INTERPRETATION

第94回 教えねばならないこと、教えたいこと

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

通訳の仕事に加えて教壇に立つようになってから早8年が過ぎようとしています。最初は手探りの指導でしたが、ようやく最近になり自分が目指すべき方向が少しずつ見えてきました。もっとも、「人」を相手とするのが教育です。いつも同じとは限りません。今でも授業をするたびに反省の連続です。

私にとっての指導とは「教えねばならないこと」と「教えたいこと」の二つから成り立っています。

まず、「教えねばならないこと」というのは、教育機関で定められたカリキュラムを実施し、目標に到達することです。義務教育でも高等教育でも専門学校でも、めざすべき学力が示されます。教師はそれにたどり着くべく授業計画を立て、教材をフルに活用し、学ぶ者が目標に達せられるよう指導しなければなりません。

教師の力量ももちろん問われますが、その一方で、学ぶ方にも覚悟が必要です。英語学習であれば、単語暗記や構文暗唱、通訳学校であれば逐次・同時通訳の訓練など、きつい作業を伴います。コツコツと反復練習を重ねることは単調でもあります。けれどもそれらを行うことで初めて実力はついてくるのです。「より良い状態を目指す」のであれば、それなりの「痛み」も伴うのです。政治の世界に例えれば、財政が潤うために一時的に増税がやむを得ないのと同じでしょう。

一方、私にとっての「教えたいこと」はもっと長期的なビジョンに基づくものです。単に英語力を増強させるだけではありません。私がめざすのは、「自力で考え、自分で動く人材」を育てたいというものです。

ニュースの同時通訳をしていると、世界で起きる悲惨なニュースが毎日入ります。最近であればアフガニスタンやシリア情勢、ハマスとイスラエルの衝突などが挙げられます。ごく普通の生活をしていた人々の日常に、突然銃声が響くようになる、空爆が始まる、家を失い、家族が犠牲になる。そのような状況に直面している人々が今、この原稿を書いている最中にもいるのです。日本国内であれば、東日本大震災で今なお苦しい生活を送っている人々が被災地にはいます。

今の日本社会にもそれなりの問題はあります。けれども少なくとも国家が戦いの状態にいるわけではありません。夜間も安心して歩けますし、家も財産も命も守られています。あまりにも当たり前になってしまっていますが、ここに至るまでは日本人の勤勉さと、為政者たちの多大な努力のおかげでもあるのです。それを忘れてはならないと私は思います。

そうしたことを学ぶ側は理解し、自分で何が正しいのかをしっかりと考えて生きていってほしいのです。英語を知っているということは、情報へのアクセスが一つ増えることを意味します。自らの立場に改めて感謝し、それをどう次世代へバトンタッチできるか、私たちは考え続ける必要があります。それが究極的に私の教えたいことです。

教師側から見た指導の「義務」と「希望」は以上のとおりです。けれどももう一つ、大切なことがあります。それは学ぶ側が求めることに耳を傾けることです。「教えてもらいたいこと」が何なのか、感じ取る力が指導者には必要とされます。

たとえば通訳学校の場合、「メモがうまくとれない」「数字が訳せない」「専門知識が不足していて日本語が出てこない」など、受講生は様々な悩みを抱えています。しかも一人一人の課題は異なります。受講生全ての希望を手取り足取りかなえてあげることはできませんが、大多数が共通としている問題点を授業内でタイミングよく取り上げ、指導する「嗅覚」を指導者は持つべきだと思うのです。教室の空気を読み、受講者の希望を汲み取る。意見が上がってこなくても、指導者からそれを察する必要があるのです。

そうした能力は一朝一夕でできるものではありません。私も指導者としては発展途上です。だからこそ、私自身「教える側」から「学ぶ側」になるべく、セミナーや勉強会に積極的に参加するように心がけています。そこで学んだことが教室で発揮され、私が目指す人材の育成に少しでも寄与できればと思っています。

(2012年11月19日)

【今週の一冊】

「利他の教育実践哲学―魂の教師塾―」野口芳宏著、小学館、2010年

先週読んだ松下幸之助の著作を通じ、「利他」という言葉が頭に残っていた。そのキーワードをひたすら考えながら日々を過ごしていたところ、この本に巡り合った。
著者の野口氏は小学校で教員や校長を長年務めてきた方である。その経験に基づく文章は示唆に富み、大いに考えさせられる。印象的な個所が3つあったので引用する。
「教育の究極の目標は一人ひとりの人間を幸せにすること」
「改善、改良には、必ず何らかの抵抗が付きまとうものである。それらを恐れていたのでは、改善、改革などできるものではない。」
「不運必ずしも不幸とは言えない。」
ところで野口氏は教員になりたての頃、自分の字に自信がなく、ある書道家に弟子入りをしていた。練習を経てようやく良い字が書けたとき、師匠にこう言われたという。
「野口さん、こういう線が、書くたびに書けなきゃいけない。たまに書けるというのでは、それは、もののはずみ、というものだよ」
通訳の現場も同じである。私も「たまたまうまく訳せた」ということがあるが、それはまだ「もののはずみ」なのだ。気を引き締めて通訳の勉強を続けていこうと思う。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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