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「私は意味を求めたい。」

かの

通訳・翻訳者リレーブログ

 先日、私の敬愛する指揮者マリス・ヤンソンス率いるロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートに行ってきた。
 ヤンソンスは1943年旧ソ連のラトビア生まれ。カラヤンに師事し、レニングラード・フィルを経て、マイナーなオスロ・フィルを世界的水準に引き上げたことで知られている。そして今年のウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート。日本でもテレビで生中継される毎年恒例の音楽会で彼はタクトを振り、今や日本を始め世界中で愛されているマエストロである。
 私がヤンソンスを初めて知ったのはロンドン留学中の1993年。厳しい修士課程で唯一の息抜きはコンサートに行くことであった。学生券で入場したある晩、ロンドン・フィルを振っていたのである。
 そのときの曲目はモーツァルト。元々CDや生演奏で何度もモーツァルトは聴いていたが、この日はまさにeye opening experienceであった。定番のメロディーが一音一音ハッキリ聴こえたのである。そして何と言ってもヤンソンスの美しい振り。「指揮者=指揮棒を何だか振っている人」という私の先入観は見事に覆された。楽団の各楽器を大切にし、音を慈しんでいる。一言で言えば「誠意あふれる振り」であった。
 以来、機会があれば彼のコンサートに行くようにしていた。しかし子どもが生まれると夜の外出は至難の業。仕事に復帰してからも通訳準備と家事・育児が中心となり、家の中でCDをかけることすらなくなってしまった。旋律に心動かされ、勇気づけられ、洞察力を深めていくという独身時代の習慣はいつの間にか消え、日々のあわただしさの中で心はカラカラに乾いていたのである。
 数年ぶりに生演奏で見たヤンソンスは、以前にも増して繊細で、かと思えば時に鮮やかなタクトさばきであった。曲目はベートーベン交響曲第8番とマーラーの交響曲第1番「巨人」。マーラーの第二楽章では、今まで聴いたことのないほど艶(つや)やかな弦楽器の音色に酔いしれた。「きっとマーラーが生きていたら、こういう風に演奏してもらいたかったのではないか」と私は思った。
 コンサートプログラムの中で彼は次のように語っている。
 「楽譜だけを追う演奏はしたくありません。・・・楽譜そのものは記号に過ぎませんからね。私は意味を求めたい。」
 これぞ私が通訳業に見出そうとしていることである。通訳の際、元の文章は単語の羅列に過ぎない。しかしその背後でスピーカーは何を言いたいのか。それを深く読み取り、解釈し、日本語に置き換えてゆく。ヤンソンスのように誠実に、そして美しく訳していきたい。そんな思いを抱いた夕べであった。

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かの

幼少期を海外で過ごす。大学時代から通訳学校へ通い始め、海外留学を経て、フリーランス通訳デビュー。現在は放送通訳をメインに会議通訳・翻訳者として幅広い分野で活躍中。片付け大好きな2児の母。

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