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夏日、教育のことなど

トナカイ

通訳・翻訳者リレーブログ

フィンランドは異常気象です。先週は控えめに「15度くらい」と書いたのですが、この一週間は海辺のヘルシンキでも23〜24度、少し内陸に入ると25度を突破する日が続出しました。空の高いところからまっすぐ照りつけてくるバルト海沿岸の日差しは強く、20度を超えるとヘルシンキはかなり暑く感じられます。
いずれにしても、ついこの間まで雪が積もっていたのに、春を通り過ぎて一気に夏が来た感じです。急激な気候の変化についていけず、筆者はあまり体調がよくありません。仕事の方も、我ながら訳文のキレが悪いというか、自分の能力につき合うのにうんざりというか、ちょっと壁にぶつかっている感じ・・・
それでも、それはこちらの事情であって、発注していただく限りはひねり出してでも読むに足る成果物をお出ししなければ。限界を感じるときは限界を超えられるとき、かもしれないし・・・と自分に言い聞かせております(涙目)。

それはさておき、先日、このリレーブログで水曜日を担当されているぺこたんさんから、フィンランドの現地事情についていろいろお知りになりたいというお便りをいただきました(他の曜日を担当されている皆様からもブログ上でご挨拶をいただきまして、遅くなりましたがこの場を借りて御礼申し上げます)。エネルギーと好奇心がいっぱいのぺこたんさんのメールに、私もパワーをいただいた感じなのですが、その中で、ぺこたんさんはフィンランドのミュージシャンとも交流をお持ちというお話で、彼らの流暢な英語力に注目されたとのこと。どういう教育、特に英語教育を受けているのかというご質問の答えを、自分なりに考えてみました。ぺこたんさん、十分なお答えになっているかわかりませんが・・・

ミュージシャンの英語力については、まず彼らが国際的なマーケットで活動していくために必要不可欠なものなのではないかと思います。なぜかというと、フィンランドの人口は530万人ほどに過ぎず、日本などと比べるとお話にならないほど国内市場が小さいからです。そのため、ちょっとしたミュージシャンは皆海外ツアーに出て行きますし(大規模なものでなくても、たとえヨーロッパ内の小さなライブハウスであったとしても海外ツアーには変わりなし・・・)、楽曲を海外市場で売る必要も出てきます。さらには、フィンランド語の詞で曲を作っても世界の大半の人は理解できませんので、歌詞も英語で作るということになります。そんな中から、自然と英語力が培われているのではないかと思います。

フィンランドの言語教育の話を始めるととても複雑になってしまい、ブログの記事で処理できる内容ではないのですが、ごく単純に言うと、まずフィンランドではフィンランド語とスウェーデン語が国語(National language)で、人口の約6%がスウェーデン語を母国語としています。法律上、教育はフィンランド語だけでなくスウェーデン語でも提供されることになっているため、教育機関もフィンランド語系、スウェーデン語系の2種類があります。この他、ラップランドの少数民族サーメ人が話すサーメ語も少数民族言語として認定されていますし、その他の外国のバックグラウンドを持つ者に対しては、できるだけその文化を尊重した言語教育を行うということになっており、一定の生徒数が集まれば、母国語教育の授業を実施することが可能です。また、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語については、別途それらの言語をメインに教育を行う学校が小学校からあります。

ここから先は人口の大半を占めるフィンランド語系の学校の話に絞りますが、公立校の場合は3年生から外国語の勉強が始まりますので、スタートは日本より断然早いといえます。通常学ぶ言語は英語のことが多いと思いますが、その他の言語も選択可能で、勉強したい言語の授業が自分の学校で行われていない場合は転校することもあります。また、7年生(日本の中学1年生)では、フィンランド第2の国語であるスウェーデン語の必修も始まります。その他にも言語の勉強は可能で、小学校から高校までの間に、望めば数ヶ国語は外国語学習の機会があります。

実際の授業の様子ですが、視察や取材の通訳を通じて小学校高学年〜中学生の英語・その他の外国語の授業を見学した限りで(おそらく)日本と一番違うのではないかと思ったことは、英語の先生はフィンランド人の先生でも授業中英語しか話さないこと、そしてコミュニケーション(ディスカッションやプレゼンテーション、ロールプレイイング)の授業が設けられていることではないかと思います。もっとも、コミュニケーションの授業そのものは、日本であまり重視されていないだけで、フィンランド独特のものというわけではないと思いますが・・・

これは、読み書きや文法を学校で比較的しっかり教えられている日本人にとって非常にもったいないことですし、言語はコミュニケーションの道具だという前提に立てば、学校でそれを十分に教えないのは欠陥でさえあるといってもいいのではないでしょうか。ある講座で習ったイギリス人の英語の先生によれば、口は達者だが読み書きは大してできない・・・というフィンランド人などざらにいるということです。それでも、実際のコミュニケーション場面では後者の方が「英語ができる」ことになってしまうのが現実といえます。

筆者の夫(フィンランド人)によれば、1995年にフィンランドがEUに加盟して国際化・グロバリゼーションが始まり、市場を積極的に海外に求めるようになって、英語の重要性が現実のものになってきたようです。昔はフィンランドでも、トラディショナルなフィンランド人は海外旅行もろくにしなかったし、英語の授業も日本と似たようなものではなかったかとのこと。夫の場合は、大学に入ってから外国人研究者などと接する機会ができ、少しずつコミュニケーション能力がついたといいます。大学では、少なくとも数ヶ月は学生を積極的に海外で勉強・研修させ、国際経験を積ませているはずです。

日本からフィンランドへの教育視察には、多いときで年間数百人が来られていたと思います。そのため、筆者もこの分野の視察や取材、レクチャーでの通訳を一定量こなしてきました。情報伝達の担い手となれることはありがたいと思っていますし、来訪の機会を通じて多くを得ていただくことも常に望んできました。しかし一方で、現地で生活する実感としては、フィンランド人も常に彼ら自身の問題に取り組み、模索を続けているわけで、彼らが日本人固有の問題を何とかしてくれるわけではないということも感じます。海外から学ぶことも大事ですが、日本の教育

憂う人が減り、自分たちが誇りを持てるような教育が日本人自身の手で行われることが、本質的には大切なことなのだろうと思います。

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記事を書いた人

トナカイ

フィンランド・ヘルシンキ在住の多言語通訳・翻訳者。日本で金融機関に勤務の後、ヨーロッパへ。留学中に大学講師を務め、フィンランド移住後は芸術団体インターンなどを経て現在にいたる。2児の母。

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