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日本へのラブレター

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通訳・翻訳者リレーブログ

幼年期の貴重な時期を、カナダはロッキー山脈の麓町で過ごし、十代の多感な頃に、南米の某国で暮らした。その後、日本へ帰国し大学に入った後にも、休みのたびいつも、懲りずに世界中を旅してきた。
慌てて、スーツケースに荷物を詰め込み。一日でも早く日本を脱出し、一日でも長く海外に居たい。と、いつもそんな勢いで。
あの頃、何にそこまで、駆り立てられていたのだろう。
この国の外のいったい何に、それほどまでに、こころ惹かれていたのだろう。振り返り、不思議でならない。
いや、たぶん、特別な理由などなかったのだと思う。旅に出るのに、理屈など、いちいち要らないのだから。今も昔も。
社会人になり、雑誌社で9時5時やっていた頃も。夏休みに冬休みにゴールデンウイークにと、まとまった休みあるたび、それを目いっぱい使い。休みに入る前日に、スーツケース会社へ持ち込み、就業後そのまま成田空港へ直行。休みのたび、そんな感じで。あの当時、日本で新年を迎えたことがなかったほど。
メキシコ、エジプト、タイ、ベトナム、韓国、香港……。仕事を兼ねてのアメリカ本土あっちにこっちに、ヨーロッパ諸国あっちにこっちに。それから第二の故郷カナダは、言うまでもなく。
旅は刺激。新しいものとの出会い。世界中の光景を目にしたり、異文化や食文化に触れたり、異なる風や匂いを体感するたび、ワクワク・ゾクゾクしたり。それまでの自分とは別の自分を発見したり、新しい自分になったり。新しい世界が開けたり。
“住んでみたい”…と一瞬思ったり、時には真剣に考えてみたり。そんな国にも、幾つか巡り合ったりもした。
そんな日々が何年か、いや何十年と続いた。
それが、いつ頃からだろう。国内に、こころ傾くようになっていったのは。
日本というこの国に。母国であり、17-8歳の頃から、ずっと住むところ。にも拘らず、知らないこと、見たことのない光景が、いかに多いことか…。国内を旅するたび、そんなことを痛感し、新しい出会いするたび、この国が益々好きになっていった。
日本に、もの凄く強く、惹かれていった。
きっかけ。そんなことは、まるで覚えていない。特にこれと言ったきっかけや瞬間など、別になかったのだと思う。かといって、海外に飽きてしまったわけでも、けっしてなく。
本当に、なんだったのだろう。まるで思いつかない、思い出せない。だからまあ、ここにわざわざ記すような興味深い理由や、決定的な出来事があったわけではないのだろう。
ただ単に、年のせいなのか。
住み慣れた場所、母国の魅力に気づくのには、それなりの時を身にまとわないと、難しいと思うから。ああ、そういうことなのだろうか。
年を重ねるに連れ、この国の感触&こちらの求める空間とが、次第にマッチしていった、ということか。その色調や空気感などが、こちらの歩みや歩調や息遣いと、しっくり重なり合ってきた、とでもいうのか。
とにかく、時の流れと共に徐々に、この国が断然面白くなり始めたのだ。その魅力に、改めて気づき始めたのである。気がついたら、日本に夢中になっていた。
そうして、それと反比例するかのように、海外へは、ぷつり足向かなくなっていった。
日本―。自然の中での日常。自然との共存。意識しないほど、それは常に其処にあるもの。
穏やかに、柔らかに。和を重んじながら。
征服し開拓し、自然を意のままに。すべてをシンメトリーに並べ替え、権力ふりかざす、わたし中心。そんな生き方などではなく。
あらゆる空間に神住む地。
日本国内を旅し、初めての場所へ足を運ぶたび、”こんなところにこんなものが””なぜこれまで、気づかなかったのだろう”…と。そういう瞬間が、これまで幾度あったことか。
別に何処か遠くまで、旅に出なくても。いま居る此処に居ながら、感じ入るものも。たとえば、四季の移ろい。
近くの公園へ行くと、ついこの間まではチューリップが、いや、そのまた少し前までは、桜が咲き乱れていた其処に、色とりどりのポピーが、辺り一面に揺らいでいたり。
花々のバトンタッチ。それぞれの舞台の美しさに、自然の驚異に、改めてこころ打たれる。

