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第195回 久しぶりに友だちに会うときに思い出す詩

にしだ きょうご

今日をやさしくやわらかく みんなの詩集

友だち。

親友だって、会おうと思えばいつでも会える、というわけでもなく、意外に会っていなかったなと思うことがありますよね。

久しぶりに会おうということになって、話したいことがたくさんあって、それで会いに行く。

そんなときのことを描いた詩があります。友だちに会いに行くんだというワクワク感を思い浮かべて読んでみてください。

*****

Paying Calls
Thomas Hardy

I went by footpath and by stile
Beyond where bustle ends,
Strayed here a mile and there a mile
And called upon some friends.

On certain ones I had not seen
For years past did I call,
And then on others who had been
The oldest friends of all.

It was the time of midsummer
When they had used to roam;
But now, though tempting was the air,
I found them all at home.

I spoke to one and other of them
By mound and stone and tree
Of things we had done ere days were dim,
But they spoke not to me.

*****

会いに行く
トーマス・ハーディー

僕は会いに行った 
牧草地を抜けて 木のゲートを越えて
街の喧騒はもう聞こえない
あちらやこちらへ何マイルも歩き続けて
友だちみんなに会いに行った

しばらく会っていなくて
最後に会ったのはずっと昔だったり
昔からの友だちで
友だちの中の友だちのような存在だったり

あれは夏の盛りのこと
僕らいつも外を歩いてばかりいた
でも今こんなに気持ちのいい日なのに
みんな「家」にいた

ひとり一人に声をかけてみた
土や石や木の傍らで
おぼろげになった過ぎ去った日々のことを
でも誰ひとり言葉を放つことはなかった

*****

友だちに会いに行くという詩だったのが、最後の最後で、実は、友だちはみな土の下にいて、石のお墓の中にいるということが明かされます。

友だちに会いに行こうと、はるか牧草地を越えて歩き続けたのは、亡くなってしまった友だちのお墓にお参りするためだった。

そう分かった瞬間に、涙がドバーッと溢れたのは私だけでしょうか。

*****

この詩を美しいと感じるためには、イギリスの田舎のイメージを鮮明に脳内で再生する必要があります。

I went by footpath and by stile
Beyond where bustle ends,
Strayed here a mile and there a mile
And called upon some friends.
僕は会いに行った 
牧草地を抜けて 木のゲートを越えて
街の喧騒はもう聞こえない
あちらやこちらへ何マイルも歩き続けて
友だちみんなに会いに行った

まず、どこまでも広がるなだらかな緑の牧草地。

そして、牧草地の境界には、石を積んだ石垣が伸びていて、木のゲートや梯子で誰でもそれを越えて歩いて行ける小径、フットパスが張り巡らされている。

フットパスを通ってなだらかな牧草地をどこまでも歩いてゆく。この広大さと、それを越えてゆく距離と時間の感覚。陽射しや雨を遮るものがない開放感を身体で感じながら、人に会いにゆくこと。

19世紀から20世紀のはじめのイギリスを舞台にした映画で、人が牧草地を延々歩いて行くシーンが登場することがありますが、こういう感覚が染み付いているのだと感じます。

*****

たとえ時間がかかっても、どこまでも、歩いてゆけるのは、友だちの中の友だちだからこそ。

I spoke to one and other of them
By mound and stone and tree
Of things we had done ere days were dim,
But they spoke not to me.
ひとり一人に声をかけてみた
土や石や木の傍らで
おぼろげになった過ぎ去った日々のことを
でも誰ひとり言葉を放つことはなかった

ところが、その友だちは皆、墓の下にいた。

石の下にすでに何年もいる友だちもいれば、まだ土に埋められたばかりの場合もある。人生の長さは、人それぞれ。残された側は、残りの時間を記憶とともに過ごす。

会いたくなったら、たとえ土の下にいても、会いに行くしかないんですよね。

*****

今回の訳のポイント

友だちに会いに行くという詩の最後の最後で、その友だちは皆亡くなっていて、訪れたのは皆のお墓だったという結末に、心が震えますよね。

読んでいる最中は疑問を感じないけれど、結末を知ったあとに読み返すと意味が分かる1行があって、これを日本語にするのが至難の業です。それが、homeという単語です。

It was the time of midsummer
When they had used to roam;
But now, though tempting was the air,
I found them all at home.
あれは夏の盛りのこと
僕らいつも外を歩いてばかりいた
でも今こんなに気持ちのいい日なのに
みんな「家」にいた

かつては、牧草地を一緒に歩いた仲間が、いい天気なのに家にいた。

ふつうに読めば、それだけのことなのですが、結末を知ってから読むと、死という、ある意味、収まるべき場所に収まったと読めてしまいます。

そういった両義性を感じさせながら、homeという単語を日本語にするにはどうしたら良いのか。見つけた答えは、単語ではなく、「家」というように括弧を付けること。

括弧をつけることで、その単語の文字通りの意味でないということを匂わせることができます。

*****

トーマス・ハーディーは、晩年は詩人として活躍しましたが、もとは小説家でした。叙事詩的大河小説から、イギリスの素朴な田園風景を描いた牧歌的小説まで書いた大作家でした。

何よりも、イギリスの田舎を描く天才でした。小高い丘から見下ろす牧草地の様子を、1ページ使って描き切ることもあるほどです。

「牧草地を歩いてゆく」という言葉だけで、彼のように、広い空とうねる牧草地を思い浮かべられたら、この詩も一層味わい深くなるはず。いくつものフットパスを越えて、イギリスの田園を歩きたくなります。

 

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Written by

記事を書いた人

にしだ きょうご

大手英会話学校にて講師・トレーナーを務めたのち、国際NGOにて経理・人事、プロジェクト管理職を経て、株式会社テンナイン・コミュニケーション入社。英語学習プログラムの開発・管理を担当。フランス語やイタリア語、ポーランド語をはじめ、海外で友人ができるごとに外国語を独学。読書会を主宰したり、NPOでバリアフリーイベントの運営をしたり、泣いたり笑ったりの日々を送る。

END