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辞書を編む ~その6~

アース

通訳・翻訳者リレーブログ

(これまでの概要)「使える辞書が欲しい」という思いだけを原動力に、現場の翻訳者や通訳者、すなわち「辞書作りの素人」たちによる『スペイン語経済ビジネス用語辞典』の制作が始まりました。しかし、言うは易く、行うは難し。2000年4月の第1回会議から2006年7月の最終脱稿まで、「辞書作り人」たちはどのような生活を送ったのか、その点についてきょうはお話ししようと思います。

          ☆

辞書作りというと一大プロジェクトですから、狭いオフィスに担当者が大勢いて、タバコ臭い会議室で喧々諤々のやり取り、編集室は書類に埋もれ、時にはイスを並べて居眠りして…というイメージでしょうか(古い?)。

しかしわたしたちは、それとはまったく違う環境下で辞書作りを進めました。前に書きましたように、編集母体となったのはスペイン語教育を多角的に行なっている(有)イスパニカさん。代表者のIさんが常駐するオフィスで会議をすることはありましたが、結局2006年までに生身の人間が集まって行った会議の数は、10回を下回るのではないかと思います。

それはなぜか。

メインで執筆したメンバーが、北陸地方ド田舎に住むこのわたしと、作業が軌道に乗り出したころから旦那様の赴任のためボリビア在住となったMさん、そしてイスパニカのIさんで、しかも総監修をしてくださった関西大学のK教授(当時)は大阪在住だからです。さらに言えば、最終校正で活躍してくれたYさんは新潟県。というわけで、そもそも全員が一堂に会したのは、結局1回だけだったのではないかと思います。

従ってやり取りは基本的に、日本国内は電話とメール、日本とボリビア間はメールとチャットを通じて行いました。2000年というと、インターネットはまだ従量制料金が普通でした。もしその後、固定料金制が普及しなかったら、そして通信速度が当時のままだったら、経費は膨らみ、辞書の完成もかなり遅れたでしょう。(ああ恐ろしい)

イスパニカのIさんは会社経営に忙しい部分があり、他のメンバーは他の仕事との兼ね合いが難しい人が多かったので、執筆作業の多くはMさんとわたしが担当しました。つまり日本とボリビア間のメールだけでのやり取りです。でも、それが吉と出ました。メールを書くこと自体は面倒ですが、メールフォルダがすなわち辞書作成記録となるわけで、記憶が定かでない場合、検索をかけて記録を掘り出すこともしばしばでした。

辞書とは関係ないメールもごく稀にはありましたが、数年間、1月1日から12月31日までほぼ毎日、何十通もの辞書メールが日本ーボリビア間を行き交いました。メールソフトの記録を見ますと、わたしとMさんとのメールの本数は、

2002年 1516通
2003年 1245通
2004年 2994通
2005年 5654通
2006年 5137通(7月の最終脱稿日まで)

と、まさにうなぎ登り。2006年に至っては、一日平均27通。しかも「白菜買ってきて」みたいな一行メールではなく、いずれもぎっちりと内容のあるメールがずらりと並んでいます。

earth80.png例えばこんな感じ。

わたしとMさんはこのプロジェクトで初めて出会ったのですが、フリーランス同士のやり取りですので、「○○様 お世話になります」に始まって「よろしくお願いいたします。アース」で終える必要がなく、前書き抜きでいきなり要件、タイトルもわかりやすけりゃそれでいい、誤字もそのままという感じで、その点では楽でした(それにしても「美辞ネスファイル」とは。直す時間と手間を惜しんだのでしょうが…。「けつまっくえん」は、どちらかが結膜炎になったのかも)

時間にもご注目ください。日本とボリビアの時差は13時間ですので、日本の午前5時53分は、ボリビアの夕方5時頃になります。よって、それぞれの昼間の作業で出てきた問題点や疑問点は、夕方までにメールで相手に送る、というサイクルが続きました。当時は朝起きると、Mさんからのメールがテンコモリ!!なのが普通でした。朝と夜にチャットなどを通じてリアルタイムで共同作業をしたこともあります。(いまならクラウドを利用するところですが、当時はまだ「クラウドってなに?くも?」の時代)

ついでに言うと、東京で作業するIさんは大変に宵っぱりの方で、Iさんが就寝した午前3時の2時間後にわたしが目を覚ます感じでしたので、一時期は1日24時間、誰かが起きて作業をしていました。

それでも、「作業が進んでいる」という感じはまったくなく、常に泥沼に足をとられている感覚でした。いまさらですが、辞書を作るって、大変なんです(笑)。

頭のなかは大量の情報がぐちゃぐちゃに入り交じり、神経細胞はフル活用でしたが、作業に没頭すればするほど、身体は動かさなくなっていきます。誰もが肩凝り、腰痛、頭痛、眼病、腱鞘炎を抱え、作業を抜けざるを得ないことも時にありました。わたしは肩と腰は大丈夫だったのですが、手首の痛みと眼の渇きには苦しみました。包丁が持てなくなったこともあります。

あまり誰も口にはしませんでしたが、それぞれ精神的に追いつめられたときもあったろうと思います。わたし自身は安定だけが売りで、精神的な上下はあまりありませんでしたけれども、それでも終わりの見えない作業に途方に暮れたこともあります。みんな、身体の不調、精神的な不調を乗り越え、ほんとうによくやりました。特にK先生を初めとする監修の先生方とイスパニカのIさんは、わたしやMさんより世代が上ですので、なおさら大変な思いをされたことと思います。

そして2007年2月。カシオの電子辞書エクスワードXD-SW7500に搭載される形で、待望の『スペイン語経済ビジネス用語辞典』が発売となりました。

earth63.jpg最新機種はエクスワード2015年モデル(XD-K7500)です。我々の辞書以外にも多数のコンテンツが搭載されていますので、通常4万円以上しますが、スペイン語関係者のみなさん、わたしの汗とドライアイのたまものの辞書をご購入いただければ幸いです(笑)。

※名前をイニシャルにしたのに深い意味はありません。総監修のK教授は楠貞義先生、イスパニカのIさんは井戸光子さんで

す。それよりひとまわり以上若輩のMさんとわたし、Yさんの本名は・・ナイショにしときます。

                         (このシリーズ終わり)

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記事を書いた人

アース

金沢在住の翻訳者(数年前にド田舎から脱出)。外国留学・在留経験ナシ。何でも楽しめる性格で、特に生き物と地球と宇宙が大好き。でも翻訳分野はなぜか金融・ビジネス(英語・西語)。宇宙旅行の資金を貯めるため、仕事の効率化(と単価アップ?!)を模索中。

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