BLOG&NEWS

保育園での最後の運動会

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

10月3日

6時過ぎに起床。……晴れている。こ、これは、と思ってチェックすると、メールも電話連絡もなし。やるんだ、運動会。そうなると急がねば。7時に幼稚園に集合だ。自転車をこいで、定刻の10分ほど前に到着し、名札と腕章をつける。

こうして集まったお手伝い係のお父さんが、トラックへの荷物の積み下ろしと会場設営を行なうのが、この保育園の伝統だ。昨年は補欠にまわったが、それ以外は確か皆勤だから、足掛け5年、毎年この時期には志願していることになる。重労働ではあるが、その分深く運動会に関われて楽しいのだ。

何でもそうなのだが、「深く関わる」ほど面白いと思う。小学校のPTAしかり、クラブ活動の役員しかり。こればかりは実感として学び取るしかないのだけれど、そういうことをする物理的余裕のないお父さん方も多いようで、つかれきった表情でクーラーバッグを抱えて開場入りする人をたくさん見かけた。こういう形で運動会に参加できるというのも、ある意味で贅沢なのだなあ、と思う。

今年は積み込みと積み下ろしのほか、テントの設営などをやった。集まったお父さん方は一緒に働いていて気持ちの良い方ばかりで、元気な声がけと笑い声が耐えない作業となった。受け持ちの作業が終わると、他の作業を見つけてサッと散って行き、黙々と仕事をする。こういうチームの一員として働くのは、何とも言えず気分の良いものだ。

運動会そのものは順調に進むかに思えたのだが、わずか3種目をこなした時点で豪雨となってしまった。急遽中止がアナウンスされ、明日の日曜日、午前10時から続きをやる旨の連絡があった。雨脚は強まる一方で、せっかくの飾りつけも無残に雨に打たれている。

妻と子供たちと別れ、びしょぬれになりながら片づけを行なう。下着まで水がしみこんできて、get wet to the skinというイディオムがふと頭に浮かび、職業病かもなあと苦笑しながら土嚢を運んでいた。

泥まみれでびしょぬれになりながら作業をしつつ、フィリピンに住む妻の知り合いたちは、もっとひどい状態にさらされたのかな、と思う。災害出動した際の自衛隊員って、こんな気分だろうか。

結局用具を全て園に戻したあたりで、雨はすっかりあがり、青空になった。まあ、そんなもんだ。明日別の開場で運動会を行なうので、当初いるものだけをトラックに積んで作業終了。園長先生からねぎらいの言葉と明日もよろしくというお願いがあって、解散。自転車をこいで家に戻り、すぐに風呂に入った。その後、さすがに消耗したのかグーグー寝てしまった。起きてから単語をやる。

寝ているうちに両親から電話があり、「残念会でもやろう。夕食を食べにおいで」とのこと。みんなで押しかけてワイワイと食べたり飲んだりして帰宅。

10月4日

9時過ぎに沈没してからいったん4時ごろに目が覚めるが寝なおし、さすがに5時過ぎに起きる。今日は8時半までに現地入りすればいいので強気。本を読んだりブログを書いたり、ボキャビルをやったりした。

現地に到着してから、昨日に倍するスピードで準備が進む。よく動くお父さんがたがそろっていて、しかも昨日「予行演習」を済ませているとあっては、当然かもしれない。

今日は僕の両親も買い物に行く途中に寄って、最後のほうまで見て帰って行った。娘のクラスは前日の競争でも、今日の綱引きでも勝てなかったが、娘は上機嫌で参加している。運動会の目玉とも言えるパラバルーンの演技は見事だった。まだ息子が年少だった頃、年長さんのこの演技を見て「うわー、あと2年であんなに出来るようになるのかなあ」と妻とビックリしたことを覚えている。あれから4年たち、娘が目の前でクラスメートと一緒に楽しそうに演技しているとは。お母さんの中には、涙を浮かべている人もいた。

しかし、一番hankyな場面は最後の最後に控えていた。大トリを飾るリレーで、娘のクラスは壮絶なトップ争いを繰り広げる。そんな中、観客席に向かって笑顔で手を振りながら走る娘。「どこのセレブだ、全力疾走しろー!」と言っているうちに、次の子にバトンが渡り、リードが着々と広がった。そしてそのままゴール!観客席からは爆発するような歓声が沸き起こっていた。

5回目の運動会にして、僕も初めて心から楽しめる余裕が出来たなあ。相変わらず精神的成長が遅いというか、いつまでもガキというか。いつも人より一歩遅いんだよな。頭をかきながら、秋晴れの空を見上げる。ようやく楽しめるようになったと思ったら、もうこれが最後か。

重松清さんの作品に、二人姉妹の父親が末娘に対していつも、「こうするのは、人生これが最後」という思いを抱くシーンがあった。「最後の子育て」「最後の入学式」「最後の卒業式」などなど。今日の娘の運動会にしても、考えてみたら、こういうことをするのは、もうこれで最後なのだなあ。

センチメンタルになってもしょうがないのだけれど、そう考えるとなかなかに感慨深い。いつだったか、父が「いつの間にか、ウチから『子供』がいなくなっちゃったなあ」と言ったことがあった。あれは高校生の頃だったろうか。つい最近まで我が家にもかわいい「赤ちゃん」が2人いたのだけれど、いつの間にか、我が家からも「赤ちゃん」がいなくなって、それどころか「幼児」もいなくなりつつある。

小さな男の子と女の子もやがて大きくなり、それぞれに羽ばたいていくのだろう。その時が、僕が狭義の「父」ではなくなる時であり、「大人同士」として同じ目線で会話が出来るときなのだろうなあ、などと想像する。

子供たちが校庭からいなくなり、トラックに荷物も積み終わり、自転車で園に向かった。荷物を積み下ろし、机や椅子を水ぶきして片付け、恒例の慰労会をする。お母さん方の中には感極まって泣いている方もいた。お父さん方も一人一人、実に味のあるスピーチをしていく。僕はとにかく今回、このメンツのお父さん方と働けてよかったと思ったこと。ある意味で雨が降ってよかったとも思っていることなどを述べた。

集まったお父さんの中では恐らく最多のお手伝い参加回数であるためか、先生方や園長先生もかわるがわる挨拶にいらしたり、食べ物を勧めて下さったりする。こんな雰囲気も、味わえるのは今年で最後だ。慣れ親しんだものほど、別れの瞬間はあっけなく訪れる。

卒園まで後半年足らず。出来る限りいろいろな形で「保育園児の父」を味わいたいと思う。手始めには来週木曜日の保育参加、通称「お父さん先生」だな。息子の時には英語の本を読んだり、英語の手遊び歌をしたり、相撲を取

ったりしたけれど、今度は何をしようかな。

その一方で、「小学生の父」という立場も、目一杯楽しもうと思う。まあしかし、ちょっと寝室をのぞいてみると、兄妹2人が並んで本を読んでいる姿は何とも微笑ましい。まだまだ「子供」でいてくれそうだし、こちらも「おとうさん」でいることをたっぷり楽しませてもらえそうだ。

まあそれに、大学に行けばこちらにもかわいい息子や娘がダース単位でいるしなあ。みんな、大きく育てよ。うん。

Written by

記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

END