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「お稽古事」に思う

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

息子の空手教室に場所を提供しているスポーツクラブに苦情を言いました。同じフロアで新体操教室もやっているのですが、このクラスが始まるのを廊下で待っている子供たちの騒ぎ方が、あまりにひどいのです。

空手教室は5時半から、新体操教室は6時から始まるのですが、6時15分ぐらい前から大声でおしゃべりはする、ボールはつくという状況でした。しかも6時になったらなったで、前のクラスの子供たちが出てきて廊下でお着替えをするのですが、その相手をしている保護者の方の世間話も、実にうるさいのです。

多少の音なら仕方ありませんが、空手道場が使っている体操ルームには扉がなく、廊下の物音が筒抜けになっています。入り口で見学している私に室内の先生の指示が聞こえないことすらあり、当然空手を習っている子供たちも気が散ることでしょう。たとえ気が散らないにしても、あれほど大騒ぎして良いということはないはずです。

ボールのドリブルをやめるように、子供たちにやんわり注意したのが2ヶ月近く前。新体操クラブ担当のコーチに、配慮して欲しいとお願いしたのが2週間前。そして今回、「先日もお願いしたのですが」と別の新体操クラブ担当のコーチに切り出したところ「は?」という返答で、どうやら私の「お願い」はまともに取り合ってもらえなかったようです。

仕方がないのでフロントに行き、今日は責任者はお休みということだったので、ナンバー2だか3だかの方に苦情を言いました。その方によれば、私の前回の「お願い」は、「上にあげました」「頑張っています」とのこと。それに対して以下のように話しました。

・新体操クラブの子供たちが騒ぎすぎる
・クラスが終わった子供たちの着替えもうるさい
・騒音に対するクラブ側の指示を徹底して欲しい
・子供のことだから、静かにしろといっても限界がある。教室前の廊下ではなく、1階下にある更衣室前の廊下で待たせたらどうか
・クラブが終わったあとも、更衣室があるのだから、着替えはそちらでさせるべき
・このようなクレームは、クラブ職員全体に周知徹底して欲しい
・「環境が改善したという結果を出す」ことが重要で「上司に報告した」「努力した」では不十分
・息子は空手教室を気に入っており、親としても通わせたい。だからこそ気持ちよく利用できる体制を、クラブ側は整えるべきではないか

帰りの車の中でもまだモヤモヤしていたのですが、なぜなのだろうと考えると、このところずっと似たような問題に直面することが多かったことに気づきました。

実は空手教室に子供を見学させている保護者も、昨年10月ぐらいまでは非常に私語が多かったのです。私は武道は礼法を含めてのものであり、それを子供に習わせる以上、見学する親にもそれ相応の態度があって当然だと考えていたので、あまりに度が過ぎると感じた場合遠慮なく「申し訳ありませんが、稽古中ですので、おしゃべりはちょっと……」と声をかけていました。

また、以前ブログでも少し触れましたが、息子の小学校の参観日に出かけたときに驚いたのは、保護者のうるささです。息子のクラスの保護者はきちんと授業を聞いているですが、上級生の親らしき方々が、いつまでも廊下をうろついたり、廊下を通りながら大声でおしゃべりをしたり、挙句の果てに携帯で話し始める始末で、教室内にいる身としては実にイライラしました。

何かを教わる、習わせるということは、飼い犬をしつけの訓練学校に送り込むのとはわけが違うのではないでしょうか。教わる側にも、自分が知らないことを吸収する際の作法のようなものがあるべきだと思うし、習わせる側にも何かを教わっている子供の成長をしっかりと見守り、自分の分かる範囲で進歩を褒め、問題点を指摘してあげるべきなのではないかと思います。

要は、生徒は先生に敬意を払い、保護者の方も丸投げにするのではなく、自分の出来る範囲で関わっていくことが必要になってくると思うのです。教師の側がそういったことに十分こたえる授業をすることが大前提となるのは、言うまでもありません。

