INTERPRETATION

第417回 めざす通訳像

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

秋になり、新たな学期が始まりました。志を胸に、通訳の勉強をすべく授業を受講して下さる方々をお迎えできてうれしく思います。

通訳を学ぶ上で必ず迷うこと。それは「どこまで訳すか?」です。具体的には「どれだけ拾えば良いのか?」というお悩みです。「通訳者は何も足さず・何も引かず」が理想とされています。しかし、ビジネス会議のように通訳時間が限られている場合、全訳を目指す通訳者がもたついてしまえば貴重なミーティングを妨げてしまいかねません。一方、同時通訳であれば、そもそも同じ時間内に入る英語と日本語では情報量が異なります。CNNやBBCのように「世界最速」とも言われるキャスターの英語を全訳するには無理があります。

通訳スクールの私の授業では、全員の逐次通訳を録音し、ルームスピーカーで流して検証していきます。私も受講生時代、自分の声をスピーカーから聞いた際、「え?え?このヘンな声って誰?私?こんな風に聞こえるの?」と大いにショックを受けました。自分の稚拙な通訳以上に、自分自身の濁声・鼻声が非常に衝撃的だったのです。

その当時、クラスメートの中にはプロアナウンサー並みに美しい声の持ち主がいました。現在私の周りにはうっとり聞き惚れるほど美声の先輩・同僚通訳者がたくさんいます。私もアナウンス学校や朗読教室などに行き、自らの声を変えられないか試行錯誤してみました。けれども生まれつきの声というのはなかなか修正できないのですよね。

ではどうするか?

「声の美しさ」「透き通るような美声」はもはや諦め、別の部分で戦うしかありません。そこで私が選んだのは「話者になりきること」そして「聴衆が求めるものを提供する」ということでした。

「この話し手さんが一番伝えたいことは何?」「聴衆はどのような通訳を求めている?」

このように常に自問自答するようになったのです。

たとえばCNNにはスポーツニュースがあります。キャスターたちはスポーツニュースを生き生きと伝えます。「ならば通訳者である私も、楽しくスポーツを訳そう」と思ったのです。

普段のニュースの場合、災害や戦争、政治や経済など堅い内容が登場します。声も落ち着きのあるようにと心がけます。その分、スポーツや紀行番組、インタビューなどは、話者に徹底的になりきることにしました。

CNNの看板キャスターの一人にRichard Questというイギリス人男性がいます。私が90年代にBBCワールドで通訳をしていた際、BBCでビジネスニュースを担当していました。その後CNNへ転身。経済だけでなく、航空問題の専門家として、そして紀行番組の担当者として人気を博しています。

氏の話し方は浪花節風で実にユニーク。ボディランゲージも豊かで、いつも楽しそうにカメラの前に立っています。BBC時代の私はクエスト記者のアクの強さが苦手でした。けれども20年近くたった今、氏の生き生きとした語り口はエンタテイメント要素があり、コミュニケーションの担い手として抜群だと感じます。

今後私が目指す通訳像。それは通訳者として話者になりきるべく、声や表情、間の取り方などをさらに向上させることです。

語学力・知識力だけでなく、トータルな意味でさらに学び続けたいと思います。

(2019年10月22日)

【今週の一冊】

“Babel: Adventures in Translation” Dennis Duncan, Stephen Harrison他著、Bodleian Library, 2019年

「バベルの塔」と言えばブリューゲルの絵画が有名です。元は旧約聖書創世記11章に出てくるエピソード。ノアの大洪水の後、人々は「天まで届くように」と高い塔を作り始めます。神からすると、これは人間による自己神格化であり、傲慢な行い。よって神は人々のことばを混乱させ、塔の建築をやめさせたという内容です。ブリューゲルの絵画は非常に緻密に描かれており一見に値します。

今回ご紹介するのは、オックスフォード大学ボドリアン図書館で開催された特別展をまとめたものです。今年2月から6月まで展示されていました。本書はバベルの塔のナゾだけでなく、言語に関する話題が満載です。

中でも私にとっての最高傑作は、1979年、Punchという英国の風刺漫画週刊誌に掲載された作品です。”Dans le Chip Shop”というタイトルで作者はMiles Kington。英語とフランス語をごちゃまぜにしながらフィッシュ・アンド・チップス店で店員とお客がやりとりするという内容です。マンガの横にある文章を読み進めると、ほとんどがフランス語なのですが、その中になぜか英語が混ざっており、「もっと安い魚はないかね?」「さらにお安いものを」とエスカレートしていきます。その問いに対する店員の答えが秀逸!「珍魚がありますが、自然史博物館で確認しないといけません」「もっとお安いものでしたら、魚味の包装紙を10ペンスでいかがでしょう?」という具合です。いかにもイギリス・ユーモアです。

もう一つは日本のネット上で話題になったSuperdryという衣料品メーカー。ロゴには「極度乾燥(しなさい)」という日本語が付いています。グローバル化が進む中、バベル的観点から本書はこのロゴについてこう綴っています:

“The dynamics of Babel are keeping people in touch with each other, and increasingly connect the British isles to all corners of the world.” (151ページ)

ところで放射能を表す黄色と黒のロゴ。これはカリフォルニア大学バークレー校の放射線研究所で発明されたそうです。シンプルなデザインですが、緊迫感あふれるものだと個人的には感じています。

巻末には参考図書や索引も充実しています。図録を越えた素晴らしい学術書です。

Written by

記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

END