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自分に合わない仕事をするということ

みなみ

通訳・翻訳者リレーブログ

 私は小さいころから、特に夢がなく、なんとなく引かれたレールに不満を持つことなく、進んできた気がする。小学校の卒業文集のテーマが「将来の夢」だったのだが、なりたいものが何も浮かばなくて、本当に苦労したのを覚えている。このときはとりあえず、「学校の先生」と書いたが、「ならないだろーなー」と子供心に思っていた。一応、英語教師の資格は取ったけれど。
 まあ、こうやって生きてこれたということは、ある意味で平穏な人生だったということで、ありがたく思っている。
 しかしこんな私でも、いやでたまらない仕事をしていたことがある。私はあるメーカーで10年間、広報の仕事に従事していた。その間に、社内ビデオの制作という仕事を2年ほど担当した。
 撮影する機材はプロ仕様(テレビ局のカメラマンが肩に担いでいるタイプ)で、しかも古いタイプだったため(数百万円するので、一企業がそうそう買い換えられない)、取材に行く先々で「かわいそう」「大変だねえ」と同情され、自分でも「なんてかわいそうな私」と思っていた。編集機材の操作も、機械音痴の私はなかなか覚えられず、それぞれの端末に絵入りのマークを入れて、間違えずに接続できるようにするなど、私なりに必死だった。また、編集は独りで編集スタジオにこもる必要があり、孤独な作業だった。
 今、思うと、なんであんなに思いつめていたのだろうという気がしてくるが、日に日にやつれていくほど、いやで仕方がなかった。
 そして数カ月後に、部長との面談で、「これ以上続けられない。もうビデオからは外してほしい」と訴えた。すると、「大変なのは分かっている。でも、今やめたら、中途半端なままで後悔するはず。ビデオの仕事が一人前にできるようになってからでも遅くないのではないか。あと半年(1年だったかな?)、我慢してみてはどうか。一人前になったら、必ず交代するから。ビデオ編集のスキルを持っていれば、部内でいざ必要になった時に、そのスキルを発揮できるから」と励まされた。
 そう言われて、なんだか妙にすっきりとしたことを覚えている。「確かに、今の私ではビデオの仕事をしたとは言えない」とようやく自覚できた私は、自分なりに仕事をこなしていった(文句は相変わらず、言っていたけれど)。こんな私を支えてくれた周囲の人々に、今思うと、感謝の気持ちでいっぱいである。
 そして今、ビデオ撮影する時に「ここは右からパンして、5秒静止」とか考えられるのも、たまに入る、映像用のスーパーの翻訳に、作業段取りを考慮しながら取り組めるのも、このビデオ編集の経験があるからこそ。
 でも一番いい収穫だったと思うのは、自分に合わない仕事がどれだけつらいか、そして、自分に向いた仕事をやれることがどれだけありがたいことかを実感できたことだと思う。
 今、自分に合わない仕事をせざるをえなかったり、何をしたらいいか、悶々としている人に、「私のように我慢してはどうか」などど言うつもりはない。ただ、僭越ながら言えることは、「今、やっていることだって、決して無駄にはならない。そこからきっと、自分がしたいことが見つかるし、今の経験を生かせる時が来るはずだから」ということである。
 

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記事を書いた人

みなみ

英日をメインとする翻訳者。2001年からニュージーランドで生活。家族は、夫(会社員)、娘(小学生)、ウサギ(ロップイヤー)。

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