INTERPRETATION

第63回 勇気ある「卒業」

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

そろそろ卒業式の季節ですね。街を歩いていると、羽織袴の若い女性たちを見かけるようになりました。先日出かけた美容院では、平日昼間なのに意外と混んでいます。聞けば、3月は卒業式や謝恩会などで予約者が多いとのことでした。そこで今回は「学び」と「卒業」についてみてみましょう。

英語の勉強に限らず、私たちは「学び」という行為を続けていると、必ずといってよいほど直面することがあります。それは「マンネリ」という状況です。たとえば英語学習であれば、「テキストにずっと取り組んできたけれど、何だか最近やる気が起きない」と思ってしまうことがありますよね。私の例で言えば、「以前は楽しく早朝ジョギングをしていたのに、このところ今一つ楽しめない」「スポーツクラブのレッスンから何となく遠ざかっている」という感覚です。

ではなぜそうなってしまうのでしょうか?私は以下の理由があると考えています。

一つ目は「飽きた」という心理です。どれほど意気込んで始めても、同じことを繰り返し続けていれば、いずれは飽きてしまいます。それは人間である以上、致し方のないことだと思うのです。それなのに無理して同じことを繰り返していれば、いずれその行為自体が苦痛になってきます。ヤル気が出ないのに、ズルズルと続けてしまうと、その時間帯は非生産的になります。同じ時間を費やしても、思ったほど成果は出なくなってくるのです。「教材に飽きた」、「指導者の方法に飽きてしまった」ということ自体、学ぶ側が潔く認めても良いと私は思うのです。

二点目は、「学習者も成長している」という点です。なぜ教材や先生のやり方に飽きるかといえば、それは学習者自身が日々成長を続けてきたからです。かつては楽しかったテキストや先生のやり方も、自分自身が伸びていればだんだん物足りなくなってきます。別の見方をすれば、「テキストや先生に飽きてしまう自分が悪い」のではなく、「テキストや先生の指導がきっかけでここまで成長できた自分」を褒めてあげても良いと思うのですね。

三つ目は「他に関心の対象が出てきた」という状況です。「英語も楽しいけれど、最近は写真撮影に興味がある」「スポーツクラブのこのレッスンよりも、こっちの運動をやってみたい」という具合です。おおむねこのような心理になるのは、そもそもの学びが「趣味の段階にある場合」だと思います。もしどうしても必要に迫られていれば、「飽きた」などと言わずに黙々とやっていると思うのですね。たとえば仕事で英語を必要としているのであれば、勉強に飽きたなどと言う余裕はありません。業務において求められる技能をとにかく伸ばそうと英語学習を続けると思うのです。

以上3点から考えると、私たち学習者は、時に「勇気ある卒業」を決断しても構わないと私はとらえています。英語よりも他にやりたいことがあれば、そちらを優先しても構わないでしょう。ずっと好きだったレッスンを少しお休みするのも個人の自由です。

大事なのは、今、この瞬間に自分が取り組んでいることを喜びの対象としてとらえられるかだと思います。もうすぐ春で新たな学びの季節がやってきます。マンネリ化しているものがあれば、ここで一度仕切り直しをしても良いのかもしれません。

(2012年3月19日)

【今週の一冊】

「東日本大震災 石巻災害医療の全記録」石井正著 講談社ブルーバックス、2012年

震災から1年たった3月11日。新聞もテレビもあの日を振り返り、特集を組んだ。けれども明けて12日以降、首都圏で暮らしている私の周りはと言えば、震災前とあまり変わらないような気もする。「ダイエットをしなきゃ」と思わせるような広告、「今年はこういう服が流行する」という雑誌。だからこそ、あえて被災地や世界の紛争など、苦しむ人々に思いをはせなければいけないと私は思っている。

本書は石巻赤十字病院で勤務する医師・石井正先生の著作である。ブルーバックスは理系の人が好むシリーズという印象が強いが、本書は文系はもちろん、部下を持つリーダーや学校の先生方にも大いに参考になると思う。人の上に立つというのがどういうことか、どうあるべきかということが本文を通じてわかるからだ。

「誰かがやらなければならないのなら、自分たちで知恵を絞ってやるまで」
「いま踏ん張らないでいつ踏ん張るんだ」

この2文が私には非常に心に残った。

石井先生は今回の震災の際、宮城県の災害医療コーディネーターとして陣頭指揮をとった。全国から集まった災害医療チームを率いていったのである。注目すべきは本書誕生のきっかけとなった「ノート」。氏は災害発生後から毎日の出来事をノートに直筆で書きつけることを続けた。その記録がこの一冊に結びついたのである。

日ごろ何でもパソコンやデジタルグッズで記録する私たちだが、大規模災害時にはそうしたものは一切使えなくなる。過日、行政がSNSも導入して避難訓練を行ったとあったが、通信手段すら途絶えることもありうる。そろそろデジタルに過信せず、オーソドックスな方法も考えるべきではないかと私は思っている。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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