保護者として、そこまではやっていられないという考えも当然あるでしょう。しかし、それならば、せめて前述のような考えで真摯に取り組んでいる人の邪魔をしないというのが、最低限のマナーではないでしょうか(いや、これだけ偉そうなことを言っている割には、今回の稽古では息子は眠そうで気合が全然入っていませんでしたが)。

実はこういう、「教育機関(またはお稽古事の教室)に丸投げ」という姿勢に対する苛立ちは以前から感じていて、通訳学校で教えているときにも、自分がやるべきことをしない生徒さんに限って「力を伸ばしていただけなかった。授業料を払うのは私なのだから、上のレベルに進級したいと思ったらそうさせて欲しい」などというメールを送りつけて来たりすることがありました。

これに対しては「通訳学校は、運転教習所のようなものです。必要なことは教えますが、教えたことができるまで練習するのは、生徒さんの役割です。右折も左折もおぼつかない方を路上教習に出せないのと同じで、いくら授業料を払っていただいても、一定のレベルに達していない方を進級させるわけには行きません」というような内容の返信をしたのですが……。

先日見学に言ったフルコンタクト系の空手道場も、確かに礼法には厳しく、一本筋が通っているところは大変良かったのですが、それを「ウリ」として大々的に打ち出すのはどうなのだろうかと感じます。以前補習塾で指導している時にも、保護者面接で「いや〜先生、うちのガキは全然なってないですから、どんどん殴って叩きなおしてやって下さいよ」と言われて困惑したことがありました。本来家庭が担うべき役割を空手道場や塾に期待しているのだとしたら、それには違和感を感じざるを得ません。

もちろん、空手道場や補習塾の講師に子供のしつけを頼るしかないという「教育機関としての家庭の崩壊」という末期的実情があるのかもしれません。しかし私の実感としては、そこまで行っていないのに、安直に他者に全てを丸投げしているような気がするのです。

話をスポーツクラブに戻せば、子供が新体操を習うにあたり、保護者としては金さえ出せば事足れりという態度、これが個人的に納得行かないのです。例えば「廊下では静かに待とうね」と言い聞かせ、それが出来ているかちゃんと見守るのも、「お稽古事」の一環ではないでしょうか。それが、肝心の時には保護者は影も形もなくて、ようやくお出ましになったかと思

うと、どこの塾の授業が良いの悪いのと滔々と述べて止まるところを知りません。一体何のための塾通いで、何のための教育なのでしょうか。

キーボードを叩く手に力が入り過ぎる自分をなだめつつ書いていますが、もう一つ違和感を感じることがあったのを思い出しました。空手教室に子供を連れてきているお父さんが、大騒ぎしている子供たちのすぐそばにいるのに、一言も注意しないのです。このお父さんはいつも息子さんを教室に連れて来ると、自分は道場からずっと離れた廊下の反対側(つまり、新体操教室に近い方)で、ずっと携帯電話をいじくっています。挨拶しても全然お返事してくれないしなあ。何か気付かないうちに、失礼なことでもしていたのかなあ……。

でも、例えそうだったとしても、それはそれとして、子供は社会全体で育てていくものでもあるし、他人の子供でも、度を越したことをしていたら、やさしく注意してあげてもいいのではないかと思うのです。目の前にいるんだから。大騒ぎをしていても何も言わない大人が目の前にいる、という状態に子供たちが慣れてしまう方が、いろんな意味で問題なのではないかと私は思います。

……あ〜、しかし、何で私もこう、中学生の弁論大会みたいに大上段に振りかぶったものの言い方しか出来ないかなあ。これじゃ肝心の人にはメッセージが届かないよな。もっと、原田宗典のエッセイみたいに、大笑いしながらフッと大切なものに気づかされるような、そんな発信の仕方をしてみたいものです。ちぇ。(ここだけ原田氏のマネ)

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記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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