一緒にいる限りは言葉の心配はありませんでした。通訳者の存在意義を改めて意識する良い機会でしたね。日本語も英語も流暢に操り、細かく気配りをして下さったその先生を本当に尊敬しています。同い年なのが信じられないぐらい頼りがいがありました。

到着当日は5人で市内を歩き回ったのですが、不況で自殺者が増えているというガイドさんの説明の割には街にも人々にも、非常に活気があるという印象でした。もちろん一番にぎわっている場所を歩いたからということもあるのでしょうが、あちこちで建設作業や再開発作業が行なわれており、子供の頃日常的に感じていた社会の大きな勢いのようなものを感じます。

街を歩いているとやたらに男同士、女同士で肩や腕を組んでいる姿が目に付きましたが、韓国ではそれが普通だとの事。夜になってちょいと聞こし召したと思しきおじさん方が、肩を組んで楽しそうに歩いているのを見て、「ああ、子供の頃はこういう、他人とのスキンシップが今よりも濃密にあったなあ。それが大人になってもあるというのは、何となく楽しそうだな」と思いました。また、一つのアイスクリームをオーダーして、2人で分け合って食べるのもよくあるという話です。

あちこちキョロキョロ見ながら歩いていると、歩道をバイクが爆走してくることがよくあって、何度かヒヤリとしました。車が歩道を走ることもあるという話で、そういえば歩道に車止めがやたらにありましたね。姿かたちがほとんど変わらない分、ちょっとした習慣の違いが非常に大きく感じるのですが、逆を言うとちょっとした相違点が非常に気になるほど、共通点も非常に大きいということでしょう。

外国語大学の視察も非常に有意義でした。学部レベルの通訳・翻訳教育は、日韓でもそれほど多くの大学で取り組んでいるわけではありませんので、いろいろ参考になる点がありました。しかし、私が担当しているのが単なる「課程」であって、それを履修しなくても卒業できるのと異なり、韓国外国語大学での通訳・翻訳教育は、英語学部の一学科という位置づけで、より本格的な取り組みとなっています。専従教員数も、専任だけで9人、非常勤も合わせると20人ほどと、充実していました。理論と実践のバランスなどは、なるほどと思わせられましたね。

実際の授業を見せてもらったのですが、学生の英語力の高さが非常に印象的でした。文法力がしっかりしていて、構文が発話の際にも崩れません。また発話のスピード自体も早く滑らかでした。韓国の英語教育についても伺ったのですが、日本と同じく、文法偏重から「コミュニケーション重視」のような方向に動きつつあるということで、早くもその弊害が現れているようです。コミュニケーション能力を高める、実際の言語の使用に慣れるというのは、実際には比較的短期間で出来るのではないかと私は思います。それよりも時間がかかり、しかも仕事や留学で必要となる英語力が、よく批判の対象になる「文法訳読」型の教育で養われるもののように思うのです。

実際、英会話スクールにいた時代にも英会話学校の教育の現状は目にしているのですが、高校までの文法訳読教育で培った土台を上手く利用していながら、そのことには触れずに自分たちのメソッドの効果のみを強調するというやり方でした。そのやり方は、今でも変わっていないと思います。逆にいうと、単に「楽しくペラペラ」だけで達成できるような目標は、それ以外のやり方でも十分に達成できるほど低い目標で、単に目先が変わったので努力が出来てそこまで到達できたというだけのことなのです。もちろん、それ以外のやり方では達成できなかったわけですから、そういう教育に「意味がない」とは言いませんが、それを全ての英語教育に応用するというのは、ちょっとどうかなと考えています。

通訳翻訳学科独自の選抜試験は行なっておらず、大学全体の入試(日本で言うセンター試験のようなもの)の上位10%から15%ほどを採っているという話でした。このため必ずしも英語力がずば抜けているとは限らないものの、総合的な能力と学習力が高いということです。オールラウンドな力が要求される通訳者・翻訳者教育としては、これは理想的ですね。韓国外国語大学は、とにかく学生のレベルがかなり高いので、やり方をそのまま私が勤務する大学に応用するというわけには行きませんが、その教育哲学のようなものに相通ずるものを感じられて嬉しかったです。

それにしても、日本と時差がないほど近い国にこんなに豊かな文化があって、これほど多くの共通点があるというのに、普段あまり意識が行かないのは実にもったいないことだと思いました(まあ、意識が行かないというのは、私個人が悪いのかもしれませんけれども)。考えてみれば、地球の裏側の国の言葉をかなり使いこなせるのに、隣の国の言葉はほぼ全く分からないというのは、実に不自然なことだと思います。先ほど述べたとおり近い分相違点に目が行きがちになることはあるかもしれません。しかしそれ以上に共通点が非常に多いのですから、そちらに目を向けてお互いを尊重するような、豊かな関係を築いていければ良いなとしみじみ感じました。

外国語大学の先生も、ビデオ会議などで我が校と交流することには興味を示して下さいましたし、学生さんを日本に招いて、私の勤務する大学の韓国語学科の学生さんなども交えて会議をするなど出来れば楽しいだろうなと思います。国際関係も煎じ詰めれば個人と個人の関係の上に成り立っているわけですし、これからの日韓関係の礎となるような学生を1人でも多く育てたいものです。通翻課程の学生も、機会があれば韓国に連れて行って、先方の通翻課程の学生さんと交流させたら面白いですね。

おまけ その1

なぜか分かり

せんが、私はやたらと韓国人に間違えられました。バース大学に留学している当時からそういうことは割合あったのですが、今回も同行の先生方には客室乗務員さんや店員さんが日本語で話しかけるのですが、私にだけはなぜか韓国語、ということが相次ぎました。これはもう、韓国語を勉強しなさいという啓示なのかもしれませんねえ。個人的には昔から興味があったので、ちょっとやってみたいなと思っています。

おまけ その2

土曜日に帰宅して、夕食を食べながら韓国の話をしました。挨拶など簡単な韓国語を話してみたのですが、娘のKが「Kも、韓国語話せるよ!」と宣言。「おお、もう覚えたんだ。すごいねえ。話して話して」というと、両手を合わせて

「なますてー」

・・・ううむ、Kちゃん、確かにそれはアジアの言語ではあるが、ちょいと遠くに行き過ぎたみたいだよ。

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記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

END