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サード・カルチャー・キッズ☆帰国生

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通訳・翻訳者リレーブログ

帰国生。帰国子女。
それは…自らの意志ではなく、両親の赴任により、海外に長期滞在した日本国籍の子のこと。
英語でこれに当て嵌まるのが、third culture kid(TCK)。
『The Third Culture』(John Brockman著、1995年)中に登場し、広く知られるようになった言葉ですが、元々は50年代に、子供達とインドに赴任した、科学者夫婦が使い始めたもの。
では、なぜ”第三の文化”なのかと言うと。
“第一”は、両親&自分のルーツとなる国、”第二”は、両親の仕事の関係で住む(住んでいた)国、そしてこの”第三”は、第一&第二の国により出来た、各々の世界のこと。
アメリカでは当初、このTCKという表現を、海外育ちのアメリカ国籍の子にのみ、使用していたのですが、その経験や特徴などが、国籍に関係なく共通していることに、やがて気づいたのだとか。
“第三文化の子供達”と、”国に帰って来た子供達”。
個人的には、その表現の違い自体に、アメリカVS.ニッポンの文化の違いを強烈に感じ、興味深いなと思っています。
…と、なぜこの期に及び、いきなり、こんな話を始めたかと言いますと……
先日。
南米アメリカンスクール中高校時代の友達等とやっている、フェイスブック・グループで、誰かがこのTCKのことを取り上げ、話が非常に盛り上がったから。
この学校に通っていた生徒の、約50%がアメリカ人。その片親(もしくは両親)の大半は、軍人・外交官・宗教家の内のどれか。つまり、みんなこのTCK。母国アメリカで殆ど暮らしたことがない…という子もたくさんいました。
そして今回のフェイスブック・グループの文章には、このTCKの特徴が綴られていたのです。
ざっくり抜粋翻訳すると……
○何処へ行ってもカルチャー・ショックの連続。と同時に、何処へ行っても動じることはない。
○海外生活は大好きだし大嫌い。旅行は大好きだし大嫌い。
○一か所にちょっとでも長居してしまうと、旅に出たくて身体が疼く。
○自慢していると思われるから、子供時代の話はなるべく避けて通りたい。
○でも、聞かれると答えてしまう。すると予定どおり、”自慢している、格好つけている、偉ぶっている”とコソコソ言われる。
○だから結局、TCK同士で群れるのがラクだと感じてしまう。
○実際、友人には同じTCKが多い。
○”好きな国”を聞かれても、みんなそれぞれに特別な国なので、まともに答えられない。
○何処でも居場所を見つけられるけど、何処にも居場所がなかったりする。
○パスポートの国に戻るのは、嬉しいことでもあり、気の滅入ることでもある。
○住んでいた国や町に、大物アーティストがコンサートで来たことがない。
○戒厳令、外出禁止令、爆破予告、反政府デモ…等々を経験。これ等の理由により、学校が休校になったこともある。
○年がら年中、空港を往復していた。=本帰国する学校の友達を見送る為。
○パスポートの国の人々に外国人扱いされ、住んでいる国の人々にも外国人扱いされる。
○大変なことが色々あったし、でもそれをいちいち言葉にするのは億劫だし、だいたい、もう楽しいことしか覚えていないし、それに世界が大好きだし、世界に住む人々が大好き。
なーんだ。ほんとだ。まるっきり同じではないか!
国籍に関係なく、共通の経験&共通の思い。
読みながら、ニタニタしてしまいました。
いちいち可笑しいので、ここでひとつずつ掘り下げてみたいし、みんなのコメントも御紹介したいところ。なのですが、そんなことし出したら、永遠に終わりそうにないので、それはまた別の機会に。
ここでひとつだけ。特にウケたのが…
“戒厳令、外出禁止令、爆破予告、反政府デモ等々を経験”…というところ。これにわたしは、”同級生の家族が誘拐された経験”…を付け足そう。あっはっはっはっはっ~~(・_・;)
それに比べ、此の国ニッポンの平和なこと!
先週末も、大勢が集まる某会場にて――
隣に立っていた青年の、ジーンズの後ろポケットから、縦長財布が顔出していましたっけ。ぺこり”どーもすいません”と思いっきり。落下するんじゃないかという程、上半身丸出しのお財布クン。
それはそれは物騒な御国に、遠い遠い昔に住んでいたわたしは、こういう時、心底心配になってしまう。”おいおい! こんな混んでる場所で、大丈夫か?!”…と。
いや、たぶん、大丈夫なのでしょう、此の国ニッポンでは。
だって、そうそう。別の日に同所で――
数メートル先を歩く男性が、いきなり財布を落としてしまった。ぽとり鈍い音させながら。
すると、何ということでしょう!
近くにいた老若男女数名が、すぐさまパタパタ、彼を追いかけるではないか! ”落ちましたよ~”と、みんな一斉に叫びながら。その内の1人が、救われた財布を片手で、上空にひらひらさせながら。
この光景一部始終を、口あんぐり眺めていたわたし。幸せの青い鳥が、頭の中ピーピー囀っていたとさ。
そう言えば――
数日前にインタビューした、某北欧バンドのメンバーが、日本での滞在を思い出しながら、繰り返し言っていました。”緊張せずに街中を歩ける国って、素晴らしいよね”…と。
それそれ。緊張せずに歩ける国!
この世は、緊張感もって歩かねばならぬ地で、溢れかえっています。”緊張しながら”…と表現すると、それだけで大変なこと、ぐったり疲れてしまいそうですが、いえいえ、そんなことはなく。その緊張感が、自分の身体の一部となり、日常の当たり前になってしまうと、そう特別たいそうなものではなくなる。ちょうど出かける前に、靴を履くようなもの。裸足のまま、外出する人はいないでしょう? そんなような、特別ではない、ごくごく自然なこと。
その緊張感や、緊張していた自分に気づくのは、その環境から脱出した時。
例えば、本帰国後まもない頃。腕に凄い力入れ、ハンドバッグ小脇にしっかり抱えながら、”あああ、ここは日本だったんだ”…とふと思い出し、へなへなする瞬間があったり…。
普段意識しない、当たり前

なことでも、世界的に見たら、けっして当たり前ではないことが、此の国にはワンサカあります。その事実に気づくことすらない、此の国での日常。

マスコミやら、知識人とやら言われる人々は、恐怖心を煽り植えつけるような言葉、あれやこれや並べたがるけれど、安心してください! この国はまだまだ平和です。恵まれていますよ。こんな国こんな民、そうそう存在しませんよ。
もちろん、負の面を見て理解するのも必要。ですが、良い面をもっと意識し、それに感謝したい。
あっ、だからと言ってあたしゃ、アホなお花畑的平和主義者ではありませんが。
で…そう…だから… ”日本が一番”の、外国に無関心な人になんぞ、けっしてなりませぬよう。だって、何事もバランスが大事。世の中を冷静に俯瞰し、あっちからこっちから、色々な角度から眺めなければ。
自分の立っている場所が、世界の中心でもなければ、ましてや、この世のすべてではないのだから。
何はともあれ、
日本のこの日常が、ずっとずっと続きますよう…。
……そうとう乱文、脈略乱れて参りましたが。
地球って広いなあ。
地球って素敵だなあ。
ケセラセラ。
なるようになるさ。
まあ、要するに、
そういうことですよ。
ぶふふふふっ。

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記事を書いた人

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高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。

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