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フィギュアー・スケート&ゲイリー・ムーア

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通訳・翻訳者リレーブログ

かさいぃぃぃ~~~~!!!
←←原田さん@長野…の真似(^^)
リルハンメル→→長野……………ソチ。頭の中でグルグル走馬灯。
葛西さん、あたしゃもう、シビれました!!
それから、フィギュアの羽生選手。ショート・プログラムで、ゲイリー・ムーアの名曲を選んでくれて、ありがとうございます。ゲイリーには、これまで何度もインタビューしており、色々な想い出があり、感慨深いものがあります。
あっ、でもその話をする前に、あの話を少しだけ。オリンピック開催直前に起きた、”あの騒動”のことを……
書きたいことはたくさんあります。でも、どこから書き始めれば良いのか、何をどう言えば良いのか…。色々な思いが絡まり合っていて、それをどう解いてゆけば良いのか、少々戸惑い感じています。
“よくあることさ”などと、知ったかぶりしたくはないし、かと言って、”騙すなんて最低だ”なんて優等生ぶった言い方は、ちゃんちゃら気持ち悪い。
ミュージシャン&プロデューサー。作家&編集者。担がれる人&担ぐ人。表にいる者&裏にいる者。名がクレジットされる者&されない者。セルフ・プロデュースに長けている人、裏方に居場所を得る人。それぞれが、それぞれの立ち位置を自覚し、それで回っている世界だって、幾らでもあります。
チームOOO。いまの社会、世間が何を欲しているかを嗅ぎ取り、そうして動く、周囲の人々。大勢で時間をかけ、ひとつのモノを創り上げてゆく。影にいる側が、表にいる側の持つ能力を、目一杯引き出しながら。
イメージ戦略。それは普通にやっていること。それが売る側のお仕事。だって、”とっかかり”がないと売れない。それがいまの現実ですから。
どんなに優れた作品でも、黙って出すだけでは、まず注目されない。何も始まらない。いや、優れた作品だからこそ、その存在を世に知らせる為に、色々な立ち位置にいる者が、懸命に色々なことを仕掛けるのです。創り手本人はまだしも、売り手は商売人。売らなければならないわけですから。
それで…
謎めいた風貌やら奇怪な言動やら。いかにも偏屈なアーティスト的な。あるいは逆に、とても素朴で良い人的イメージ。それを目一杯引き出し強調する。
あるいは、実は苦労人。大事故、大怪我、屈折何年。貧しさから這い上がってきました。そうしていまの自分があるのよ、こんなことが出来るのよ…などなど。その創作物を飾る要素、光を当てる物語。
同情、共感。涙・涙・涙の物語。
イメージ戦略、イメージ戦略。
逆に、”順調満帆にいきました”ちゃんちゃんでは、人は感情移入し辛い。注目してはくれない。それが現実ってもんよ。
受け手側は、その作られた物語を思いながら、観たり聴いたり。するとその作品の魅力は、個々の中で、より一層膨らみ精彩を放つ。それは誰でも、多かれ少なかれ、経験していることなのではないでしょうか。
極端な話(…いや、よくある話)、そのアーティストや作品が”微妙なもの”ても、それに巧妙に計算された、インパクト大な物語を纏わせたりと、しっかり仕込みさえすれば、世間は関心を持ってくれるし、天才だ傑作だと、方々で持て囃される。嫌な感じに聞こえるかも知れませんが…。
“何々を思いながら、作品づくりをした”。インタビューの中でそんなこと、アーティスト側は良く言いますよね。それだって後づけを、幾らでもやるでしょう。やっている内に、御本人の中で、それが真実となっていくことだってあるでしょうし。まあ、それも創作の一環、とも言えます。
例えばスポーツなどは、最終的には数字で勝負の世界。数字(=成績)が実力のすべて。その数字を上げさえすれば、世間に認められます。しかしそう簡単にはいかないのが、芸術・アートの世界。音楽、それから文学などは、まさにそう。良し悪し上手い下手は、人それぞれの受け止め方によりけり。速い遅い何秒何メートルという、絶対的評価のない世界。だからこそ、魅力的でもあるのですが。
だから、繰り返しになりますが、色々なことが行なわれる。行なえてしまう。行わなければならないのです。大化けしそうなキャンバスや石や粘土を発掘し、それに色乗せたり彫ったり捏ねたりしながら…。
しかし…それにしても…今回は……
それやこれやとは、まるで次元が違う。その物語の作りっぷりが、あまりにも度を超えている。乗せるにも、限度があるでしょう。やってはいけないこと、超えてはならない領域を、軽く超えてしまいました。
それから、もうひとつだけ…
誰かに指示されたり、発注を受けたりしながら、その要求に応えるのは、それはそれで素晴らしい。ただしその場合、それはアーティストとは呼ばない、職人や商売人などと言った、別の何かです。
アーティストとは、ゼロから何かを生み出す者。周囲から何かを感じ取り、それを自分の中に取り込み、そうして自分の中から何かを、ゼロから生み出す人。だからこそ、我々はこころ動かされるのです。それが真のアーティストというもの。
話が少々逸れてしまいましたが…
今回の場合、その作品に罪はありません。いや、作品が最大の被害者、とも言えるのでは。素顔で勝負したくても、周囲の都合でそうはいかず、化粧を施され衣装を着せられ、舗装された道に立たされてしまったわけですから。
今後は世間が、この影武者がご自身の名で発表する作品に、ちゃんと耳傾けてくれますように。その時には、そのイメージやら何やらではなく、作品そのものが、冷静に正当に評価されますように…。
で、その”話題の曲”で滑った高橋選手。
“この騒動で動揺するのでは”などと言われていましたが、なんのその。その演技には、鬼気迫るものがあり、惹き込まれました。そうして実感しました。素晴らしい曲は素晴らしいのだ。それを書いた人が、どこの誰であろうと。そうして優れた表現者は、周囲がどんなに騒々しくても、そんなことにいちいち動揺したりはしないのでR。
さあこの話は、この辺にして……
いよいよ、先に触れたゲイリー・ムーアのことを。”ロック界の人

