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早くも1回休み

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

「さあ、アクセルを踏もう」と思うと、路面やらエンジンやらの調子が悪くなるといういつものパターン。今週は体調不良に泣かされた。要は風邪。鬼の霍乱というやつだ。頑丈がとりえなのに。

月曜日。読書ノートのまとめやら何やらする合間に、妻と「おばあちゃんの家」の続きを見る。DVDにはメイキングや監督のインタビューもあって、しみじみ韓国語がやってみたいものだと思った。遥か離れた地域の言葉が出来るのに、すぐ隣の国の言葉が分からないというのは、実にもどかしい。出来れば、この映画の英語字幕版と英語吹き替え版が見たいものだ。

火曜日。3時からNHKでシフトに入る。仕事の合間に、たまった資料を読み倒し、ヒアリングマラソンの原稿の初稿を書いて、読書ノートを2冊分つける。ノートを漬け終わった本1冊は、その場で廃棄処分。本を捨てるのは、いまだにちょっと抵抗があるのだけれど、取っておいたところで身動きが出来なくなるだけなので、致し方ない。年末に資料や書籍の整理をしていて感じたのだが、私のようなタイプの人間は、「時間」というフィルタをかけないと、気持ちの整理も実際の本や資料の処分も出来ないようだ。でも、「押し出しファイル」などで時間経過によるふるいにかけることで即解決!というのとも、ちょっと違うんだよなあ・・・あ、要はグズなだけか?

シフトが終わってから、渋谷の映画館で午後からの「チェチェンへ・・・アレクサンドラの旅」という映画のチケットを2枚買う。14時半の分。ちょいとばかり興味深い人が、映画終了後にトークショーを行なうのだ。

その後、10時半からのモーニングショーを見る。「ご縁玉」というドキュメンタリー映画だった。九州の学校の先生が、乳がんを宣告され、パリの乳がん友達を訪れる。そこで、ベトナム戦災孤児の男性チェリストと出会い、扇子をいただいた。そのお返しに、五円玉を渡すと、このチェリストは自分のルーツを捜し求め、九州までやってくるのだ。

先生と家族とチェリストとの交流、孤児院での演奏などを淡々と描写していくのだが、さまざまなことについて考えさせられた。映画の一シーンで、孤児院での演奏がある。バッハの無伴奏チェロ組曲(だったと思う)の深い響きを聴きながら、その音が自分の肩を柔らかく掴み、何かとても大切だったことを思い出させようと、やさしくゆすってくれているように感じた。もう少しでその何かを思い出せるような、もう少しで夢の中でよく感じる「そうか!そうだったのか!」という根源的得心に至れるような感じでもどかしかった。

ちょっとボーッとしながら、Bunkamuraの地下で何か面白いことをやっていないか見に行くが、そもそもあまり絵を見るたちでもない。ただ、あのあたりの雰囲気は好きなので、地下にある書店を楽しく見ているうちに、あっという間に時間が経ってしまった。デザインなどの本が多く、ふと亡くなった伯父の本棚を思い出す。

タリーズに入ってカフェラテを飲みながら、読書ノートをまとめるうちに上演時間が迫ったので映画館に向かい、ロビーで妻と合流。早速席に着く・・・が、映画が始まってから20分経過したぐらいまで、ぞろぞろぞろぞろ遅れて入ってくる人がいる。イヤだなあ、とイライラしていたが、そのうちそのイライラは、別のところに理由があるようだと気付いた。

映画が理解できていない。

最後まで見たが、何が言いたいのか、最後まで明確なメッセージはくみ取れないままに終わってしまった。反戦映画なのかと思えば、あからさまにそういうようなメッセージはないし、家族愛を描いているのかと思えば、祖母と孫にも何かしこりがありそうだ。チェチェン紛争に反対なのかと思うと、何だか最後はチェチェン人と友情めいたものが生まれているし。

全編チェチェン最前線でのロケというけれど、なぜか旧式(に見えた。あの砲塔の形状は、T-62などのかなり旧式の戦車じゃないのかな?とっくに退役したと思ってたが)の戦車が列車に積んであったりするので、駐屯地の描写も含め、逆にどこまでリアルなのか分からなくなってしまった。ただ、私はpseudo military buff(ぬる軍事オタク)なので、あれが本当に旧式戦車だと確信した根拠は何だと小一時間問い詰められても困ってしまうのだが。

でも印象としては全てが「生煮え」で、ロケの割には戦いの臭いがしない。映画が描こうとしている図式が、最後まで見えなかった。

まあ、大体においてここ1年ほどで急に映画を見始めたので、ファミリーレストランのハンバーグ定食的に分かり易い味付けでないと、「これ、味しないよー」と思ってしまうのかもしれない。映画が終わった後、駅に向かって歩きながら「何か、わけわかんなかったよねーっ!」と身振り手振りで熱弁を振るって訴えたあと、「どうだった?」と水を向けてみると、妻は「面白かった」と言っていたので、「やっぱ、お子様には分からん映画なのか・・・」と尻尾が垂れる、いぬなのだった。

