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テクノロジーとコミュニティー

Hubbub from the Hub

通訳・翻訳者リレーブログ

先日、「コミュニティー作りにおけるテクノロジーの役割」に関するリサーチの一環として、2名のエキスパートにインタビューを行いました。1人はMel King氏。ボストンで生まれ育ったアフリカ系アメリカ人で、ボストン市長選挙に立候補した始めての黒人候補者です。今はMITに籍を置くと同時に、ボストン市内でテクノロジーを使ったコミュニティー作りを推進しています。2人目はCeasar McDowell氏。MIT教授であり、様々なコミュニティー計画に関わっている人です。

ボストンの有色人種コミュニティーの歴史を知るには、最も重要な2人と会う機会を得て、色々な情報を学びました。その中で興味深いと感じた、コンピュータ技術に関する「識字」と「イメージ」の話を紹介したいと思います。

コンピュータが日常生活の中に進出してきたのは、80年代のマッキントッシュの時代とされるのが一般です。それ以前、コンピュータを持つ一般家庭は非常に限られていました。しかしマックの登場は、パソコンとユーザーのインターフェースにアイコンを使用したことが示すように(例えば「ゴミ箱」はゴミ箱の絵がアイコンとして使われました)、視覚的に一般人にも使いやすい道具としてのコンピュータを意味しました。その後の発展を経て、今では写真や動画を見たり印刷するだけではなく、家庭ビデオをパソコン上で作ることが容易にできるようになりました。また、音楽がネット上でやり取りされるようになったり、ラジオやテレビをオンラインで利用することが当たり前になっています。しかしこの流れの中で、文字への依存は高まっていると、前出の2名は話しました。

例えばこれだけ音声認識機能が進んだ今でも、ほぼ100%の書類は、産官学の分野を問わずに文字として記録されています。手書きの手紙が少なくなったとはいえ、音声を録音したテープを送ったり、録音ファイルを添付ファイルで送る例は非常に限られています。

このことが有色人種のコミュニティーにおける技術の役割にどう影響を与えるかと言うと、財政的余裕が無いために十分なIT教育を受けられず、コンピュータ言語を操る人が限られているという人種間の技術格差があるだけではなく、これまでも語られてきた一般的な識字の問題がIT化によって解決されると言う神話が誤りであると言うことです。Computer literacyという言葉がありますが、その問題だけではなく、依然識字率が低いコミュニティーに於いては、相変わらず通常の識字問題が存在するのです。ここで言う識字とは、文字の読み書きだけではなく、正しい文法で英語を書く能力を含みます。

社会のIT化によって、識字問題の重要性を軽視してきたアメリカ社会に警鐘を鳴らす2名のお話でした。

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Hubbub from the Hub

幼い頃から英語に触れ、大学在学中よりフリーランス会議通訳者として活躍、現在は米国大学院に籍を置き、研究生活と通訳の二束のわらじをはいている。

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