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“早期英語教育”は必要か?

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通訳・翻訳者リレーブログ

先々週のブログを読んでくれた友人に、“色々な国の人達をインタビューしてるけど、みんな英語で会話してるの?”…と訊かれました。

そうですよね。イタリア人、オーストリア人、スウェーデン人、フィンランド人、ドイツ人、ポルトガル人……と、大勢の“英語を母国語としない人々”にも、取材していますもんね。
でも、はい、みんな英語でやっています。みんな“当たり前のように”英語を話します。“外国人とあまり接した経験のない新人アーティスト”でも、普通に英語を話しますよ。
そう、音楽業界では、とてもデリケートなクラシック(=独語)を除き、殆どの場合、それが何処の人であろうと、英語で間に合っています。物凄く難解な専門用語が続々登場するような会話を、するわけではありませんしね。

ですから、先々週の“脱線話”ではありませんが、そんな彼等と一緒に居る時間が長いと、きまって話題に上るのが、“外国語教育”について。

“どうしてそんなに流暢な英語が話せるの?”

思わず尋ねてしまいます。
するときまって、返ってくる言葉は、これ: “だって学校で学んだもん!”。“なんだよ、いきなり! 当たり前じゃん!”…という顔しながら、笑っていますよ、みんな。

たいがい小学校低学年時より、英語(その後に仏語や西語)を学んでいるんですよね。それも、映画を観ながら、“耳を英語に慣らす”ことから始めることが多いようです。そうして映画を観終わってから、その内容・会話について、先生&生徒とで、話し合うのだとか。その後、“耳が英語に慣れてきた時点”で、文法の勉強を始めるのだと言います。どの国に人も、これはだいたい共通していますね。

おー、なんて理想的な勉強方法! 何故これが日本で出来ないのでしょう?

まぁ、どのバンドも、メロディー&歌詞担当=ヴォーカリストORギタリスト=話好き=スポークスマン(=インタビュイー)=語学は昔から得意な人達。そうして彼等の共通点は、“耳”がずば抜けて良いこと。だってミュージシャンですもの。みんな“耳”から外国語を吸収しているのですよね。
ですから彼等だけを見て、“早期外国語教育を受けてきた人達は、誰もがみんな外国語が堪能だ”…などと断言するのは危険でしょう。それは重々承知しています。そうしてこの私は、語学の専門家でも教育者でもない、いち通翻訳者。
ですから以下の文章は、そういう人間の呟き&疑問として、読んで頂ければと思います。

で、まずは、良く言われることから……。

“日本の英語教育は、‘使える英語’の習得を目標にしているわけではない”
⇒って、はっ? では日本ではいったい、外国語を、何の為に学ぶのですか?

“小さい内に色々と詰め込むと、子供は混乱する”
⇒脳味噌が固まったそこの大人達よ、自分の子供時代を思い出しましょう。周囲にいる子供達を、じっくり観察しましょう。彼等は、まるでスポンジのようなもの。何でも容易く吸収する能力を持っていますよ。

“日本の文化も分かっていない子供に、外国語を教えても意味ない”
⇒文化? って、それこそ小学生には難しいでしょう。後々、徐々に、学校の内外で、人として成熟していく中で、じっくりと身につけていくものだと思うのですが。私がこれまで接してきた“英語を第二外国語とするアーティスト達”で、母国語や母国の文化等に弱い人など、ひとりもいませんでしたよ。彼等のような人達の方が、むしろ、母国と向かい合い、深く愛しているのを実感します。あっ、この私もね。余談。

“小学校の限られた授業時間枠内で、これ以上、外国語に費やす余裕はない”
⇒するってーと、欧州や北欧圏の子供達の授業時間は、日本の子達よりも、長いのですか? それとも彼等は、他の科目を削ってまで、外国語に力を入れているのでしょうか?

“欧州・北欧圏の子供達の母国語は、構造上・文法上、英語に近いから、習得するのが早いし簡単”
⇒私は、韓国、中国、台湾、タイ、シンガポールなど、アジア圏の音楽ジャーナリスト・評論家を大勢知っていますが、みんな“使える英語”を話しますよ。それに比べて、日本人同業者の大多数と言ったら…。嗚呼。

“将来必要に迫られた人だけが、その時々で学べば良い”
⇒脳味噌・身体が固まった段階で始めるのと、それ以前の段階からやるのとでは、それに伴う労力も時間も(ついでにお金も)、まるで異なりますよ。

“だいたい、なぜ英語でなければならないんだ?”
⇒“世界共通語”だからです。現在、異なる言語を母国語とする者達が一堂に会し、意見を交わそうとした場合、共通語は通常英語。それが現実。ネットもそう。好もうが好むまいが。

“外国語”“言葉”とは、ひとつの“ツール”にすぎません。よって、それを持っているだけでは、何も出来ません。何の役にも立ちません。でも持っていて、けっして損はありません。邪魔にもなりません。場所も取りません。ですから、使わない場合は、とりあえず、何処かにしまっておいてください。そうして、使う必要性に迫られた時に、改めて引っ張り出してください。
そう、それをどう磨き、どう研ぎ、どう使いこなすかは、その後のその人次第。はい、その使い方、使い道は、後々ゆっくり考えれば良いのです。
でも、必要になった時点で、慌てて手に入れようとしても、すぐに手に入るものではありません。また歳を重ねれば重ねるほど、それを入手するのは、その才に長けている者でない限り、なかなか大変な作業になるでしょう。

そう、いざという時に、とても重宝するこの“ツール”。使いこなせるようになったら、これ、本当に便利&面白いですよ。だって、異なる文化の中で育った人々と接し、対話できますもん。世界がうーんと広がりますよ。衝突、摩擦、誤解を無くす“鍵”にも成り得ますしね。
それを、次代を担う子供達に持たせるのは、大人としての義務ではないでしょうか。
“銀のスプーンを口にくわえた子”を産むのは、そう簡単なことではありませんが(笑)、でも幼児に、銀のナイフ&フォークを、両手に持たせることくらいは、大人として親として、不可能ではないと思うのですが…。

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記事を書いた人

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高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。

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