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第145回 幸運に感謝するときに思い出す詩

にしだ きょうご

今日をやさしくやわらかく みんなの詩集

幸運に恵まれて、胸躍るときがあります。

難しいと思っていたことが、何かのきっかけで実現したり、あきらめかけていたところにチャンスが訪れたりして、神様は見捨てていなかったんだ!とわたしたちは幸運に感謝します。

そんなときに思い出す詩があります。

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Chance
Sara Teasdale

How many times we must have met
Here on the street as strangers do,
Children of chance we were, who passed
The door of heaven and never knew.

*****

偶然
サラ・ティーズデイル

いったい何度出会ったことだろう
通りで 見知らぬ人と出会うように
偶然の子だね 通り過ぎているだけなんだ
天国のドアを そして気づかなかっただけ

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この詩で歌われている「幸運」とは、生きている中で最高の幸運。つまり、今日一日を生きられたということ。

How many times we must have met
Here on the street as strangers do,
いったい何度出会ったことだろう
通りで 見知らぬ人と出会うように

わたしたちは日々、「死」と隣り合わせの毎日を生きています。それは、通りを歩いていて、誰かとすれ違うようなものなのです。

Children of chance we were, who passed
The door of heaven and never knew.
偶然の子だね 通り過ぎているだけなんだ
天国のドアを そして気づかなかっただけ

今日という一日を無事に生き延びられたのは、偶然の産物でしかなく、「死」とニアミスしていただけなのかもしれない。そんな風に考えると、信じられないような幸運に恵まれていたのだという感慨が心に迫ってきます。

そして、「幸運」ということについて考えてみると、幸運というものは、天国のドアのようにそこにあったのだけれど、自分はただ気づかずに通り過ぎていただけなのかもしれないと思えたりします。「幸運が訪れる」と言いますが、むしろ幸運はそこにいて、自分たちが気づけるかの問題なのかもしれないと考えたりします。

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今回の訳のポイント

この詩のタイトルである Chance という単語は、かなり誤解されている単語と感じます。

日本語の「チャンス」が連想されてしまうのですが、実際には「偶然」という意味で理解しなければいけない場面があります。

今日一日を生き延びられたのは「偶然」でしかない。であれば、その幸運に感謝して、大切に生きよう。そう考えるわけですが、これはまさにラテン語の Carpe diem の考え方ですね。

「一日を摘め」つまり、「一日を大切にしろ」となるわけです。

人生は有限である。その厳然たる事実を切実に感じる環境にあればあるほどに、たった4行の詩がじんわりと心に沁みてきますね。

 

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Written by

記事を書いた人

にしだ きょうご

大手英会話学校にて講師・トレーナーを務めたのち、国際NGOにて経理・人事、プロジェクト管理職を経て、株式会社テンナイン・コミュニケーション入社。英語学習プログラムの開発・管理を担当。フランス語やイタリア語、ポーランド語をはじめ、海外で友人ができるごとに外国語を独学。読書会を主宰したり、NPOでバリアフリーイベントの運営をしたり、泣いたり笑ったりの日々を送る。

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