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通訳という仕事は面白い!

まめの木

通訳・翻訳者リレーブログ

手段と目的を区別するのは難しい。いや、区別自体が難しいのではなく、常に自己を俯瞰してこれらを「区別し続ける」ことは、とても注意力のいる作業だと思う。これは特に、通訳者になってから強く感じるようになった。通訳の仕事は毎日の勉強といっても過言ではないが、勉強することや知識を得ることはそもそも、最終的な目的である『自分のパフォーマンスがクライアントの役に立つこと』を達成するための手段に過ぎない。もちろん、初めから『だれそれのために』という意識のみではただの偽善者になってしまうが、何のために今これをやるのか、これを勉強するとどうなるのか、それは自己満足のためか、人前で恥をかかないためなのか、かっこいいところを見せたいだけなのか…等々の自己分析を怠ると、往々にして問題が発生する。自分自身のフィジカルな満足度とお客様の評価の間にズレが生じるのである。自分は決してそんなちゃちな自己防衛のために勉強しているのではない、と表層意識の上で思っていても、『対応できない場面に遭遇したらどうしよう』という、他人に一番見せたくない最大の恐怖に光を当ててみると、案外、こういったエゴが原動力になっている場合が多い。
子供の頃、よく父親から『ありがとう、と言っても気持ちが伝わらなかったらお礼を言ったことにならない。』と言われたが、それと同じで、『今日、この日のために、毎日寝ないで勉強したんです!』と涙ながらに主張したところで、そこで得た蓄積がお客様の役に立たなければ、何の意味もない。確かに、まったく別な要因で、自分にとって理不尽な場面に遭遇することもあるかもしれない。しかし、そのようなときこそ、実はまたとないチャンスなのだ。なぜなら、理不尽なことには必ず学びがあるからである。自分が悪くても悪くなくても、学べる点は必ずある。
自身の未熟なところと対決するのは苦しい作業だが、この作業を通して開ける新たな水平線は、まさしく自分だけの貴重な財産である。
通訳業は、仕事という具体的な作業を通して内的な作業を行うことのできる、類稀なる職業だ。
だから、通訳はやめられない。

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記事を書いた人

まめの木

ドイツ留学後、紆余曲折を経て通翻訳者に。仕事はエンターテインメント・芸術分野から自動車・機械系までと幅広い。色々なものになりたかった、という幼少期の夢を通訳者という仕事を通じてひそかに果たしている。取柄は元気と笑顔。

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