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草葉の色彩も然り。緑ひとつ取ってみても。日本のその色は、ヨーロッパや北米のそれとは、明らかに異なる。これ、言葉でどう表現すれば良いのだろう。日本を包み込む緑…。うん、そう、とても淡く柔らかで。独特の色している。
それから、日本の山々。海外のものとは趣が違う。それどころか、同じ国内の山々でも、たとえば山梨や長野や富山あたりと、東北方面の山とでは、その様子がまるで違う。この狭い国の中でも。
そんなことに気づくだけでも、とっても幸せな気持ちになる。

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あるいは、ガソリンスタンドの真横に、塀なし仕切りなしで、墓地広がる光景に仰天したり、田んぼのド真ん中に、軽トラックがぽつねんと停まる様子に、思わずほっこりしたり。
書き連ねたら、キリがない。そのどれもが、すべてがこの国らしさ。
何だか、すごく楽しくなってくる。
小さな島国だけれど、その南北に長い土地柄ゆえ、たとえば桜は、毎年約1カ月あまりに渡り、ゆっくりと日本国中で楽しめる。
桜前線―。なんて素敵な言葉なのだろう。
つい先日も。その桜を追って北上。
今年最後の桜、これからしばらくは見られない桜を…。しかし残念ながら、何処を観ても、あるのは葉桜ばかり。今年は、1週間ほど早かったそうな。でも、それはそれ。その時々その土地土地には、惹かれるものが、

幾らだってあるもの。美しい光景は、この国には幾らでもある。

桜から葉桜、そうして新緑へと。ゆっくり、季節の移り変わり。自然の彩り、それぞれに。小さな瞬間瞬間、それすべてが愛おしい。

そういえば、いつだったか。ある年の厳冬。
東北道をひたすら北上した後、山形道へ入った途端、景色が一変した。”トンネル抜けたら”…ではないが。いきなり視界が限りなくゼロに。吹雪により一気に、墨絵の世界へと吸い込まれ。外界から遮断され、音すべてが雪に吸収され、何処か別次元の世界へと、いきなり迷い込んでしまったような、そんな一瞬だった。あの辺りを通るたび、あの時の景色が蘇り、いまでもゾクゾクする。
話を戻して、今回のこと。
至るところに広がる、長閑な田園風景。旅に出たこの頃は、まもなく田植えの季節で。水が半分ほどに張られた田圃は、眺めていて飽きなかった。
キラキラした水面には、周囲の草木や農具小屋が映し込まれ。そこにアオサギが一羽いて。その凛とした佇まいに、見惚れたり。
そうして、その遥か向こうに顔覗かせるは、雪の帽被る山々。そう、雪…雪! 5月中旬だというのに。
そんな光景を目にし、とても得した気分になる。

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それから…
桜の木の下で、耳を澄ませば聞こえる、葉々が風に揺れる音。足元に目落とせば、其処此処に木漏れ日が。その陽光の強さや色合いは、少しずつ変わっていることに気づく。
昼間には、鳥の囀りが。そうして夜、宿から外に出てみると、これはなんだろう。聞いたことのない虫の声に、辺り探してみるも、その姿を発見することはできず。夜闇の中、虫の優雅な連弾が続く。

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見上げると其処には、東京ではお目にかかれない、高く広い空が。
そうして、ゆったりとした時の流れ。
shiro.JPG弘前城。10年後のその姿に、思い馳せながら。遠くに望むは岩木山。眺める場所により、違って見えるから面白い。お堀の水面に映る天守も、これまた美しく。そこ一面に浮かぶ葉々に、レンズ向けながら、また息を呑む。
しかし―。
いまあるこの美しい光景も、この穏やかな日々も、永遠などでは絶対になく。それは案外と脆いもの。そんな気がしてならない。
我々はあくまでも、ほんの僅かな間だけ、此の地球に間借りする身。だからこそ、権力振りかざし、私物化してはならない。私欲の為に使うことなど、けっしてあってはならない。
日本。これからもずっと、我々いまの住人が、此処から居なくなった後も、変わらず平和で美しい国であるよう。その為にも、いま此処に住む我々が、その行動にちゃんと責任を持ち、しっかりと向かい合っていかなければ。手遅れになる前に……。

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記事を書いた人

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高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。

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