国宝”と讃えられた、アイルランド出身の名ギタリスト。享年58歳。

羽生結弦選手がショート・プログラムで起用した、”パリの散歩道”(英語タイトルは”Parisienne Walkways”)は、アルバム『バック・オン・ザ・ストリーツ』(1978年発表)収録。哀愁を帯びた泣きのギターで知られる、これぞ真のアーティストによる真の傑作です。
その美しい旋律に乗り、羽生選手は3桁という驚異の記録を打ち出してくれました。名アーティストによる名曲と、名スケーターによる名演技。胡散臭さのないコラボレーション。
ゲイリーは、”インタビュアー泣かせの偏屈者”などと、一部では言われていたようですが、それは恐らくは、アーティストとして妥協しない、拘りの強い厳しい人だったから。そういう人は、”偏屈”というつまらない言葉で、片付けられることが多々ありますから。
実際には、ユーモアのセンスに溢れた、とても話し易く、ソフトで魅力的な人物でした。そうそう、前回のインタビュー内容を、いつも覚えていてくれて、話をしながらびっくりしたことが、何度もありましたっけ。
取材はいつも、日本⇔アイルランドの電話インタビュー。アルバムがリリースされるたび、プロモーションの一環として、毎度行なっていました。その都度、シメの言葉は決まって、”次回は日本で対面インタビューしよう!”。でもその次回もまた電話インタビューと、その繰り返しで。結局、お会いすることは叶わず…。
“パリの散歩道”が、ソチで初披露された2月6日は、奇しくもゲイリーの3回目の命日でした。当時インタビューでお世話になっていた、ゲイリー担当ギター雑誌編集者に、久しぶりにメールをし、そのことを知りました。
自分がこの世に残した、大事な大事な御子が、世界中の人々が見守る中、あんなに美しく表現して貰えて、ゲイリーは今頃きっと、天国で照れ笑いしていることでしょう……。

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高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。

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