それから、字幕がどう考えても不足していると思う。あちこち「あれ?この台詞は?」と思った。また、なぜ兵士たちがおばあさんを食い入るように見ていたのかも、よく分からなかった。原作のルポルタージュなどがあって、それを読むと「ああ、これを描写していたのか」と納得できるのなら、ぜひ原作に当たりたいところだが、残念ながら映画から全てを読み取るしかない以上、白旗を掲げるしかない。

印象に残ったシーン
・自動小銃の引き金を引いてみて「簡単なのね」という祖母
・装甲車の上で携帯を手にする兵士
・弾痕だらけで、一部崩れた建物に暮らすチェチェンの人々
・兵士たちの貧しさ
・兵士がやたら「ダバイ!ダバイ!」と言っていた。Hurry!とかMove it!みたいな意味か?
・列車の外に広がる荒野。イスラエル翻訳学会で発表をした時も感じたが、部外者としては、「緑豊かな土地ならともかく、どうしてこんな寒々とした場所を取り合って、あんなに血を流すのだろう」と思ってしまう。もちろんそれは部外者の一方的かつ失礼な思いに過ぎないことも分かってはいるが。

映画のあと、ゲストの重信メイ氏のトークショーがあった。ジャーナリストという肩書きで登場する以上、何か新しい切り口を提示してくれるかと思っていたが、要は「戦争(の悲惨さ)には普遍性がある。苦しむのはいつも弱者」ということが言いたかったようだ。

母親のことなども考えると当然のことだが、パレスチナ寄り。年末からのイスラエル侵攻を非難し、一般人を攻撃することを非難している。選挙がらみでこのような軍事作戦

に踏み切ったとも言っていた。しかし、パレスチナ側も同じそしりは免れまい。

イスラエルの学会に言った時も、イスラエルの人が「BBCもCNNもパレスチナよりだ。偏向している」と異口同音に言うので、だんだんと「いったいどういう報道なら納得していただけるんですか?」という気分になってしまったが、そもそも数千年前に端を発する問題が、完全に白と黒に分けられるわけもない。それをどちらかが善、どちらかが悪、という二元論的な見方をすることそのものがナンセンスだと思う。

まあ、私は思想的に右でも左でもない(そもそもそういう枠組みでの整理の仕方と言うのも相当時代遅れだとは思う)し、そういうスタンスから重信さんを非難するわけではないが、あれだけの特殊な生い立ちの人物なので、何か斬新なpoint of viewを提供してくれるかなと思ったが、ちょっと肩透かしだった、ということだ。

帰宅して夕食を作る。夜、ヒアリングマラソンの原稿を完成して入稿。

水曜日。引き続き読書とそのノート作りと資料の整理とプロクラスティネイトすることなどで忙しく、さっさとやらなくてはならないことをまだやらなくていい言い訳を驚異的ピッチで量産しながら一日を過ごし、午後、空手の基本動作を申し訳程度にやって、ささやかな達成感を得る。シャワーを浴びて、夕方よりA大学に出勤。最後の授業にして期末試験。

午前中から悪寒がしていたのだが、どんどん調子が悪くなり、最終授業の後は文庫本でも読みながら、駅前の居酒屋で一人打ち上げでも楽しくやるかと思っていたが、それどころではなくなる。よろよろと帰り、体も頭も洗えず、湯船で温まる間もゾクゾクと悪寒がする。参った。一年ぶりに風邪薬を引っ張り出して飲んで布団に入る。うう、寒い。

木曜日。朝食を作って、子供を保育園に送り届け、さあ仕事か勉強か・・・と思っても、全く何も手につかない。水平飛行が精一杯という感じで、呆然としてしまう。本当は事務処理をやる予定だったのだが。夕方のヒアリングマラソンの収録準備をやりつつ出勤。R大学で午後から授業。その後大学前の古本屋さんで「綴り方教室」を買った。これは面白い・・・が、それ以上読む気力なし。考えてみたら、本を読む余裕があれば寝てないといけないのに。歩くのも大義なのにカバンの質量を増大させて何をする気だ、自分。

・・・などと思いながらさらに数十メートル先の文庫本専門の書店にフラフラと入ってしまう。以前から読みたかった「地雷を踏んだらサヨウナラ」が目に飛び込むが、いやいや、待て待て、別な日にしよう、とかろうじて購入を踏みとどまる。体調がよかったら危なかった。

音読やシャドウイングなどの準備を重ねて、夕方から教材の収録。まあまあ順調に出来たのではないだろうか。

息子発熱の連絡あり。明日からのスキーをキャンセルしようか、という妻の相談に、そうだね、無理しない方が良いねと答える。

最寄り駅について電話したら、大変そうな感じだった。息子はどうしても諦めきれず、大泣き&大騒ぎ。途中でちょっとしたお菓子など買って帰宅すると息子は落ち着いた様子なので、妻の話を暫く聞く。まあ、好きなことへの集中力がすごい分、こういうこともあるね、コインの裏表みたいなもんだね、というあたりに落ち着く。

