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花と人と

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

「あれ?」
キャッシュディスペンサーに表示された預金残高を見た私は、首を傾げました。ちょうど15年前の今頃のことです。月初めに振り込まれるはずの給料が、振り込まれた形跡がありません。当時はまだ親元で生活していましたし、すぐに生活に困るわけではなかったのですが、解せないことには変りありませんでした。

首をかしげながらウォークマンに入っていたEnglish Journalのカセットをひっくり返して再生ボタンを押し、池袋三越へ。ちょうどピアノの生演奏をやっていたので、テープを止めてカバンを置いて聞き入っていると肩をつつかれました。

「すみません、ワイシャツ売り場はどちらでしょう?」

苦笑しつつ店員ではないことを伝えて、ミニコンサートの終わりまで聴いた後、勤務している英会話学校の入っているビルに向かいます。と言っても、ビルは三越の建物の斜め向かいで、エスカレーターをあがって「ノーチラス・クラブ」というスポーツクラブの正面に、英会話学校はありました。

月に一度ある、生徒が教員を評価する一週間だったので緊張しつつ授業を終えて、ベトナム系アメリカ人の同僚と近くにあるベトナム料理屋さんにランチに行きました。チェチェン紛争の話などをしながら、同僚がフォーにレモンを絞っていた手つきが、妙に鮮明に記憶に残っています。給料の振込みの話をすると、彼は私に顔を寄せ、ひそひそ声で「実は、会社がかなりやばいらしいぞ」と言います。

大学を2年遅れでようやく卒業したばかりの私は、世間知らずというか、そのあたりに非常に鈍かったのですが、そう言えば学校のスタッフがかなり入れ替わった、というよりいなくなっていました。そして、その前の週には「何でこんなことを」とかブツブツ言いながら、学校前の通りで宣伝のビラ配りもやっていたのです。

その英会話学校では、時間講師として働いていました。バイト待遇ですが、毎月かなりまとまった額の給料がもらえたので、まあこれで安泰かと思っていました。親元にいる限り、家賃も食費も要らないし、通訳学校の学費は出せるし、まあこのまましばらく通訳学校に通っているうちに、何となく通訳になれるんじゃないか。そんな考えがどれだけ甘かったかは、それからわずか3ヵ月後に思い知ることになります。

授業を終えてロビーに出てくると、「倒産」という言葉が飛び交い、予定されていた残り2コマの授業は即時中止され、ネイティブ講師たちはどうせ給料が出ないなら現物で、とばかりに教材を片っぱしからカバンに詰め、家族や友達に国際電話をかけまくっていました。

本社に押しかけても、もぬけのからで、社長のファーストクラスの搭乗券の半券が床に落ちていたのが、みんなの怒りの火に油を注ぎます。そのまま社長の自宅までおしかけましたが、もちろん不在です。塀を乗り越えて偵察に行ったネイティブ講師が「社長の腰ぎんちゃくが、中にいたぞ!」などと言ったもので、集まった人々のテンションは高まるばかりです。

と、そこに赤い回転灯が。パトカーからぞろぞろおまわりさんが降りてきて、私たちを囲むではないですか。どうやら通報されたようです。労働組合の委員長がおまわりさんに食ってかかりますが、「民事不介入だから」の一点張りで埒が明かず、結局解散させられてしまいました。

呆然としたまま、他の講師と居酒屋になだれ込む元気もなく、渋谷の伯父の家まで悄然として歩いて行きました。「まあ、いろいろあるさ」とついでもらったビールが、いつになく苦かったのを覚えています。

そんなことを思い出したのも、今日、アルクの通信講座受講生用の雑誌のインタビューを、池袋で受けてきたからです。取材場所がカメラマンの方の事務所だったのですが、途中かつて務めていた英会話学校の池袋校があった場所の近くを通ったのでした。

インタビューに答えつつ、しばし感慨にふけりました。かつて自分が勉強用の教材として聴く側だったのに、いつの間にかその教材の制作に加わるようになっています。媒体がカセットだったのも昔の話で、今はCDです。

懐かしさを押さえ切れず、帰り道に学校が入っていたビルを訪れてみたのですが、もちろん学校はなく、かつてスポーツクラブがあった場所には携帯電話屋さんが入っていました。そう言えば、私がそのビルに通っていた当時はまだ、ポケベルが全盛でしたね。

道を渡って池袋三越に入ろうとすると、なんと閉店セールをやっています。何だか寂しい気分になりつつ同僚と行ったベトナム料理屋さんを探すと、これはありました。懐かしい料理はそのままでしたが、メガネをずり上げつつ「彼女欲しいよなー、お互い!」と陽気に話す同僚は、当然ながらいません。料金を払いながら、店のおばさんと話をすると、英会話学校の外国人講師たちはお得意さんだったようです。

昔話をしに電車に乗って伯父の家に向かいたいところですが、どれだけ電車を乗り継いでも会えない場所に伯父が旅立ってから、もう3年になります。

帰り道に最寄り駅の一駅手前で降り、神社の脇を通ると、桜がきれいに咲いていました。

年年歳歳花相似たり、年年歳歳人同じからず

高校時代に受験用に覚えた、そんな言葉を思い出しました。でも、今はなくなってしまったものやいなくなってしまった人の代わりに、新たなものが生まれ、新たな出会いと幸せがあります。家に帰れば自分の家族が、明日出勤すれば自分の研究室と学生さんたちが待っているのです。どんな未来が待っているのかワクワクしながらの新年度にしよう。桜吹雪の中で、ささやかにそんな決意をしました。

新年度が、皆さんにとっても実り多きものでありますように!

Written by

記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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