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温故知新

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

担当している通訳翻訳課程のクラスには、日本的な趣味を持っている学生が何人かいまして、先日のオリエンテーション・キャンプでも男子学生2人にそれぞれ日舞と柔道について語ってもらいました。

日曜日は日舞をやっている学生の発表会ということで見学に行ってきたのですが、これがとてもよい経験となりました。考えてみたら、日舞をじっくり見るのは初めてです。

彼の流派はかなり新しい流派ということで、使う曲もかなり自由な感じでした。長唄調のものあり、演歌調のものありで、芭蕉の「奥の細道」の「夏草や・・・」の一節を使った曲もあって、面白かったです。踊りに使う道具も扇子だけではなく、いろいろなものを使っていましたね。

学生の出番は2回あったのですが、どちらもとても格好よかったと思います。体を斜めにするというか、歌舞伎で見得を切るような動作が要所要所で入るなあと思いました。体の一部を動かしながら、その他の部分の動作をビシッと止めるのがポイントでしょうか。動と静を一時に表現するのがきっと難しいだろうなと思います。

あとは、武道との関連も感じながら見ていました。主に足さばきですね。基本的にすり足、継ぎ足で動く。また、立ち方も空手でいう前屈立ち、後屈立ちに良く似た立ち方がたくさんありました。まあ、同じ日本のもので、動きを伴うという共通点があれば、似てくるのも当然かもしれません。

また、能などと同じく、日舞も省略の美、象徴の美なのだなあとも思いました。何かを表現するときに、事細かに表現しようとするのではなく、逆に動作を削ることで表現を際立たせるように思います。扇子ひとつとっても、松の枝にもなれば杯にもなる。先日の親子落語教室で、落語家が扇子を様々に見立てて使っていたのを思い出しました。動作が象徴しているであろう事を一生懸命想像しながら見ていたのですが、見る側にも技術というか力量がいるのだろうと思います。

西洋的な「ダンス」との比較から、日本と西洋の音楽の違いにも、久々に思いをめぐらせていました。中学の頃は吹奏楽部でチューバという大きなラッパを吹いていて、大学の頃は筝曲部で尺八を吹いていたのですが、この尺八という楽器は、何とも素朴というか、西洋的な感覚でいうと束縛が多いんですね。

1オクターブに「ロ、ツ、レ、チ、リ」の5つの音しかないので、ピアノの白鍵にも足りません。12音階を出すには穴に指をかざしてあごを引いて音を下げたり、あごを出して音を上げたりするわけですが(このあたりの動作から、尺八の練習は「首振り3年」といわれたりします)、そんな面倒なことをするならば、クラリネットやフルートのようにキーを付けてしまえば良さそうなものです。でも、それをしない(まあ、外国人の演奏家でそのような尺八を作ったという話は聞いたことがありますけれども)。

そのうえ、一音一音の個性がメチャクチャ強いのです。ピアノで例えると、ドレミファソラシドという音が、一音一音別の楽器の音になっている状態を想像してください。一見、西洋の楽器の方が優れているように思えますが、なかなかどうして、尺八も実に豊かな世界を表現できます。

西洋音楽を油絵に例えると、尺八は墨絵というところでしょうか。使える色が限られているにも関わらず、同じような深みがあります。日舞を見ていても、かなりそのようなことを感じました。

出番が終わったあと、彼のクラスメートの男子学生1人、女子学生2人と一緒に楽屋をたずねたのですが、女の子から花束をもらって嬉しそうでした。見ていて微笑ましかったです。アメリカにも稽古場があるそうで、学生も来年あたりは行ってみたいと思っているようです。将来的にも、英語を使って日舞を広められればと考えているようで、私としてもそのお手伝いをぜひしたいものだと思っています。

ご両親ともお話しましたが、偶然にもすぐ近くにお住まいということでビックリしました。あ、一番ビックリしたのはお2人の若さでしたね。学生さんと兄弟みたいでした。渋谷あたりを歩いている若者みたいな感じでしたよ。でも、20代半ばで彼を授かったとすれば、まだ40代前半なわけで、私といくつも違わない計算になりますしねえ。いやしかし、教え子のご両親が自分より若く見えるっていうのは、ビックリを通り越してちょっとショックでした。馬齢を重ねないように頑張らねば。うむ。

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いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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