子供たちだけで寝かせ、風呂に入って夕食をとりつつ、しばし妻と話す。

金曜日。寝坊する。起きたら7時5分だった。息子を起こすが、朝っぱらから挙動不審。「あ、何か熱下がっちゃったみたい」「何か、元気になったよ、お父さん」・・・そのアピール、まさかとは思うが・・・と思いつつ朝食の支度を超スピードでやっていると、妻のところに行って、「スキー、行ける?」と抜かりなく爆弾投下。即刻却下。即時泣き顔。

あああ。気持ちは分かるが、世の中そんなに都合よく出来ていないのだよ、息子よ。危うくキャンセル料を取られるところだったのに、フロントの方が「お子さんのご病気では仕方ありませんね。キャンセル料は結構ですよ。それよりも週末は寒くなるそうですので、どうぞお気をつけて」と言って下さるという、ちょっと営業の教科書に載りそうな対応があったんだよ。「良い話だなあ」って、きれいにまとまるところなのに・・・などという親の思いは、もちろん華麗にスルーする。

参った。風邪は相変わらずひどいし、時間は迫るし。困っていると妻が息子を励まし始め、もちろん私も参加。そのうち娘も加わり、「登校時間にお兄ちゃんを間に合わせてあげようキャンペーン」のような感じになる。乗せられやすい性格は父親譲りか、なかなかに良い立ち直りをみせ、息子は起きてから出発までの新記録を作って飛び出していった。

スポーツクラブに行く日なのだが、それどころではなくキャンセル。せめて本を読もうと思ったら、ソファーでそのまま力尽きて寝てしまう始末だった。夜の「クレヨンしんちゃん」だけを心の支えにヨロヨロと一日を送り、就寝。

土曜日。体力が結構復活した。まあ一通り動けるというところ。朝食を作っていてふと思ったのだが、娘の耳の聞こえが悪いようだ。年末まで数ヶ月間、中耳炎で投薬を受けていたのでその影響もあるのかもしれないが、声をかけても小さめの声だと反応しない。無視しているのかと思って声を荒げると、「んー?なーにー?」と返事をする。

急遽耳鼻科に予約を取り、出発。治療直前までかろうじてこらえていた娘だが、先生を見たとたんに硬直し、耳の掃除で号泣。参った。右の耳に水がたまっているらしい。

ちなみに今日から妻も風邪でダウン。しかも私より症状が重そうで苦しそうだ。朝がうんと遅かったので、病院から帰宅しておやつを食べさせると、すぐ夕食の支度に取り掛かった。うどん。体が温まりそうだという、何のひねりもないメニュー選択。こちらも病み上がりなので、あまり頭がまわらない。

食べて3人を先に寝室に行かせ、洗い物を終えて除いてみると、「ねこ鍋」のような感じで団子になって寝ていた。

何となく目が冴えてしまったので、読書ノートをつけたり、4月からの戦略をねったりしていると3時を回ってしまう。いかんいかん。まだ風邪が抜けきっていないのに。

日曜日。朝はリクエストでホットケーキ。新しいテフロンのフライパンでのホットケーキデビュー戦なのだが、何となくしっくり行かないままだった。そのうち慣れるだろう。気のせいか、スクランブルエッグは、中華なべで作った方が美味しいような。

妻の枕元におやつやらポットやらティーバッグやら

べてみる。ただでは起きないというか、せっかくだから読みたい本をどっさり読もうという企画らしく、枕元には本が10冊ぐらい重ねてある。

洗濯やら食器洗いを片付け、掃除機とクイックルをかけたあたりで室内遊びに飽きた息子と娘を連れて図書館へ。私が和室で読書ノートをまとめている間、子供コーナーから本を持ってきた息子と娘がかわりばんこに隣に座って本を読む。これはこれで楽しい。

3時になったので、併設の食堂でケーキを食べさせてあげる。娘、「ちゃんとしたお昼ごはんが食べたい」とえらくご立腹。昨日と同じで、朝ごはんがものすごく遅かったから、軽くおやつを食べて、早めに夕ご飯を食べて早めにねんねしよう、と説得にかかるがちょっとてこずった。

武蔵浦和駅に向かい、駅ビルのレンタルビデオ屋さんで「クレヨンしんちゃん」のDVDを一人1枚ずつ借りてあげる。その後マルエツで夕飯の買い物をして帰宅。

体の温まるものということで、安直に鍋。しかも昨日のうどんの残りもためらわず投入。息子にしっかりと指摘される。まあ、固いこと言うな。

DVDを見て、りんごとイチゴを食べて子供たちと妻を寝かせ、ブログを書き始めるも、何だか考えがまとまらず、思いつくことをダラダラと書いて今に至る。

ら、来週こそはもう少し人生のイニシアチブを取るようにせねば。

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記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

END